過去の私へ

 

ありがとう。

 

あなたのおかげでとても素晴らしい人生を歩んでいます。

 

あなたが頑張ってくれていた素晴らしい経験には

家族も友人たちも感動して涙してくれます。

 


 

あなたはまだ16歳で

次の期末テストのことしか頭にない高校生だった。

 

膝のしこりが痛くて体育の授業がついていけなくなって

近くの病院でレントゲンを撮った。

 

そして大学病院へ紹介された。

医師からすぐに入院するように言われてとても驚いたでしょう。

 

最初は一ヶ月の検査入院の予定だった。

 

ところが、

すべての検査が終わったあとの医師からの話。

 

病名は骨肉腫。

 

全くなんの病気かわかっていなかった。

 

入院が長くなるといわれて、

そうなんだと思っただけだった。

 

しかし、

点滴の薬の治療の話が医師の口から出たとき

頭の中が真っ白になったね。

 

人生で初めて

頭の中が真っ白というのを経験した。

 

治療で

髪の毛がすべてなくなる

という医師からの言葉。

 

16歳の女の子としては

ショックが大きくて、そのときに髪が抜けそうな衝撃だったね。

 

医師は

「がん」という言葉を使わなかった。

 

両親も言葉を失って落ち込んでいたから病気の話はしなかった。

 

だからわかっていなかった。

 

骨肉腫は骨のがん。

 

弟3人の姉として責任感を強く持っていたあなた。

 

自分が長い入院をするとわかって

弟たちのことも心配していた。

 

11月に検査入院してからそのままずっと長い入院生活が始まった。

 

骨のがんを取り除いて人工関節を入れる手術の前に行う抗がん剤治療が始まった。

 

白い薬、黄色い薬、赤い薬、の3種類が1クールで赤い薬が一番つらかったね。

赤い透明の点滴をみるだけで恐怖と吐き気が襲ってきた。

 

一番下の弟がまだ6歳で毎日のようにお母さんと一緒に病院に来てくれたね。

 

雪が降ったら

お姉ちゃん、雪のうさぎだよ

小さい手のひらに雪で作ったうさぎをのせて持ってきてくれた。

 

桜の時期には

桜の花びらを

お姉ちゃん、桜の花だよー

また小さい手のひらにのせて持ってきてくれた。

可愛くてしょうがない弟。

本当に嬉しかったね。

 

約1年の病室生活。季節の変化を感じられるのは病室の窓から見える景色だけだったから

小さな弟が持ってきてくれる季節は

心温まる本当に尊いものだった。


 

それまでずっと長い髪だった。

髪の毛が抜けるのはショックだろうからと、

外出許可をもらったときに、ショートヘアにしたね。

そして可愛いニット帽も買った。

すべての髪の毛が抜け落ちたあとにかぶるため。

 

がんに侵されている右足を地につけてはいけなかったから、

外出もずっと車椅子だったね。

初めての車椅子経験で

車椅子の人の気持ちがわかると思ったよね。

 

治療の1クール終わった頃にはすべての髪の毛が抜けてニット帽を被っていたかな。

 

このころやっと、自分が「がん」ということを知ったね。

でも、全く驚きもしなかった。やっぱりそうかと、重い病気だと思ったね。

 

3月手術の日。

朝8時半ころにストレッチャーにのって手術前の注射や点滴をする。

お父さんとお母さんもいた。

病室に戻ってきたのは夜の9時ころだったかな。

11時間くらいの長い長い手術だった。

 

右足ヒザ下の骨肉腫の周りごそっと取り除いて

ももから足首までの長い人工関節を入れた。

 

手術の次の日の朝、

消毒するため主治医が来て、包帯ぐるぐる巻きにされていた右足を初めて見た。

 

大きなホッチキスが足の付け根から足首近くまで刺さっていて、

膝下の部分だけ丸く切った線に沿って刺さっていた。

びっくりしたね。

 

これ私の足なんだ

 

って。

 

ベッドはまだ起こせないから、寝たまま食事をしていた。

自分でできることは何もないと感じたよね。

 

だって

トイレも自分でできないし、

ベッドに張り付いた体を思うように動かせないし、

動かしちゃいけないし。

 

数日経ってから横向きにさせてもらったときに、

大きな膿ができた床ずれを看護婦さんたちが発見した。

 

あまりに膿んでいたから、

処置室に運ばれて切開しないといけないほどだった。

 

その状況に

自分が哀れで哀れで、

可哀想で、辛すぎて、、、

局部麻酔だから意識があったけど、

涙が止まらなくなって、看護婦さんが痛い?痛いの?と言ってくれたんだけど、

痛いんじゃなくて、心が辛くてとは言えず。

とにかく涙が止めどもなく出ちゃって、、、結局看護婦さんは眠る薬を入れてくれた。

そして気づいたらベッドにいた。

 

大手術した5日後

あなたの17歳の誕生日

 

初めてベッドを90度近く起こすことができて

食事も食べやすくなって、痛みもだいぶ落ち着いて嬉しかったね。

 

病棟の10人以上か20人くらいだったかのすべての看護婦さんたちが

一枚一枚私あての誕生日カードを書いて渡してくれたね。

看護婦さんたちはみんな応援してくれてたよね。


 

手術からどのくらい経ってからだっただろう。

リハビリ室へ通えるくらいになって、

毎朝少しずつ人工関節を曲げる機械を使って曲げれるように慣らしていった。

 

