猫華の毎日。 -12ページ目

外国人の介護

割と前から思ってるんだけど外国人がいっぱい住み着いた今、外国人向け(もしくは帰化した元外国籍の方向け)の介護施設とかサービスとかってあるんだろうか。 
何の知識もない人間が偏見だけで言うのを許してほしいんだけど、やっぱり認知症とかで日本語をすっぱり忘れちゃう人とかいるのかな。
もしくは混ぜて喋っちゃう人とか。
日本語が通じなくなってしまったらまあ(施設とかは)無理かな……って思うけど、日本語が理解出来る状態だったら外国語喋り出す人でも大丈夫なのかな? 
一人っ子だし母も母の妹もまとめて面倒看る(覚悟は決めている)つもりなんだけどめちゃくちゃ長生きしそうだからちょっと気になった。
私の方が先に…とかありそうなんだよな。
いや長生きするならしたいけど。
ただただ素朴な疑問……

19歳

誕生日おめでとう自分!!!!!!!
今年は楽しくいこうね!!!!!!!
楽しそうなことにはどんどん首突っ込んでいきたい。
楽しくないと生きていく意味がないぞ。
お前の人生はお前のためにあるがお前だけのものではない。
いろんなことを弁えながら生きて行こうね。

生存確認はついったでどうぞ(投げやり)。
気が向いたら多分ブログも更新するかもしれないししないかもしれない。
最近このブログもついったも全てが黒歴史すぎて現実の知り合いレベルの人にバレたらどうしようと思っている……。
現実ネット上問わず大好き♡な楽しい友人たち♡(媚を売っていく)のLINEやらSkypeとかの連絡先はほぼ確保している(はず)(私を友人認定して頂ける人は至急連絡先を教えてほしい)(いつでも暇♡だし何の話でも聞くしなんでもいいから絡んでほしい)(寂しい)からたまに全てを消し去りたくなる。
なることにはなるけど消すのも消すのでダメージくらいそうだから消さないんだよね♡

来年20歳?成人?
嘘でしょ……

2016

あけましたね~。
なんか事前に書いてた新年記事用の下書き見たらめちゃくちゃネガティブなこと書いてあって笑っちゃった。
もうちょっと明るく気楽に生きていきたいな。
あと痩せる。

今年もよろしくお願いいたします。

誰のため

完璧主義と同時に負けず嫌いだった。
自分自身の期待に負けたくなかった。
でも負けた。
負けても親戚や親からの期待は続いた。
私は自分のことを人形のようだな、と思った。
親や親戚の言うことは断れないし、逆らえなかった。
やりたくなくてもやったし、やりたくてもやれなかった。
でも、それが私の自己主張が足りないせいなのは分かっていた。
否定されるのが怖かった。
だから何も言えなかった。
それに、心から「嫌だ」とか「これをやりたい」と言うほど情熱がある訳でもなかった。
大人の機嫌を損ねるより自分が我慢した方が良いと私は判断した。
争い事を徹底的に避けたかった。

思えば私は大人の言うことを聞くだけしか出来ない人形だったのかもしれない。
はじめて辞めた習い事はピアノだった。
幼稚園の頃だった。
ピアノの先生はあまり評判が良くなかった。
多分その先生は大人しい母親たちに嫌味を言っていたのではないかと推測する。
私の母は強烈だ。
ピアノの先生は私の母が苦手だったらしかった。
他の習い事からギリギリの時間で来るのも気に入らなかったのではないかと思う。
ある日、ピアノの先生に「辞めたら?」と言われた。
ピアノが嫌いな訳ではなかったし、弾く曲も嫌いではなかった。
ただ、言われた言葉が頭の中をぐるぐる回った。
記憶が確かであれば、そう言われたその日に私は親に「ピアノ、辞める」と申し出た、と思う。
大人の言うことは絶対なのだと信じていた。

