まことに小さい声ですが

    おきなわの四季へ(その3)

                 

『おきなわの四季』という一書は、沖縄の俳人・玉城一香(19412015)の数多い

出版物の中で、私が一番最初に手にしたもの。先輩俳人の宇多喜代子から

「君が持っておきなさい」と手渡されたものだ。

『玉城一香遺句集』は、その没後の2016年に、沖縄俳句研究会という一香さんの

仲間たちの手によって出版された。

 その遺句集には、一香さんの俳句に対する想いが作品に並んで再録されている。

 それは、玉城一香・最晩年での正直な気持、と言えると思う。

 そのいくつかを紹介したい。

 

―――思いやことを叙べる俳句ではなく、物や自然との出合いを大事にする俳句

をめざしたいものだ―――

 

 これは、俳人のタテマエ、俳句の基本。そんなことを最晩年の自分自身に

もう一度、念を押しておきたかった玉城一香という俳人の、ホントにほんとうの

本心だっただろう、と思う。

 辛い想いを数多く俳句に書き残してきた俳人の、これは、重い述懐だろうと思う。

 

     沢藤の靜けさ闇のしづく溜め      玉城一香

 

 沢藤―――さわふじ、と文字の通りに読むけれど、本土に住む私たちには何の

ことやら?けれど『沖縄俳句歳時記』には〈さがりばな〉の別名として立項され

ている。花が垂れ下がって咲くことからサガリバナ、また藤のように咲くから

サワフジ、という。

 夜に咲いて翌朝までには落花する、という幻想的な花―――私は、沖縄に住む

友人のカメラマン・大塚勝久からその花の写真集を貰っているから、そのとんで

もない美しさを知っている。彼が毎年制作する沖縄限定のカレンダーの7月でも、

見ている。

 だが、虚子の「季寄せ」にも山本健吉の「歳時記」にも、無い。―――と、

エラそうに言っているが、一香さんからご本を頂戴するまで、私も知らなかった。

 大塚勝久写真集『平久保半島サガリバナの原風景』が出版されたのは2016年。

石垣島、平久保半島が国立公園に指定された、記念出版だ。

 

     着陸す大地は親しエゾの秋      一香

     霧ふかし湖にカムイの声きかむ

     黄熟す石狩平野の稲の原

 

 苦難の苦渋の生涯を送った玉城一香が愛妻と二人だけの北海道への旅。

 このアイヌコタンを訪問した旅の句を遺句集の中で発見して、私は、嬉しか

った。私の知るアイヌコタンは二風谷。石狩のことや阿寒湖のことは何も知ら

ない、けれど。

 

     秋ふかし継がれアイヌの剣の舞       一香

 

 この句には気持を寄せることが出来る。カムイの話も少しは、分かる

 とは言え、やはり、遺句集には哀しい句が多い。

 

     ひでり空ヘリ墜落の山燃ゆる        一香

     慰霊の日慰霊の蝶を放ちけり

     炎昼や空母声なき人の影

     敗戦日武器をもて国を守るといふ

 

 遺句集の末尾に近いところで

―――六月二十三日の慰霊の日、小学三年生の孫娘をつれて参加した。

という一行を見つけた。

 晩年には孫との平和な日を送ることも出来たのだろう。とはいえ、遺句集の

最後の一句は。

 

     孫の世へいくさなき世へ豆撒きぬ      一香

 

 玉城一香の願いは、とどくのだろうか。

 私は、一香さんをもっともっと読みつづけたいと思う。まだまだ知らないこと、

知らねばならぬことが多いだろうと思うから。

同世代とは言っても、一香さんの生涯は、私とはあまりにも違いすぎる。

一香さんは書き残す。

―――戦後、少年時代に野山をかけめぐって遊び回っていたころ、野山の洞窟

中には骸がころがった人骨や、防毒面や、朽ちかけた軍靴や、多くの不発弾

等々……

戦争の遺物がころがっていた。まさに荒野であった。それらは六、七十年過ぎた

今でも鮮明に多い浮かべることができる。イヤ今でも甦るのだ。テーマである

以上に生きる事そのものなのだ。それを詠まずして私の俳句はない。