やっと少しずつ元気を取り戻してきたころに、

また術後の抗がん剤治療が始まった。

 

白、黄、赤、の薬を3クールと言われた。

 

そんなにやるのは、

もう退院日の目処がわからない。

 

というより、

抗がん剤で死ぬと思ったね。

 

髪の毛もなくて、最終的に眉毛も長かったまつげもなくなって悲しかったけど、

吐き気が辛すぎてそんなことはどうでもよくなった。

 

赤の治療が一番つらかったね。

 

胃の中が空っぽなのに吐き気がするから黄色い胃液がでて、

さらに吐き気がするから、緑の胆汁も出た。

 

もう生きてる心地しなかったね。

死んだほうがマシだったよね。

 

そしてあなたは、

病院の屋上へ行った。

 

飛び降りようと思った。

 

すぐに飛び降りれるようにはもちろんなっていなくて、

高い格子があって向こう側にいけない。

 

まっすぐ寝転んで下からくぐれるかなと考えていたね。

 

お昼ごはん食べたあとに、屋上へ行って、

 

今飛び降りないと、今夜からまた点滴をいれられて明日から薬が始まるよ、と自分に話していた。


 

でも、結局、飛び降りれなかった。

 

そして夜、点滴を入れに来た若い医師の先生は点滴の針を入れる丈夫な血管がもうないからやっぱり失敗して、笑、あなたが痛くて泣いたら先生逃げたね。笑。ベテラン看護師さんが来てくれて、上手に入れてくれた。

 

治療中はあなたの周りでたくさんの人が入退院をしていった。

 

整形外科だから、骨折の人も入院してくる。

短い人は数日で退院。

長くても2ヶ月か3ヶ月。

 

あなたはそのときすでに半年以上いて、若い新人看護婦さんたちに教えてあげられることがあるくらいだったね。笑。

 

入院したばかりのころは

英語が好きだったから英語のテストのことを気にして勉強していたけど、

この時期になると死のうかどうかと考えてばかりいたね。

 

お母さんは将来たくさんいいことがあるよと言ってくれていた。

その言葉だけなんとなく頭の隅にあったのかな。

 

術後の抗がん剤治療をしていたころ、

何クール目だったかわからないけど

とてもきれいなお姉さんが入院してきた。

 

30歳の新婚さんだった。

半年前に結婚式をしたばかりという。

 

彼女は2回目の再発だった。同じ骨肉腫だけど彼女の場合は首の骨。

 

同じ部屋のベッドが向かい合わせで、

本当に優しくてかわいいきれいなお姉さんだった。

彼女も抗がん剤治療が始まった。

時期が重ならないときは私の治療中はカーテンを開けて様子を見てくれた。

年の離れた姉妹のような、親友関係になった。

 

旦那さんはカッコいい素敵な人で本当に素敵なカップルだった。

あとから思うと素敵な出会いだったわけだけど、

そのころあなたはもう限界で3クールをする体力と気力を完全に失っていたね。

 

母親も娘が治療で死にかけていると思って、3クールやったところで、再発しない保証はないし、と、

3クール目はやらないで退院することにしたね。

 

入院したころは完全に元に戻って退院できるものと思っていた。

 

でも退院日は、髪の毛もなく、まゆげもなく、まつげもなくて、足も松葉杖無しでは歩けなかった。

 

看護婦さんたちはあなたが病棟からいなくなることが逆に不自然で信じられないと言ってくれてたね。

 

ハッピーな退院ではなかったけど、抗がん剤治療から解放されてほっとしたかな。

 

退院してから、1ヶ月か2ヶ月後だったか、

親友というか戦友というか、あのきれいなかわいいお姉さんは背中や脊椎にも転移して、

結局帰らぬ人となった。

 

あなたは全く涙が出なかったよね。ほんとに1滴も。

だって、自分がすぐ次だと思っていたから。

再発して同じ運命になると思っていたね。

それくらい近い、というより、彼女の存在と同一化していたのかもしれない。


 

そんなあなたに心から伝えたい。

 

本当にありがとう。

 

本当にありがとう。

 

私は今、とても幸せです。

 

素敵なパートナーととても幸せに生きています。

 

これも全てあなたのおかげです。

 

本当にあなたのおかげ。

 

本当にあなたのおかげ。

 

本当にありがとう。ありがとう。ありがとう。



 

過去の自分へ  今の自分より。



 

私は本当に強運だと思っている。

 

同じ病気で足を失った人もたくさんいるし、

命を失った人もたくさんいる。

 

私も足を失う話が出たけど、人工関節で残すことができた。

 

再発であのお姉さんと同じ運命をたどると思ったけど、結局長生きしている。


 

16歳から走ることはできないし、

転ばぬよう注意して生きないといけないし、

長い距離は歩けないけど、

 

短距離は歩ける。

 

自転車に乗ってどこでも行ける。

 

病院では片足を失った人をたくさん見た。

 

足が2本あることは当たり前ではないと思った。


 

体を起こして普通に食事できるのも当たり前ではなかった


 

髪の毛があるのも

 

まゆげがあるのも

 

まつげがあってマスカラつけられるのも

 

当たり前じゃなかった。

 

おしゃれな服を着たり、

 

メイクしたりも

 

当たり前じゃないということを

教えてくれた貴重な経験。

 

過去の私、本当にありがとう。

 

そして今の私、ありがとう。