まことに小さい声ですが
五・七・五は面白い
何故だか知らないけれど、俳人と川柳人はあまり交流がない。どうもお互い
にお互いの作品を読むことも多くないようだ。
一般的に、俳句も川柳も、始めたキッカケは同じようなコト。「知人に軽く
誘われた」だけ。
しかし、その後もお互いに交流がない。
私は、といえば、川柳人の友人が居るので、ほんの少し交流がある。いろいろ
教えてもらった。
たとえば麻生路郎(1888~1965)という人の
俺に似よ 俺に似るなと 子を思ひ 麻生路郎
原句はどうやら〈3行分かち書き〉らしいのだが、口づてに教えてもらった。
覚え易いのだ。
もう一句。
名をすてて十七八の恋もせむ 路郎
面白い、と思う。
この2句まではいい、季語を云々の論議をしなくてもいいから。
では、次の作品を、川柳と俳句に仕分けしてください、と言われたら、どう
分けますか?
①行く末はどうあろうとも火のごとし
②滝凍る万有引力など俗説
③君見たまへ菠薐草が伸びてゐる
④対岸はアメリカである石蕗の花
⑤君と僕ただ良寛をこころざす
⑥さわってみる法隆寺土塀ただの土
⑦うどん屋にすうどんのなしエンタツ忌
⑧元日の卓上日記晴とだけ
⑨沖縄で死にぞこのうて喜寿をいま
⑩新池や蛙とびこむ音もなし
⑪初しぐれ名もなき山の面白き
どれもこれも私は好きです。声を出して読みたい作品ばかりです。
どれが川柳、これが俳句、と分けなくてもいいのではないか、と思う人も
居るでしょうね。
でも、分けたい人が居るんですよ、ね。俳人にも川柳人にも。さすれば
何をもって、川柳・俳句を論理的に説明するのでしょうね。
五・七・五という日本語のリズムは魔物ですね。
何故五・七・五なのな?という議論は、学者先生におまかせします。
俳句も川柳も、その誕生の頃の話なら私も少しは知っています。
でも、俳句と川柳はどこが違うネン?と中学生に聞かれたらうまく説明でき
ません。
高校生に訊ねられたら、必死になって説明します。分かってもらえなくても、
俳句は一人言、川柳は対話だよ、と。
でも、実作品を目の前に、うまく説明できるかどうか、自信がない。
それでも私は、俳句。川柳は書けない。読みだけにしています。
さて、前記の作品には、私の大好きな俳人・小寺勇(1915~1994)と、麻生
路郎の作品が混在しています。
路郎作は①③⑤⑧
小寺勇作は②④⑥⑦⑨
さて、残った最後の二句。⑩⑪の作者は誰か?芭蕉さんに対してアイサツ
しているのは誰あろう、良寛禅師。ハイ、子どもたちと毬をついて遊んだ坊主、
あの良寛さん、という風に伝え聞いております。
これだから五・七・五は面白い。