まことに小さい声ですが

   梢さみし

                 

 私の手許に下村槐太という人の句集がある。今どき、しもむらかいた、 

と聞いても「誰?」と思う人が多いだろう。けれど、

 

     死にたれば人来て大根煮きはじむ    下村槐太

 

という一句に記憶がある俳人は多いだろう。

 句集『天涯』昭和48年刊、限定500部。発行、下村槐太句集刊行委員会。

 何故、そんな句集が私の手許にあるのか。それは、この一書の扉にある著者

横顔写真。撮影者が井上青龍なのだ。

 青龍の人脈の端に居た私だから手にすることが出来た。けれど今、記憶の糸

手繰るといろんなことが思い出されてくる。いろんな人の名を。

 その刊行委員のメンバーのまず初めの名が井上青竜。そう、セイリュウは青竜

と名乗っていた。本名の文字は、龍か竜か。亡くなった後に、私たち仲間でも

議論の的になった。正解は、今も私は知らない。土佐人だから、龍と書いて

リョウマと読ませたかった、という話も。

 それはともかく、刊行委員の名、井上青竜の次が、その写真の師・岩宮武二。

あとがきを書いた小金まさ魚。永田耕衣、堀葦男、林田紀音夫、そして赤尾兜子。

順序不同と断って、何故順序不同なのか。

それも奇妙だけれど、何しろ別記に発起人31名、実行委員会14名。どちらにも

名のある人や、入れ替っている人も居て、不思議。

 出版されるまでに、難行する何やらの事情があった、と思うしかない。

 そういう句集だ。

 もう一冊。『下村槐太全句集』300部限定。私の手持ちには、28号、とある。

この一書も、前記の一書にも価格はない。つまり一般販売されていない。

この全句集のあとがきには、下村槐太旧門下生有志の会として代表・小金まさ魚

以下28名。そこには井上青竜の名も赤尾兜子の名も、無い。最後に金子明彦と

いう名がある。

 金子明彦は、全句集の末尾に下村槐太略年譜と〈解説〉文を書いている。

 私は、この全句集を金子明彦から頂戴した記憶がある。井上青龍の紹介を経て。

 

     心中に師なく弟子なくかすみけり    槐太

 

 私は前記の一句と、この一句で下村槐太(19101966)の名を胸に刻み込んだ。

 

 それと、金子明彦との淡い交流の記憶。

 明彦の座談と彼が書いた下村槐太の記憶。

 そして何より、井上青龍が金子明彦のことを語るときの優しい眼。

 金子明彦は淋しい男だから、な、と語っているようだった。けれど、私の目に

は金子明彦とは何かに取り憑かれたような人として映った。奇矯な人だと思った。

 

     君はきのふ中原中也梢さみし     金子明彦

 

 これは昭和26年の作として俳句史に残っている一句。

 その師とする人が「師なく弟子なく」と書いた昭和26年のことだ。

 

 ひとは何を思って俳句を書くのだろうか。

 くり返しくり返し私は、それを考えつづけている。

 金子明彦という俳人は、下村槐太という伝説的俳人の弟子として全句集を

世に出したのだけれど、ご本人は、いつの日からか消息を断ってしまった。

 でも「十七音誌」という幻の同人誌を、堀葦男、林田紀音夫と三人で創刊し

人として俳句史の一ページに残っている。

 一方では、俳人系譜で、高濱虚子――岡本松浜――下村槐太――金子明彦、

として名を残している。

 

 ともあれ私には、師・下村槐太について書く金子明彦の、抒情たっぷりの濡

れた文章が好きだった、という記憶があるのだ。