いろいろな分野で体罰に関する話しが噴出してます。


いろいろと意見があるので、どれが正しいとか、どう

あるべきとか・・・

正解がある訳ではありません。


私は昔の人ですから、体罰はあって当たり前だと思

っています。

だから、体罰がありそうな運動系部活動はやりません

でした、と言うか、やりたいと思いませんでした。


運動自体が苦手とか嫌いな訳ではないのですが、

運動することで受ける肉体的影響以外、平たく言えば

競技中の怪我以外で肉体的・精神的に痛い思いを

するのは、本来の目的から逸脱しているという考えが

あったからです。


部活動というものから、教室内の勉強では得られない

モノがあることは認識していますが、嫌な思いをしながら

続けることに、その後の人生に重要な要素の存在を

見出すことが出来ません。


途中で止めてしまうリスクがあるのも否定はしません

が、自分自身が病んでしまっては意味がありません。


体罰は言葉で説明するよりも簡単に自分の気持ちを

表現出来る手段に過ぎないと仮定し、逆説的に言うと

口で説明することが不得手な人が使う手段と言える

と思うので、私はそれに頼っている人のことを尊敬する

ことが出来ません。


つまりそんな指導者の下で指導を受けても楽しいと

思えないし、上達もしないと思うのです。


名選手は必ずしも名監督にあらず


という言葉があります。


本人の努力やセンスによって輝かしい実績を残した

としても、努力の度合いやセンスが異なる他人を自分

と同じ実績を残す選手に育てることは簡単なことでは

ありません。


何でこんな簡単なことが出来ないのだろうか?


こういう気持ちが盛り上がってくると、言葉よりも手や足

が出てしまう背景は判らなくもありません。


しかし、他人は自分とは違う


という当たり前のことを忘れてしまっては、指導者として

は失格だと思います。


言葉で説得し、納得させて方向性を修正させることが

本来の指導ではないでしょうか。


指導には、考えることが必要です。


どう言えば端的に正確に他人に伝えることが出来るか


ということを考えるのです。


言葉という一次元的な手段によって三次元の動きを

説明しなければならないのですから、大変なことです。


言葉だけではなく自分自身がやってみせる


という方法もあります。


要は、他人が正しくイメージ出来て自分のものに出来

ればよいのです。


何の脈絡もなくダラダラ書きましたが、


本来、指導方法に体罰という手段はない


ということが言いたかっただけです。