まことに小さい声ですが

   宇陀郡室生村

               

 有名な人には名句がいっぱいある、のではなくて、名句がいっぱいあるから

有名なんですよね。当り前の話ですけれど。

 例外も、もちろんありますね。一句だけ誰でも知ってる有名な句。だけど

作者の名前は知らない、とか。その反対に、有名な人だけれどその人の作品の

中には、あまり有名ではない句があったりする―――。

 だから俳句はおもしろい。

 読むことが止められない。

 

 数えきれないほどの人が俳句を作っています。仲間が居て、句会を定期的に

開き、或いは教室へ通って俳句を作る。

 そういうことはしないけれど、一人で黙々と俳句を作り、気が向いたときに、

または定期的に新聞の俳句欄に投稿する人も沢山いらっしゃる。

 こんなコトをする国民は日本人だけかも知れない、と思うのであります。

 

 年賀状に一句を書き添える。

 ということを、今年からやめることにしました。

 というより、年令のせいもあって賀状を出すのを失礼することにしました。

―――というわけで私の年頭の一句、というのがありません。

 ので、ひと様の一句を紹介します。

 昨年末に贈ってもらった人の句集の中から、新年の一句、であります。

 

     年迎ふ築六百年の連歌堂      松井トシ

 

〈年迎ふ〉という書き方から連想して、旧正月のことか知らん?とも思う。

それより何より〈連歌堂〉とはナニ?築六百年と言うからには建物だろう。

 この句集『冬青の実』のあとがきに次の二行があった。

―――私の在所、室生染田には、六百年前の連歌堂が遺されてをり、村では

保存につとめてまいりました。―――と。

 そこには「中世文学の里」という道標が立ててあるらしい。中世文学とは、

俳諧連歌のことだろう。俳句のご先祖だ。

 その連歌堂とは、連歌の会が催されていた建物か。

 その地、大和宇陀郡室生村を訪ねたくなっている。

現在の奈良県宇陀市室生染田、というところ。

 作者のことばによると、そこはご主人の生まれ故郷であるらしい。大阪生ま

のトシさんは、平成4年にご主人のお勤めを終えられたのを機に、その地に

移り住み今に至っている、という。

 私より5才年長のトシさんと親しく言葉を交せるようになったのは、何年前

になるだろうか、山口県の仙崎へ、〈金子みすゞ顕彰全国俳句大会〉で、

ご一緒するようになってからだ。

 

      みすゞ忌や宴の終りの鯨唄      トシ

 

 さてさて。

 松井トシさんの在わすところ〈室生〉とはどういうところだろうか。

宇陀市は、私が東吉野村を訪ねるときに下車する近鉄電車〈榛原ハイバラ〉駅の

あるところ―――

というくらいしか、私は知らない。

 

      柊挿す室生村立小学校         トシ

      稗を抜く村の鍛冶屋の遅れ田も

      猪食べに来んか冷凍せぬうちに

      分校に飼ひたる羊毛を刈られ

      満開の桜年寄疲れさす

      山椒魚目玉をどれと聞かれても

      松明を持つ子に寄りて虫送り

      稲実る千年桜ある村の

      ドナルド・キーン来てゐし梅雨の連歌堂

      山の子となれり寒柝打ち鳴らし

      父住まぬ家に柊挿しにけり

 

 イノシシを食べに来い、とか、サンショウウオの目玉はどれかいな、とか。

或いは子たちの持つタイマツのあとについて行く〈虫送り〉にも参加してみた

いではないか。そして何より、ドナルド・キーンも見に行ったらしい

〈連歌堂〉を、私も拝見したいものだ、と思う。

 

 松井トシさんのこの句集『冬青の実』。

 そよごの実、というらしいが、〈ふくらしば〉という別名もあるらしく、

室生地区では正月の注連飾りに、松と裏白と共になくてはならぬ供物、だと

いう。

 加えて言えば、この句集は著者三冊目。第三句集だ。

 第一句集は平成19年『試筆』。

 第二句集は平成27年『室生』。その三冊とも私は寄贈されている。

 紹介するのが逆になるけれど、ご本人によると平成10年に「運河」入会。

茨木和生に入門。文字通りの晩学だ。

 俳句は、誰でも参加できるイイモノだとしみじみ思ってしまう。日常の

スケッチが詩になる。庶民のものだと思う。

 こんな気持のいい老人(失礼!)の句集だが、その中に、さらりと次のような

一句が入っていて、同世代の私としては、ドキリ、とした。

 俳句は、コワイ、とも言える。

 

   十一才の記憶八月十五日  松井トシ