まことに小さい声ですが

    「天の川」

                 

 むかし好きになった一句・二句に思いがけない場面で再会するのはイイもの

です。妙なたとえかも知れませんが、場違いな時に、不意に聴こえてくる昭和

演歌にドキッとするようなものです。

 

     水枕ガバリと寒い海がある      西東三鬼

 

 俳句に関係した者なら知らない人は居ない、というほど有名な一句。いつ、

どこで、どういう風に教えられたか、もう思い出せない。

 初心のころ、誰かに聞かされたとき、何かで読んだとき、それも一度や二度

ではない気がする。いつ、どこで。もう分からない。

 唯、初めて教えられたとき、もうすでに、この句は昭和の古典になっていた。

 

     しんしんと肺碧きまで海のたび     篠原鳳作

 

 無季俳句の名作だよ、と教えられた。

 季語がなくても俳句は生まれるんだ、と教えられた。

 そして、無季俳句のサンプルみたいな風に教えられた。

 事実、いまでもそう思う。

「碧い」にはこういう文字もあるのだ。青いでも蒼いでもない。紺碧の碧だ、

と知った一句だ。

 

     未亡人泣かぬと記者よまた書くか     佐々木巽

 

 この句を教えてくれたのは宇多喜代子。

 宇多さんには沢山の俳人の名を教わった。

 私にとっての俳句の先生は、結局、宇多喜代子ではないか、というほどいろん

な書物を教えられたし、さまざまな俳句談義をしてきた。

 この句の作者なんて、誰も教えてくれなかった。

 いまだに、宇多喜代子以外の人物の口から、この佐々木巽という名を聞いた

コトがない。

 昭和俳句史のどこかで、誰かの文章・紹介で、この一句を、一度か二度、読ん

だことがある。その程度の記憶。

 これこそ、知る人のみぞ知る、戦争の一句。否、反戦俳句の名句だろう。

 

     ラガー等のそのかちうたのみじかけれ    横山白虹

 

 この句の作者は、私の俳句の教科書・筑摩版の文学全集で覚えた。神田秀夫

編集の『現代俳句集』だ。

 ラグビーが大きな話題になったとき、私も、にわかファンの一人として

この句やら、山口誓子の句を思い出して、全集をひっぱり出して確認した

ことがある。

 横山白虹の息女が、北九州市の「自鳴鐘」主宰の寺井谷子だ。

 もう20年以上まえのことになるけれど、伊丹市での何かの集まりで、寺井

谷子さんを宇多さんに紹介してもらった。まさか、その人が横山白虹の娘さん

であるとも知らず。

 その紹介のされ方もあったのだろうけれど、初対面のときから友だち同様の

交流が始まった。

 そして、山口県仙崎での「金子みすゞ顕彰俳句大会」で最後まで選者仲間と

して机を並べた。親しくなり電話での長話やら資料のやり取りがあった。

 というより、沢山の著書や、貴重な書籍の恵贈を受けた。

 その一書に『天の川俳句集・十四人選』がある。

 編集・発行は福岡市文学館。

 その凡例に、平成19年度の、文学館企画展の図録の別冊とした、とあり

100ページの資料。大正7年7月から昭和18年12月の休刊までの俳誌

「天の川」に発表された句を対象にした、とある。

 

 俳句史の中で「天の川」はしばしば目にしてきた。

 この資料が寺井さんから届いたときも胸がトキメイた。

 何しろ、この十四人集とは、代表の吉岡禅寺洞以下、杉田久女、芝不器男、

橋本多佳子といった九州の俳句史で必ず名前があがる人たちに加え、日野草城、

そして前出の4名、ほか、異色の顔ぶれ。

「天の川」の歴史を思い浮かべさせられる。

 だが何と言っても私がビックリしたのは、前記4句の初出が「天の川」で

あったか、ということ。

 昭和の俳句の嵐は三鬼から始まった、それも〈ガバリと寒い海がある〉

から―――と言いたいほどの〈事件〉が、実は九州から、であった、とは。

 

「天の川」の名は、たしかに、俳句史を勉強したときに何度も目にした。

 でも、ぼんやりと書棚の前に立って、ふと、手にした薄くて小さい資料。

 パラリとめくったら私の赤エンピツのシルシ。見ると、〈水枕〉の一句。

昭和11年、とある。

 その数ページ後、朱のマーカーで、

   未亡人泣かぬと記者よまた書くか

の一句が、大きく目立つように塗っていた。

 寺井谷子さんから頂いたときに確認しているのに、すっかり忘れていたのだ。

 

 この資料、図録の別冊の発行は平成19年。

 いまは令和6年。その新年早々に大地震の悲劇。

 そんなときに、不要不急の俳句なんぞを考えていて、手にした俳句資料。

その一ページに、もう一度読む

 

     未亡人泣かぬと記者よまた書くか     巽

 

 この一句の制作年は昭和12年。日中戦争が始まった年だ。

 俳句という記録は、記憶を呼び起こす。

 怖いなぁ。つくづくそう思う。