まことに小さい声ですが

    但馬の人

                

 私のご近所さんの俳人・小寺勇さん(19151994)には、大好きな一句

があった。

 

    無名でも『旗艦』の残党巴里祭       小寺勇

 

 7月14日、パリ―祭。

 小寺さんは大正4年生まれの戦中派。そんな人が、フランス革命記念日の

季語で一句を書き残す。その心情は何だったのだろう。

「旗艦」は、日野草城を代表とする新興俳句の、文字通りの旗艦だ。その

一員であった、という誇り。戦後の俳壇でも無名であった、という誇り。

 一読したときから私はカッコイイなと思った。

 無名の誇りと、フランス革命の組み合わせ。

 

    入所する施設や今日は巴里祭         中井之夫

 

 作者・中井之夫さんは昭和6年生まれ。

 鈴木六林男の「花曜」の初代編集長だった人だ。

 私は先師・赤尾兜子の没後、六林男の紹介で知己を得た。今も手許に

『冬木』『霧の季節』『霧の左岸』『但馬路の短い文学』などの句集と俳書を

大事に持っている。

 前記の巴里祭の句は今年になって出版された句集『霧の郷』にある。その

句集の構成は、著者の今までの句集同様、四季に分類されている。即ち制作順

ではない。

 著者自身の言う、「90歳を節目に句集出版を思い立った」。俺は現役だと

いう志だ。郷里の但馬を離れ京丹後のサポートハウスに入所しても、だ。

 

    憲法記念日村に国旗の見当たらず      之夫

    鐘征きし鐘楼跡や沙羅の花

 

 集中に、こんな句を見つけて私は、あらためてこの句集の帯に、自らの

一句〈巴里祭〉を記した心意気に敬意を払う。

 鐘征きし―――とは、戦中に寺の鐘まで「お国のために」供出させられた

こと。今は鐘もなく、その跡だけがある。そのそばに沙羅の花。

 

    菜の花や円山川に潮満ち来          之夫

    但馬牛追いゆく婆の夏野かな

    終戰忌流木燃やす岩の上

    彼岸花今年も赤き寺の坂

    霧流る円山川の河口かな

    案山子立つお前も丹後弁なるや

    散髪屋部屋に呼びたる今日白露

    丹後路に老けゆく日々や雁渡る

    文化の日電池を替える電子辞書

    秋の夜や眠れず開く厚き辞書

 

 人生の最晩年の日々。大人の生活が見えて、声を出して読みたくなる。

温泉の街、城崎生まれの中井さんは県の職員だった。仕事柄単身赴任が多く、

各地にその名を刻む実績を残された、と聞いている。

 その縁で、私も、俳句紀行〈たんたん列車〉ではとてもお世話になった。

 

    子等来るというにテレビは雪の報        之夫

    雪来るか村を揺るがす風の音

    寒灯の一つずつ消え村眠る

 

 句集の中で、冬の章はさすがに淋しい。

 瀬戸内と違って日本海側の但馬は―――。

  そして

 

    雪の夜の遺影に託す留守の家          之夫

 

 遺影とは奥様のこと。

――― 一人残された私でしたが、ありがたいことに

     私には俳句がありました

 と、中井さんは書くことの出来る人だ。

 

    目覚むれば視野真っ白な春の雪          之夫

    兜太の訃雪に新聞濡れて来る

    天領の銀山包む春の雪

    初蝶や妻の残せる飼育箱