まことに小さい声ですが

    この人あり

                

 用があって二階へ上がった筈なのに、ふと、あれ?何をしに二階に居るの

なァ?という経験は、誰にでもあるだろう。

 でもでも、そんなコトが増えるのは老人になったから。

 同じことを又、言うてる。

 同じことをまたまた書いてる。

 20年前と思っていたのに、30年も前のことだった。

 なんてコトはもうキリがない。

 だから―――

 私のメモ帳にあるこども達の俳句。ことば。

 いつ、どこで、だれの?もう分からない。

    〈こころってどこにあるの?〉

と言った子が居た。

    〈俳句って、どうして五・七・五?〉

と言った子が居た。

    〈ママが好きママが一ばんママこわい〉

と書いた子が居た。そして―――

 

     ちっていくはっぱにいのちありますか

 

 こんな俳句を書いてくれた子が居た。

 書いた本人も、もう忘れているだろうというそんな句を添えて、きれいな絵本

にしてくれた人が居た。世に出してくれた出版社があった。

 そのことを今、思い出している。理由は次の一句を発見したから。たまたま

開いた句集の中で。

 作者は田端美穂女(19092001)。ホトトギスにその人あり、として敬われて

いたお人。一度、そのお話しぶりを聞くと、もうそれだけでいいなァと思って

しまう。

   明治42年に大阪道修町に生まる。

   昭和11年より句作、虚子先生に師事。

 もう、この2行の略歴だけでお察し願いたい。

 その人の一句。

 

    一片の落花のいのちてのひらに    田端美穂女

 

 昭和60年の作だという。

 田端美穂女句集『美穂女抄()』日本伝統俳句協会 平成3年刊。こんな

句集をいつ誰から頂戴したのかも忘れたのだが、その中から見つけた句だ。

 もう一句。これは昭和61年作。

 

     一片の落花泪のごとく掌に      美穂女

 

 そのとき80歳になろうかという人が、いのちを惜しむかのようにさくらのひと

ひらを手に受ける。

 一方は10歳ほどの少女が、樹に生命があるのならこの花びらにもあるか?

と問う。

 

 老女から、そして少女から、こぼれ落ちたような〈ことば〉を前にして、私は

ぼんやりしている。

 こんな話の偶然の重なりは、ほんのささやかな俳句の奇縁から生まれた。

 俳句って、いいなァと、あらためて思う。

 

      姉と呼び通せし母の墓洗ふ      美穂女

 

 この一句の向こうには、どれだけ深い想いがあったのか。ひとには語れない

ほどの想いがあったからこそ、この一句が生まれたのだろうと思う。心して読み

たい一句。

 もう一度、言う。ホトトギスにこの人あり、と皆から敬われていた人の一句だ。

 この作品は昭和57年の作。

その翌年の58年にはこんな作品があった。

 

     おぼつかなわが眼の花のおぼろにて    美穂女

     散る花の一片を置きそめし水

     祝ぎの旅はじまる心すでに春

 

どのページにも、ふっと立ち止まってしまう句があって、読み終えたその日、

一日はいい気分になる。

 そして次の一句。

 これは句集を読む前からどなたかから教えられて知っていた句。正直に言って

しまえば、この句を知ったときから田端美穂女の名を記憶した。

 その句が、昭和58年に発表されていたのだ。

 

      いつ渡そバレンタインのチョコレート    美穂女