まことに小さい声ですが

  雨水たまたま

                 

 沖縄へ行ってきました。

 関西琉球舞踊研究所の、初めての沖縄公演の応援です。

仲村米子という琉球古典舞踊の名手が、文字通りの関西・わが尼崎市で40

り、舞踊一筋に普及・指導につとめてこられました。

その間、地方(じかた)と呼ばれる演奏家を沖縄から招聘し、さまざまな古典芸

を関西で紹介する、という大変なことを実行してきた人の、応援です。

沖縄から来演してもらう人たちの中には、人間国宝になられた演奏家も居られる

という、大仕事をされてきました。そして、とうとう、オキナワンロックとして

有名な〈紫〉というバンドのメンバーと琉球古典舞踊との共演を202211月に

尼崎で実現させました。

 

 今回の私の沖縄行きは、その夢の競演を沖縄でも!という、とんでもない

企画の応援でありました。

 その会場が〈コザ〉。

 米軍基地の町として昭和の沖縄史では忘れてはならない町の、コザ。

 

 どれだけ勇気の要る企画であるか。

 関西に住む人たちにはなかなかわかってもらえないと思う。そして、その

企画が沖縄でどのように受けとめられたのか。それは、これから少しづつ、

少しづつ微妙な形で返ってくるだろう、と、私は耳を澄ませていたいと思って

います。

 

 そのことは、一旦、さて置きます。

 いま、私が、この場で語りたいのは、別のこと、です。

 今回の旅は、沢山の人たちと一緒でした。

 久しぶりに出合う人は、沖縄の地では当然。こちらから行く仲間の中にも

久しぶりの人が居ました。

 

 そんな中に一人、沖縄は全く初めてという友人が居ました。私は、その

友人にたった2泊の旅の中で、どれだけ沖縄を紹介できるか。

 思案・苦心しました。

 現地・沖縄の友人の知恵も借り、道案内も頼んで、旅をしてきました。

 

     二ン月の蝶とぶ石のアーチ門       大雄

     まじまじと寒緋桜を観る男

     沖縄の寒気どこまで海軍壕

     うりずんや王家の墓に玉の文字

 

 初めての沖縄、という友人に私流の解説をしながら見てきた風景です。

〈うりずん〉とは、沖縄俳句歳時記の中でも、まず一番に紹介したい早春の

季語です。

 今回、私たちが訪ねたのは〈うりずん〉の季節の少し前で、私のちょっと

た虚構ですが、許してほしい。

〈うりずん〉とは、うるおいそむる―――木々がみずみずしくなるという早春

の候。本土で言えば、木々や草々が芽吹くころ、と思ってください。

 私流の説明で申し訳ないが、私たちが出かけたのは2月の半ばでした。こちら

での3月から4月の気候に似ている。でも出かけた2泊の旅は暑いくらいの気候

だった。

 

 そのとき訪ねたのが琉球王家・尚家の墓地〈玉陵〉タマウドゥンと発音する。

王家の陵です。

 私が、沖縄で一番好きな所。石の建造物。立派な墓地です。首里城の近く

にあります。けれど観光客は少ないところ。

 

 沖縄は歴史的な建造物や戦跡がどんどん観光地に変っていく中で、

〈玉陵〉だけは、その周辺も含めて、全く変っていませんでした。

 

 語りたいコトはいっぱいあります。

 説明しきれないコトばかり。

 でも、ひとつだけ。

 ひとつだけ聞いて下さい。

 俳句の話です。

 それも、私の師匠の作品です。

 

      左腕たまたま繃帯の女廣島は     赤尾兜子

 

 昭和44年作ですから、私が入門する3年前の作品です。

 私が何度も何度も師匠の作品を読んでいく中で、何故か胸の奥底にストンと

落ちて消えない一句。

 その内容と、文体にすっかり酔いしれています。

 軽く書かれて、それでいてとても重い句、と思ってひとり大事にしています。

兜子作品を語る人は多いですが、この句について語る人は少ないです。

 その句を、突如、沖縄で思い出したのです。

 沖縄が初めてという友人に、米軍の嘉手納空軍基地を見せたくて案内。あの、

とんでもない大きな爆音を聞いてほしくて連れて行ったときのこと。

 戦闘機の爆音は、ドーンではなく、ドンという一瞬の音。

音だけで恐怖を感じます。

 その音の下で日常生活を過すとはどういうことか。それを体感させたくて

案内したのです。ところが、いまやそこは、基地を見学するために「道の駅」

が出来て観光スポットになっている。

私が初めて行った30年前は、基地を囲む土堤の上から覗き見るような所だった。

 それを友人の運動家たちは、基地の見える丘。その丘を「アンポの丘」と呼

でいた。それが今や―――。

 

 その観光スポットに着くと、見学客は沢山居るが、静かだった。飛行機も

見えない。

 不思議に思ったので、「道の駅」の人に尋ねた。

 すると

「今日は休みです」

と、言う。え?米軍が休み?意味が分からない。

 続けて「道の駅」の人が教えてくれた。

「今日はナントカ大統領のナントカ記念日なんだって。だから、お休みらし

いよ」

 

 沖縄本島のど真ん中に有る、極東最大のアメリカ空軍基地。そこが今日は

お休み、だという。

 世界中で戦争準備をしているような米軍基地。

 そこが、今日は休み。

 確かに、基地内に人影は見えない。

 私は言葉を失った。

 

 その日。2月19日の月曜日。二十四節季の「雨水」だった。

 雨水たまたま、と私の中で言葉が浮かんだ。同時に先師の一句が。

左腕たまたま―――と。

 そして、目の前を、休日の米兵が、上半身裸で、立派な肉体を見せながら

基地の周りをランニングしている姿があった。言葉が舞い落ちた。

 

      雨水たまたま休日の米兵は     大雄

 

 もうひと言、加えさせて下さい。

 昨日、3月17日が、兜子師の忌日でした。43回目の。