
日本百名城(2021年3月下旬)(SV650)
【小田原城】日本百名城 No.23
戦国時代から江戸時代にかけての平城。
室町時代初頭は、相模国:土肥氏一族の小早川氏の居城であったが、駿河の大森氏が奪い、その後、文亀元年(1501)に北条氏の本拠地となった。(諸説あり)
北条氏は5代100年に渡り、城下町を城内に取り込んだ、いわゆる総構(そうがまえ)と呼ばれる、総延長10キロにも及ぶ堀と土塁で全体を囲まれた難攻不落な要塞であった。
豊臣秀吉の侵攻に備えて築かれたもので、現在でもその遺構が残っている。
城は天正18年(1590)に3ヶ月の籠城戦を経て豊臣方が勝利。豊臣は天下統一を達成した。
明治に入ってから城は取り壊され、その後修復されたが、大正12年(1923)関東大震災により倒壊。
昭和35年(1960)に天守が再建された。その後も各建物が続々と復元され、平成28年(2016)に耐震改修工事を経て現在に至る。平成18年(2006)日本百名城指定。

二輪専用Pあり 有料 係員に伝えると右手にある鎖のゲートを開けてくれる

当時(昨年3月下旬)は桜が満開であった

各所、とてもきれいに復元・観光化されている

馬屋曲輪

銅門(あかがねもん)
門扉などに金属製(銅)の耐火素材が使用されていたことに由来する。

案内図 大きな城である。これでも当時から見れば中心部だけである。

ようやく本丸が見えてきた

ここまで近づいてもなお、本丸の全容は見えてこない そのように造られている

本丸に到着
復元されたこの建物は鉄筋コンクリート製で、当時とは姿が大分異なるとはいうものの、実際に見るとかなり壮大な建物で、堂々たる立派なものである。

おまけ 総構(そうがまえ)の地図をネットから拝借した
緑色の線が堀や土塁の跡らしく、今でも遺構が残されている。
総延長10キロとも12キロとも言われており、豊臣が後に気付いた大阪の総構よりも規模が大きいと言われる。小田原城が陥落した後も家康は警戒し、この総構の取り壊しを命じている。(それでも壊しきれずに現在に至るのだが)
いくら城が好きでも、余程の健脚でない限り、とても歩こうとは思わないだろう。
マニアな方は是非どうぞ。
おわり