でも宗教は、いろんな宗派があるにせよ、「人は皆、平等」という教えに貫かれているはず。
今は不平等でも、熱心に一心不乱にお経を唱えれば、あの世で幸せになりますよ、、、
そう囁かれても、目先の不平等さに囚われ、お経を唱える気になれない。
勝手にレースから落伍して、したたかな相手が喜ぶだけではないか、と幼稚園

死ぬ間際に病床で入信する人もいる。
ずーっと前から、幸せな時から信心している人が、それにもかかわらず不幸な状況に陥っているのを側から見て、
客観的にはなんのメリットもなく、救われていないと感じる人もいる。
生死観、宗教観、人それぞれ。
不幸な目に遭って、それがキッカケで入信することが多い。
現況、幸せな人は、さらに満足度を上げるために信仰するのだろうか。
迷いや煩悩、欲を断ち切ったり、祈願達成のために滝に打たれたり、お百度を踏んだりすることがある。
120%頑張って、後は祈るのみ、なんていうのもあるHong Kong PhD Fellowship Scheme
自分のこころと向き合い、奮い立たせる。
これは、上昇に役立つ。

不幸な人も幸福な人も、自分のこころに打ち克つために、なにかをしないと自分を鎮めることが出来ないのか。
居ても立っても居られない。

ちなみに、わたし。
悶々とする、今日この頃。
昨日、元々アップする気のない未公開記事に、わたしの強く深い悩み、嘆きに対する問いにぜひお答えください、と、文末に、特定相手名を追加した。
名指ししたのは故人ばかり。
わたしの父と祖父母。
だが、誰一人と、アドバイスはなかった。
夢に少しでも出て、お告げでもあるかと思いきや、甘かった脫毛學生優惠
怖い顔や悲しい顔、あるいは無表情の顔が無言で現れるだけでも良かったのに。
自分で考えろ、ということだろう。
突き放された。