子供を生まない罪悪感 | 天使のエッセイ

子供を生まない罪悪感



先日、稲垣えみ子さんに関する記事を書いたけど、

(ミニマライズ!稲垣えみ子さん好き!)



稲垣えみ子さんについて知って、いろいろなことを検索している時に

稲垣えみ子さんが「あさイチ」というテレビ番組で

「子供を生まない人生」について取り上げられた時に
ゲストとして呼ばれた時のことが書かれたページを見つけた。



私自身が子供を生まない人生を選んだ人間であったこともあり、

そのページを結構複雑な気持ちで読んだ。




それを読んでいて、一番私自身が不愉快に感じたのは、

そういう子供のいない人生を選んだ人たちに対する
ある否定的なコメント!


「子供を持たない、と主張することが
『よく言った』と賞賛されるとは、
愚かな女性が増えたものだと落胆します。(中略)
少なくとも、私の子どもが汗水たらして働いた税金を
あなたの老後に使って欲しくないです」”


(ページから引用)


このコメントには個人的に非常にムカムカーッときた!



その言葉の裏に

「子供のいない女性が子供のいる女性より劣っている」

「子供を持たないことは罪である」

「そう思え!」


・・・・・というような隠れたメッセージを感じるからだと思う。



その考え方は
古くからマジョリティーの人間たちが信じてきたことでもあり

たとえば、キリスト教の聖書の中などでも人々に刷り込まれた
人類の中に根付いた偏った価値観のように思える。




けれども現実的には
身体的理由、経済的理由、その他、
様々な理由から子供を持つことができない人たちというのもいるわけで、


こういったメッセージには
そんな人たちも含めて、すべての子供のいない女性たちに対して

「劣等感」「罪悪感」を感じるべき!

・・・・といっていることになると思う。



もちろん、そういうコメントを平気でする人たちというのは

そんな深くにあるものにまでは気づいていないと思うから、
そう指摘しても

「そんなものはない!」と言い張るのだろうけど・・・・・。




けれども私自身がそういうコメントに対して
これだけ反応をするというのも、

実は自分自身の中にもそれとまったく同じ信念が

根付いているからなのだと思う。



「自分のような子供のいない女性は
子供のいる女性よりも劣っている」


「自分のような子供のいない女性は
人生の中ですべきことを怠った人間である」



・・・・そんな信念が
自分自身の中にもどこかに根付いているのだと思う。



そうでなければそんなコメントを聞いたって、


「えっ?なにバカなこと言ってるの?この人!」

・・・と思うくらいか、

もしくはその人の言っていることの意味さえわからないだろうと思う。




ちなみに稲垣えみ子さんは、
その番組の中では、あまり発言をしなかったという。

「皆さんがそこまで深刻にそのことについて考えていることに驚いた」と
稲垣えみ子さんは言っている。



そして多くの人たちに「よく言った!」と賞賛された、


「子どもを産んで育てる人生ではない、
別の人生を望んでいました。
今でも、一片の後悔もないです」”

(ページから引用)

・・・という言葉にも違和感を感じたと言っている。



稲垣えみ子さんはおそらく、

そういう言葉や、
その言葉に対する人々のリアクションの奥にあるものを感じているし、

そういうことのずっと深いところにある
もっともっといろいろなことが見えているのだろうなあと思った。


(このページの後半で稲垣えみ子さんが言われていることも、
すごくいい!かつ、とてもシンプル!

興味のある人は是非このページ をご一読あれ!)




それと比べるとわたし自身は

「子供を生まない人生に後悔はありません!」と言ったり、
それに賞賛するレベルですわ^^汗


それは結局、自分自身が自分自身の中にある
「子供を生まない罪悪感」と戦っている証拠だよね。汗



それが後悔するべきことだとどこかで思っているから

「後悔ありません」という言葉が出てくる!


それがその人の中で後悔するはずもないことであれば、
「後悔」という言葉がその人から出てくるはずないよね。


たとえば


「わたしは今まで人を殺したことがないけど

それにまったく後悔はありません」


・・・・なんていう人はいない。




私自身が子供を生まない人生になった理由には、

経済的理由、身体的理由、心理的理由、その他、
いろいろな理由があるのだけど、

本当はこういうことって
そんなふうに理由をつける必要すらないことだよね。



子供を生んだことに対して
理由付けする人など誰もいないけど、

子供を生まなかった人は「なぜ?」ときかれたり、
言い訳をしなくてはならないことが多いって、

それ自体よく考えてみるとすごく変???


(子供をいない人に、
『子供が欲しくない』『妊娠できない』『相手がいない』
その他、それぞれに様々な理由があるのと全く同様に、
子供がいる人にも
『子供が欲しかった』『できちゃった』『相手が欲しがった』
などなど、それぞれにいろんな理由があると思うけど、
理由を聞かれるのは子供のいない人だけだよね・・・???)



子供を生む人も、生まない人も、

みんなそれぞれにそれぞれの人生を生きていく中で
自分で自分の人生を選んできているわけで、

どんなことでもすべて自分が選択したもの中には
いい部分もあれば、あまりよくない部分も両方あって、

どの選択がどの選択よりいいとか悪いとかはなく、

ただそれぞれに選んできたものが違うというだけのこと。



違うものを選んだ人たちを否定したり、嫉妬したりする代わりに、

受け入れたり、認めていったり、
さらには興味を持ったりできれば、

違うもの同士が否定し合ったり、
ぶつかり合ったりする必要もなくなるよね。




私自身の中にも非常に強く根付いていた

「子供を生まない罪悪感」


そろそろ本気で手放していきたいよ。


そうしないと自分自身の人生に対する否定をやめられなくなって、
自分自身の人生を楽しむこともできない!




人間誰もにとって、

一日は24時間。

一年は365日。


それを何に使っているかがそれぞれに違うというだけ。



みんなそれぞれにそれぞれの時を生きてる!

宇宙は誰に対しても公平なんだよ!キラキラ






「ハッピー♥バイリンガル}
アップ
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