私は今ソーシャルワーカーとしてバリバリと働いている。でもこれは計画通りのキャリアではない。

元来がのんきなたちであまり将来のことを考えないのでキャリアなどはあまり深く考えない。 日本にいたときは某お嬢様短大を卒業し、一般企業に事務員として就職して元旦那に出会って21で結婚して退職した。

専業主婦に半年もしないうちに飽きてしまって、近所の雑貨屋で働いた後、横浜の司法書士事務所に勤め、それでも飽き足らず、国際交流のボランティアで夫を残してオーストラリアへ渡航したのが25歳のとき。結局離婚になって(すべて私のせいです)、オーストラリアでアウトドアの学校に行き始めたのが26歳ぐらいのとき。

英語もままに話せない割には楽しいときを過ごして、ロッククライミングとカヤック、ロープスコースの資格を取った後、日本に一時帰国。こんな私に仕事がある訳でなく、草津温泉の旅館で 中居でお金を貯めた後アメリカのキャンプで働いた。 (中居で働いたとき意地悪な人がいて泣かされたなー)

キャンプでは子供達にアウトドアの素晴らしさを教えることができて楽しかった。私の主な仕事は、ロープスコース、木の中に張られたロープを歩いてい渡ったり、グループでいろんなチャレンジに取り組むのをアシストしたり。私にあった仕事だったようで、引率の大人達からよくお褒めの言葉をもらっていた。高いところに張られたロープを歩いて渡るのは安全の綱につながっていても慣れない人にはとても難しいことなのだ。地面で安全の綱を握っている私がチャレンジしている人をいかに落ち着かせ、状況の判断をさせるかが成功にかかってくる。なぜか私はこれが性に合っていたようでロープの上で泣き出してしまった子供達を落ち着かせ成功に導くことができていた。

大好きだった仕事だが、収入は低い上、50-60歳になってはできない仕事だとわかっていた。

キャンプを離れ、ニューヨークで不動産の仕事に就いた。私が持っていたのはJ-1ビザという特殊なビザで、ビザが切れた頃不動産屋のオーナー(日本人)は学生ビザを取るように暗示して(はっきり取れとは言わなかったのだが、どこに行けば偽の学生ビザが手配できると教えてくれ、学生ビザアあればこのまま働けると言われた)。

今思ってみれば、違法で私の権利は保障されない悪質な労働違反なのだが、アメリカにいる以外は仕事が見つからないと思っていた私はこの偽学生ビザを取して、不動産屋で働いた。ニューヨークにくる日本人に不動産を斡旋する仕事だった。 もし、英語がある程度話せれば手数料を取られることなくアパートが借りられるのに、英語が話せないばっかりに仲介料を取られる日本人たち。当然のサービスと言えばそれまでのことだったが、私の性には合わない仕事だった。

不動産屋をやめた後、しばらくはニューヨークの Weekly apartment で仕事をしたが、9-11の後日本人の観光客が減りアパートのビルディングは売りに出されてしまった、 新しいオーナーのもとで働くこともできたのだが、自然が懐かしすぎてウィスコンシン州の大学でアウトドアの学士を取ることにした。

英語をろくに勉強したことの無い私がアメリカで大学に行く。大学では当たり前のようにレポートを提出しなくてはならない。いったいどうやって乗り切ったのか、あまり覚えていないが30代前半にして大学学士、アウトドア専攻で取得した。

ウィスコンシンは冬が長過ぎるという旦那の意見に従いオレゴン州へ引っ越したのが2004年。

障害のある人達のための施設でしばらく働いたが、オレゴンはあまり好きではなく1年未満でウィスコンシンへと出戻りした。 その後ユタ州にあるウィルダネスセラピーのプログラムでガイドとして夏の間働いたりした後、ソーシャルワーカーの修士課程に入学したのが2007年。学校はミズーリ州にある Washington University in St. Louis.

ウィルダネスセラピーも性に合っていた。もともと自然が好きなので8日間フィールドで子供達と過ごすのも苦にならなく、バックパックを背負って毎日子供達と一緒に野山を歩き回っていた。ユタの高地で凄まじい雷に合ってずぶぬれになったり、夏なのに雪に合ったりして自然とであった頃が今でも懐かしい。


もともと学校が性に合うのか、苦もなく卒業してカリフォルニア州で Child Welfare Services のソーシャルワーカーとして採用されこの5年間児童虐待のソーシャルワーカーとして働いてきた。仕事としてはいい仕事だと思う。ストレスは高いがやりがいのある仕事である。 日本で言う公務員なので保険や有給休暇などもそこそこに良い。

これを一生涯のキャリアにするか。 

いったいどうやってキャリアを決めればいいのだろう。現在の仕事は人並み以上に(英語がセカンドラングエージでも)できる自信はある。元々人助けをするのは好きだからソーシャルワーカーは性に合っている。ストレスさえ無ければ続けられる気もする。

博士課程に行きたいと思う気持ちもある。年を考えると、このまま仕事を続けた方がいいのかなという気もしなくてはない。

日本と関わる仕事をしたいと思う気持ちも少しある。 

皆さんはどんなキャリアをお持ちですか? 



