まことに小さい声ですが

   『北帰行』のこと 後編 

    

 突然ですが、ヤン・ヨンヒという映画監督をご存知でしょうか。

 最近「スープとイデオロギー」という作品で、毎日新聞コンクール・ドキュメ

ンタリー映画賞を受けた女性です。

 彼女の作品には2005年に「ディア・ピョンヤン」、2009年に「愛しきソナ」、

そして2021年の「スープとイデオロギー」という、家族の肖像・三部作があり

ます。

 その評判はますます高くなっています。

 

 関西では映画マニアでは有名な、大阪・十三の第七藝術劇場(ナナゲイ)で

6月3日に、さらに神戸の元町映画館でも近日、三部作が上映される予定。

 日本に生まれながら北朝鮮に「帰国」した彼女のお兄さんたちのこと、

「帰国」したお兄さんたちの生活と新しい家族のこと、ヤン監督のご両親のこと。

内容は、是非とも映画を観て下さい。

 

そのヤン・ヨンヒ監督が、青龍の『北帰行』を持っていたのです。

どこであったか、大学の売店だったか忘れたけれど偶然、写真集の案内を見つ

けて、これは買っておかねば、と思った、とヤン監督は言う。

 

そのことを私が知ったのは、『北帰行』を出版してから10年ほど経ってから。

 ヤン監督本人から突然、私に電話がかかってきたのです。映画「ディア・

ピョンヤン」の冒頭シーンに『北帰行』の写真を使っていいか、と。

写真集の奥付に私の名前が載っていて、別の情報で電話番号を知ったのだ、

という。

 電話のあと、彼女は長い手紙をくれ、私を訪ねてきてくれた。

 その年の夏、わが尼崎市で「井上青龍回顧展」がひらかれる、というタイミ

ングであった。彼女はそれにも足を運んでくれた。

 それ以後、これを奇縁として今に至るまで連絡をとりあっている。

 

      青龍よ

     夏怒涛 誰れに問うべき命かな    大雄

 

 この句は、青龍が昭和63(1988)に徳之島で波にさらわれたとき、その告別式

で捧げた一句。土佐の生まれで水泳には自信のあった青龍が海で亡くなったとき

におくった句だ。

 

 井上青龍という男は、撮影した写真を世に出さずに、手作りのノートのような

一冊をのこして逝ってしまった。

 私流の言い方をすれば、『北帰行』は送り先不明の手紙のような作品だ。

 

 それから16年のち「私が持って居ります」と便りをくれたのがヤン・ヨンヒ

監督だった。