まことに小さい声ですが
隠岐の俳人
その人とはほんとに不思議なご縁で知り合った。
今はもうすっかり友人として交流させてもらっているけれど、カン違い
してはいけない、と時々は自分自身を戒めている。
なにしろ、その人の名刺には〈後鳥羽天皇御火葬塚守部〉とある。
宮内庁書陵部という雲の彼方に居るような人だから。
釣糸を垂る寒凪の日本海 村上助九郎
白涛に揺れる船窓隠岐時雨
初めての隠岐訪問は平成15年。いつものように誘い出してくれたのは
宇多喜代子。地元の人と仲良くしてねと紹介されたのが、島の観光協会。
小学校を訪ねたい、という私の希望をすぐさま実現してくれた。
島根県隠岐郡海士町という、隠岐群島の中でも異色の島だった。
そこが、むかし“承久の乱”という歴史的な場所で、後鳥羽院が流された
ことなど、何も知らないで訪ねた。
後鳥羽院癒させ給へ昼の虫 村上助九郎
初めて紹介されたときは、のちに助さんと呼び合える仲になるとは
予想もできず、俳人であることも知らなかった。
御火葬塚。そこへ案内してもらうとき、きちんとネクタイを締め、白い
手袋で現れた。
助さんは村上家四十八代目の守部だった。
小学校での俳句教室をはじめ、華道・未生流中山文甫会隠岐支部との交流、
観光協会のIターンの若い衆との交流、等々。いろんな形で、海士町の人たち
と親しくなっていった。
「呑んで語ろう」と、若い衆と一緒に騒いだ。
「ないものはない!」という売り言葉のウラには、「無いことの贅沢」と
いう意味も知ることができた。
定宿になった民宿の一家にはとても世話になり、若い衆との宴席になった
りもした。
そんな海士町での日々の中で、隠岐神社の社務所に額装された色紙が飾ら
れているのを発見した。
その句の記憶はすっかり薄れたけれど、作者の名はしっかり覚えている。
髙井北杜。調べてみると臼田亞浪の系列の人だった。
俳人はすごい。ここまで来た人が居るのだ。
と、単純にびっくりしたが、考えてみれば驚くことではない。
隠岐では、短歌・俳句の大会を開催している。宇多喜代子も、その選者と
して海士町との縁ができたのだから。
でも、村上助九郎さんと、俳句がつながらなかった。
海士町での村上さんは、まるで隠れ俳人だった。
それから数年のち、私の俳縁もあちらこちらの地方に広がり、山口県長門市
の仙崎で〈金子みすゞ顕彰俳句大会〉の世話人の一人になっていた。
そこで知り合ったのが四国・徳島の俳人・早川みちこさんだった。
すっかり仲良しになって、この小径でも紹介したコトがあるけれど、
彼女の主宰する俳誌「早蕨」と縁ができた。
なんと、その誌面に、村上助九郎の名があったのだ。
あらためて助さんにそのことを尋ねると、二人とも、髙井北杜の系列の
俳人だった。
助さんとは二人きりのとき、俳句談義はさんざん語り合ってきた。その
ご自宅には、有名高名な先達の俳人たちの色紙が沢山。ほんとにびっくり
するほど、所蔵されていた。
村上助九郎・四十八代目として対応してきた客人から寄贈されたもの
だという。
そんなコトも知らず、私も求められるまま一句、残してきた。
月の人後鳥羽の海を漂えり 大雄
助さんは喜んでくれたが、少し恥ずかしい。
さてさて。
その助さんと早川みちこ。
聞けば、その俳歴の中で、二人は共感し合うことがあったらしく、
早川みちこが独立、「早蕨」を創刊するとき、応援を惜しまず、行動を
共にしたのだ、という。
二人は同志だったのだ。
二人とも淡々としていて、私には何も言わなかったけれど、特に紹介・説明
する必要も感じていなかったのだろう。
そのことを知ってから、「早蕨」のメンバーと隠岐を訪ねた時も、取り立て
てあれこれ説明するわけでもなく、句会に同席していた。
他人行儀の気配を見せない二人だったのだ。
重陽や六十年の守部辞す 助九郎
みささぎの守部を持して秋の風
その守部を、昨年の夏、ご子息に四十九代目をつなぐことができた。
大変な六十年だったと思う。
言えないことや、言っておきたいことが沢山あるだろう、と思う。
心太話し足りないこと数多 助九郎
馬刀葉椎帝通いし隠れ道
父桜母桜あり隠岐の神
黒揚羽見えぬ影つれみささぎに
土器の御神酒をまわし後鳥羽院忌
蟬時雨湧く戦国の因屋城
みささぎの清掃奉仕夏きざす
望月や眠りにつきし後鳥羽院
千年の百基の墓や草の花
因屋城ゆったり登る秋の蝶
重陽や御紋の盃を賜りぬ
みささぎへ最後の奉仕秋暑し
紅葉映ゆ崩御せし間の八景に
もっともっと紹介したいと思う。
句集を出してほしい、とも思う。
助さんも私と同世代。残された時間は多くない。
早川さんとは、時々、電話を交すこともあるという。
彼女の、句集発刊を待っている、とか。
心太島の別れのひとときに 助九郎
いつも明るく声をかけてくれるが、ふっと見せる表情に、助さんの
淋しさが見える。
明日にでも、電話しようか。気合いを入れて。
虫時雨崩御せし間の釘隠し 助九郎
わたしが、助さんの作品の中で一番好きな句だ。
崩御せし間、とは、村上家の開かずの間だったところだ。今は、
村上家の記念館となって入室ができるけれど、以前、村上さんが家族で
お住まいのころは、院がお隠れになった奥の一室として、開かずの間
だったのだ。
釘隠しにつかわれているのは、菊の御紋。
それを私も何度か、拝見したことがあった。
この一句、四十八代目村上助九郎にしか書き残すことができない句だ。
耳鳴りのように、虫時雨が聞こえる。