商業高校に進んだので、「簿記や電卓、情報処理の勉強が合わなかったら…」と最初は不安でいっぱいでしたが、好きなことや興味があることにはとことんというタイプなので、「資格を取りたい」と言う気持ちから一生懸命頑張ってくれました。




おかげで幾つか1級にも合格し、ゲームとプログラミングが大好きなので、指定校推薦でゲーム学科がある専門学校に進むことになりました。
中学校は自転車通学になり、部活は本人がどうしてもやりたいと言って運動部に入りました。




学校での生活面は小学校の頃よりは落ち着いてきたように感じましたが、息子の発達障害が学校での生活態度に反映されたり、勉強の理解度も一気に下がり始めました。




中学生になると次の不安は高校受験で、発達障害の子も普通の子たちと同じ試験を受けなければ高校に行けないので、高校選びに苦労しました。




どちらかと言うと勉強が嫌いで、幼稚園のときも小学校のときも絵画で賞をいただいたことがあるくらい絵を描くことが好きで、パソコンを学びたい、3年間頑張った部活も続けたいということから、家から割と近い商業高校を受験しました。





高学年から、県の機関だけでなく他の小学校で行われている通級教室、あらたに小学校以降もかかれる市の機関が出来たことを知り、学校の授業を考えながら息子の為になるところならといろいろなところに通いました。




息子はもちろん、私にとってもハズレはなく、すべていい先生にかかることができ、学校での過ごし方も変わってきたように思いました。




この頃、息子の反抗期を(いつ起こるかも含めて)恐れていましたが全然なかったので、小児精神科にかかることや市の機関、通級教室も問題なく一緒に行ってくれました。




家では、好きなことには「とことん」という感じで、小さい頃から大人でも噛んでしまいそうなカブトムシやクワガタの名前(カタカナ)をスラっと言ったり、ポケモンや恐竜、電車や新幹線の名前を聞いたら答えてくれたりしました。




高学年になるとゲームに夢中で、一応宿題をやってからゲームをやっていました。




学校では、高学年から加配がつかなくなり、授業中にイスをガタガタしたり教室から勝手に出たりして授業態度は悪いけどテストの点はよかったので勉強は理解している感じでした。




登下校の登校班への付き添いは、4年生までおこないました。