義母の叔母が亡くなられました。

100歳を超えての大往生。

独身だった大叔母、強く楽しい方でした。



新婚時代、近くに暮らしていた私達は結婚式に参列していただいた以降も大叔母と交流がありました。

夫ではなく、私が1人で大叔母のお宅にお邪魔する事も度々ありました。


「お味噌仕込んだよ。取りにおいで。」

「野菜があるよ。いらない?」

「天気がよいね。そろそろ顔見せてよ。」

なんて、お電話をいただいて

バイト帰りに車を走らせました。


若さゆえの図々しさですね。


居心地の良い田舎の平屋。

広い縁側でご近所さんも交えてお喋りをしたり、おばさんが買いに行ってくれたケーキを食べたり、一緒にお墓参りに行ったり。


戦争中の話

早くに亡くなられたお兄さんの話

ご両親の話

畑の作物の事


たくさん、たくさんお喋りしました。




私達が家を建てた時も早々に見に来てくれて、義理親より(7人できて『食事代1万円』)多いお祝いを頂きました。



認知症なり、養子にしていた義母の弟さんが引き取られました。

生き辛い時代も田舎で1人生きていた大叔母。

田舎を離れる選択は辛かったと思います。

叔父の家に引き取られてから、すぐに施設入居になりました。


施設は我が家から車で20分ぐらい。

私は会えることが嬉しくて、何度も通いました。

大叔母の好きなリポビタンを買い、車椅子になったのでひざ掛けを編み、

お世話になる施設して方用にお菓子の詰め合わせを持ち。


久しぶりの大叔母は私の事はもちろん、義母や叔父達の事も分からなくなっていました。

働き者だった大叔母は車椅子になっても

テーブルを拭いたり、洗濯物を畳んだり

誰かの為に動いていました。

そんな様子を見られるだけで良かったんです。


それもコロナで出来なくなりました。


会えないままのお別れはやっぱり淋しいですね。



『おばちゃん ありがとう』