19の頃、高校生だったゆう子の気持ち。


どこまでいっても、これは俺の推測でしかないが・・・ようやくわかった気がした。


彼女は、宗教とその教え、親に対する気持ちと俺への気持ちで板挟みになっていた。


信者以外との異性との交際、それは単に認められないだけじゃなく、破ればサタンの誘惑に負けたという罪悪感であり、育ててくれた親への裏切り行為。


万一会衆に知られれば、審理委員会という名の一方的な裁判。自分だけでなく、親の立場も危うくなり、最悪そこからの、排斥・忌避による家族崩壊・社会的抹殺だ。


それは、見つかるのはヤバかったよね。。


しかしここまで、ゆう子の宗教がエホバだと断定的に書いてきたが・・・


彼女はどの教団の信者だったのか。エホバの証人なのか、あるいは当時世間を騒がせていた統一教会だったのか、実際のところはわからない。


しかし、細かい教義の違いはあるだろうが、調べていくうちに分かったのは、その本質は同じだということだ。親への忠誠、コミュニティからの忌避、そして自由な恋愛の禁止。彼女はその巨大な構造の中で、踏み絵を踏まされたことに変わりはない。



そんなことを、俺に説明できるか?信じてもらえるか?信じたところで、俺が深入り(入信)しようとしたら。。どうするのか?


そうなれば、俺の人生も巻き添えにしたことで、更なる罪悪感に苛まれる。決して彼女はそれを望まなかった筈だ。


だから俺に嫌われる覚悟で、あえて何も言わずに姿を消した。自らの気持ちを犠牲にして。。


17歳の女の子にとって、こんな過酷な宿命ってあるんだろうか。


今、あの頃のゆう子に会ったら、何も言わず抱きしめてあげたい。。


そして、26歳の再会時のゆう子。


あの時、彼女から声を掛けてきてくれたってことは、完全に教義には染まっていなかったと思いたい。


俺に一度だけ、電話をくれたのも、親や教義に反することだから、相当の罪悪感を抱えながら、勇気を振り絞ってかけてくれたに違いない。


結局、すれ違ってしまったけど。。


俺も彼女も、お互いを尊重した結果だった。


今もし、あの時の電話で話が少しでもできてたなら、こう言ってあげたい。


「詳しくはわからないけど。。事情があるんだろ?
話したくなったら、いつか話してほしい。俺はいつまでも待ってるから。。」って。



あれから35年も経って、ようやくあの頃の答え合わせができたと思う。



ゆう子が知ったら、なんて思うだろう?


今頃??遅すぎでしょ・・・かな笑


まだ、覚えててくれたんだ。・・・かな笑


あんた、誰?・・・だと悲しい笑



彼女も51歳だ。あれからどんな人生を送ったのかは、わからない。


もし子供がいれば。。もうあの頃の俺達と変わらない年頃だろう。


わからないが・・・せめて、自分の為の人生を生きていてほしい。


自分の幸福のために、自分自身で考えていてほしい。。



俺は、しわくちゃの老人になっても、彼女のことは忘れないだろう。


ゆう子は俺が愛した人として、心の隅にいつまでも灯り続ける。



終わり