英語もバレエもやっていた。
私は完璧じゃなかった。

私は完璧じゃなかった。
私は負けた。

人形じゃなくなった私は、ただの面倒くさくて重い、すぐ泣く子供だった。
いつまでもいつまでも、過去を回想して後悔して泣き出す、馬鹿みたいな子供だった。

何のために生きているのか分からない自分がいた。
親を喜ばすために生きてきた?
其れとも親戚のため?
まともな学校に行かなきゃ、まともな職に就かなきゃ。
まともなお給料を貰って、まともに結婚しなきゃ。
まともに子供を産んで、愛情いっぱいに育てて、働いて、親や親戚に恩返ししなきゃ。
まともじゃない私に出来る?
完璧になれなかった凡人なのに、普通になれなかった。
赤子の頃の方が手のかからない良い子だった。
赤子の頃よりも泣きそうになっている自分がいる。
赤子より役に立たない自分がいる。

今から何か希望を持つことが出来るのだろうか?

完璧主義と私

私は小さい頃、かなりの完璧主義だった。
昨日より進化した自分でなければ満足出来なかった。
どこまで手を抜けばいいのか指示がないと延々1つのことを完璧にしようとする。
時間の概念もあまり分かっていなかった。

計算する速度が昨日より遅ければ泣き叫んだ。
字が自分の思うように書けなくて、あの小学校1年生の大きなマス目のノートですら1ページ2時間かかるのが当たり前だった。
毎日泣いていた。
毎日母もそれに付き合ってくれていた。
うざったそうな時もあった。
私は母の態度にも完璧を求めていた。
とても面倒だったと思う。
国語の教科書を読むのが下手だということが嫌だった。
だけど家の外で感情を出すのがどうしても怖かった。
植物の観察で、葉脈の図と感想を書かなければならなかったのに、はたからぐちゃぐちゃに見える程葉脈を書き込み、時間が足りなくて感想が書けなかった。
多分初めてまともに怒られた。
外で泣くのは気持ちが許さなかった。
でも何かに負けたんだと思った。
一週間ずっと落ち込んでいた。
私はなんのために完璧でいたかったんだろうと思った。
でもその前に運動が出来ないことで完璧でいたいという気持ちはとうにボロボロだった。
自分は運動の才能が無いんだ、と自分に言い聞かせて落ち着かせた。
自分自身が完璧でない自分に価値を見出せないことは分かっていた。

ある時、休み時間に誰と遊んでいるのか、というアンケートを書かされた。
私に友達はいなかった。いる訳なかった。
休み時間は校庭にいる鯉に心の中で話しかけるだけだった。
鯉の辺りに人が居れば逃げるように校庭を周った。
アンケートに他人の名前を書くことは出来なかった。
帰りの時間までずっとアンケートと睨めっこをしていた。
最後に恐る恐る提出した時先生に睨まれたような気がした。
「誰とも遊んでないの?」と聞かれた。
酷い顔で力無く頷くことしか出来なかった。
--友達がいないって、そんなに駄目なことなのかな。
初めて大人から「友達がいない」というレッテルを貼られた、と感じた。
--友達がいないのって、多分完璧とは程遠いんだろうな。
私はついに、表面上、完璧を諦めて手を抜くことにした。
これ迄何時間も付き合わせてしまっていた母も、恐らくほっとしたのだと思う。
私は平穏を手に入れた。

私は完璧を求めなければ割と勉強は出来なくはなかった。
でも、やっぱり、何かが足りなくて、焦りがあって、怖かった。

自分でも今迄何故素を出せないのかと不思議だった。
私の素は出来ないことに遭遇すると泣き喚くただの子供。
きっと生まれた時から何一つ成長していない。
まだ自分に期待する自分がいる。
悟られたくなかった。
何かに追い立てられているのに、もうそれに応えられない。
自分から捨てた。
でも子供のまま。
捨てても成長出来なかった。
じゃあ捨てない方が良かった?
無力感。
いつも自分を偽ってばかり。

多分私は頭がおかしいのだと思った。
おかしくなるほど悩んだのだからもう手放しても許されると思った。
誰に?
自分自身は許していないのだろう。

現実逃避が趣味。
散々言ってきた。
私は思う、きっと学校すら現実逃避なのだと。
だから多分通えている。

目を背け過ぎた。
もう遅い。