2012年の11月にオレゴン州のソーシャルサービスへ転職しました。

ちょっと気分を変えたかったのでインタビューを受けて一ヶ月後に引っ越しという大忙しのあと、仕事に追われ続けて、あっという間に一年半が経ってしまいました。

仕事の内容は Child Welfare なのでそんなに変わりはないのですが、州がかわるとシステムが変わり一年半経った今やっと、落ち着いてきたような気がします。

とは言え、この仕事は本当にストレスが高い仕事で、毎日大忙し。

カリフォルニアと違うのは、法廷でソーシャルワーカーの弁護士さんがいない点です。カリフォルニアでは DHS (Department of Human Services) の代弁をしてくれる弁護士がいたので、法廷に提出するレポートを書いた後は、弁護士がレポートをチェックしてくれ、法廷でもDHSの代わりにすべて発言してくれるので、証言を要求された以外は法廷で発言をしなくてもよかったのですが、オレゴン州はDHSの弁護士は裁判にならない限り法廷には来てくれません。法廷で判事さんが直接DHSに質問するので私が答えなくてはなりません。

これさえ無ければ、仕事が好きだと言えるのですが一年半たった今でも法廷で発言するのは慣れません。

ついこの前証言台で質問攻めにされて、ストレスたまりすぎ、という感じです。 ソーシャルワーカーは弁護士ではないので法廷では尋問されるだけです。難易か言いたいことが有っても誰か(両親の弁護士、子供の弁護士、判事さん)が質問したことに答えるのみなので、自然に不利な立場になってしまうというのが実情です。 個人的に裁判の勝ち負けには興味が無いので、遣って行けますが、人によってはその判決がよりストレスのもとになってしまう人も多いようです。

弁護士はそれが仕事なので、ケースによってはソーシャルワーカーをボロクソに言う人もいて、それをいかに個人的にとらえないかがこの仕事を続けていける秘訣とも言えるようです。

ストレスが多くて、ああまた仕事かえようかな、なんて思ってしまう今日この頃です。
6ヶ月近くもさぼってしまいました。

忙しかったです。まだ忙しいです。


違う部署に空きができて応募した所、選ばれました!
近く、 "Independent Living Skills Program Coordinator" として、働き始める予定です。
いつから始められるのかはまだ未定。

今いる部署が忙しすぎて移れないのが実情です。

今度の部署は16歳から21歳までの若者が相手です。 フォスターファミリーで生活せざるを得なかったこれらの若者の手助けをする部署です。彼らに独り立ちするスキルを供給するのです。

ティーンと働くのが好きだったので、選ばれてラッキーです。
大学、大学院とティーンの問題を中心に勉強してきたかいがありました。

インタビューでは予想外に難しい問題をされたのでだめだったかと思ったのですが、選ばれました.

今働いているファミリーと別れなくてはいけないのが悲しいのですがやっぱり嬉しいです。

がんばります。


せっかくのタホである。

朝早くに目が覚めたのでジョギングに出ることにした。

青空が広がり、さわやかな風が吹いている。


まだ町の様子もわからないのでとりあえず大通りを走り始めた。しばらくしてUターンをして戻って行くと、道の表示に "Welcome to California" と書かれていた。

知らないうちにネバダ州まで走っていたのだ。

実はホテルの前から一つ目の信号がある所が州境だったのである。 これから毎日2州を股にかけて走ることができる。

しばらくはいい気分で走っていたがじきに、息が上がってきた。


すっかり忘れていたのであるが、タホ湖は標高が高い。 6225フィート、1897メートルである。
海抜ゼロに近い海岸の町からやってきた私の体には、ちょっとびっくりなのである。


あまり無理をして倒れてもいけないので、初日ということもあり、良い言い訳になるので、そこそこにしてホテルに帰り、ニールにネバダまでは知ってきたと行ってびっくりさせた。

標高に慣れずに、息が上がったとはもちろん言わなかった。

これで今日も一日大食いができる。


ちょっとでも運動すると、いつもよりもたくさん食べていいような気がする。
アイスクリームとかピザとかを食べてもいいような気になるのである。

カロリーの差し引きがプラスになっても何となく大丈夫なような気になってしまうのである。


このままでは日本に帰れない...
Lake Tahoe にやって来た。

一週間のバケーションである。 サクラメント方面から高い雪山を超えるとタホ湖が視界に入ってくる。
なかなかの絶景である。

サウスレイクタホの町中に入り目指す宿泊地にと到着する。
ベッドルームとバスルームが二つずつで、二つのベッドルームの間にキッチン、ダイニング、とリビングルームのある豪勢な宿である。

私のうちより大きい...

タイムシェアを持つ両親のおかげである。

両親は既に到着していた。 時差ぼけに苦しんでいるようではあるが元気だ。


早速、夕食を食べに出かけた。
4人とも初めてのタホである。

車は、valet parking, すなわちホテルの人が駐車場に運転して行ってくれる仕組みで、車を使うときにいちいち頼んで出し入れをしてもらわなければならない煩わしいシステムだ。

もちろん、チップを渡す必要も出てくる。 サービスを受けるにはお金がいる訳だ。

面倒くさいしお金もかかるし、歩いて行ける所でよるご飯を食べようと言うことになった。


4人の優柔不断な人間が食べる場所を探すのは、本当に時間のかかるものである。
結構歩いてやっとインディアン料理も店に入ることに。

テーブルの全面にドデカいインド美人の肖像画が描かれている。 
入ったときはがらんとしていたが、私たちが入った後に何人かお客さんが入ってきた。

インド料理は、一見量が少なく見えるが、いざ食べ始めるとかなりおなかがいっぱいになる。

ご飯、ナン、パパドム、そして様々なカレーをちょっとずつ食べたらもうお腹がいっぱいで、もちろんデザートはパス。



お腹いっぱいになって外に出ると、辺りはすっかり暗くなっていて、空を見上げたら大きな北斗七星が輝いていた。