一昨年から続いた入院は亡くなるまで1年1ヶ月続きました。


最初に入院した病院は2泊3日の予定。

簡単な手術だという事でした。


実家で最後に見た父はいつものようにソファに座り

「明日、気をつけてね」と声をかけたら

右手を上げ、笑顔で「うん」と。


あの日は夫の赴任地から帰ったばかりで病院に付いて行く事が出来ず、実家での見送りでした。


こんなに長くなるなんて思ってもいなかったから…。




手術は当初の予定とは異なり、大変で途中かなり危なかったようでした。



最初に入院した病院は手術後、2ヶ月で出ないといけないと言われ、退院打診から2日後に療養型の病院に移り10ヶ月。

最後は再度の手術の為に移った病院で1ヶ月。


結局、3ヶ所の病院にお世話になりました。


そんな父の最後の1年ちょっとでした。




コロナ禍の入院は精神的に大変でした。

最初の病院は面会は出来ず、荷物の受け渡しのみ。

どういう状況かはその時に看護師さんから伺うのみ。担当医からは父の体調の変化があれば連絡がくる感じでした。


こちらの病院は以前にも入院していたのでいつものように個室をお願いしていました。

(当初予定二泊三日でしたし)

これは後から失敗したと後悔しました。


コロナ禍での入院は私達が付き添えません。

以前の入院中は昼夜の食事には必ず付き添い、部屋の片付けも家族が出来るし、必要な事も看護師さんに伝えられました。

コロナ禍ではこれが出来ないのです。


看護師さん任せでは部屋の整理も出来ないのか

退院時には大量の下着が部屋中に。

「下着が足りない」「下着が足りない」と言われ

あるはずだけどと思いながらも言われるまま持ち込んだ結果です。


食事も1人だと無理してまで食べない事が続いていたようです。

以前の入院では「娘に無理やり食べさせられた(笑)」と言っていましたから。


大量の下着より後悔したのは父の言語力の低下。

個室だと呼ばなけれ人は入ってきません。

ナースコールを躊躇する父には向かなかったん

です。

話す事も減るし、誰かの話し声なと耳からの刺激もないとなると言葉が出なくなりました。


看護師さんからは

「しっかりされてますよ」

「リハビリ頑張っていますよ」と聞いていましたが2ヶ月後に会えた父はゲッソリ痩せ、頭を上げているのも辛そうな、座っているだけでも苦痛な様子で見る影もなくなっていました。




次の10ヶ月お世話になった病院は面会ができるのは月に1回程度。10分ぐらい。

父の様子は週に1回の荷物の受け渡し時に看護師さんから伺えて、体調の変化や必要な物があれば、その都度、医師や看護師から電話がありました。


こちらに移ってからは少しずつ良くなっているようにみえました。






長い話になります。

私の記憶と気持ちの整理をしながら綴っています。