『徒然草』第百四十二段の後半を読んで考えたこと。
ここで兼好法師が説くのは、単なる道徳論ではなく、極めて現実的な、「衣食足りて礼節を知る」、という社会の要諦である。
「生活が困窮すれば、人は恥を捨て、盗みさえする。それをただ罰するだけで、飢えや寒さを放置するのは政治の怠慢である」。
この段は、現代の格差社会や、相次ぐ負担増に苦しむ私たちへのメッセージのように響く。
兼好法師は、人々が法を犯す根本原因は、個人の資質というよりも、そもそも「恒産(こうさん)」――安定した生計、の欠如にあると明言する。
まず上に立つ者が贅沢を慎み、民の生活を安定させる。その土台があって初めて、社会の秩序は保たれるという。
「セーフティネットの不備を個人の自己責任にすり替えていないか」「負担増を語る前に、権力者の奢りや無駄はないか」。700年前の随筆は、現代の為政者に対し、法という決まり事を説く前に、「まず腹を満たせ」、と静かに、しかし鋭く迫っている。
法に血を通わせるのは、まさに為政者の最大の責務であろう。
「武道初心集」という本をたまたま手にしてパラパラ読んでいたら、「古人の言葉にも、『恒産なければ恒心なし』とある」という一説があった。
調べると徒然草142段の後半のことだろうと思われた。
読むと、上のように、鋭い指摘である。
142段後半の現代語訳は次のようである。
世を捨てて出家し、万事から解放されて身軽な人が、家族などの「ほだし(束縛)」が多い世俗の人を見て、彼らが万事にへつらい、欲深い様子であるのをむやみに見下すのは間違いである。その人の立場になって考えてみれば、本当に愛おしい親のため、あるいは妻子のためならば、恥を捨て、時には盗みだってしかねないのが人間なのだ。
だから、盗人を縛り上げ、その過ちばかりを罰するよりは、世の人々が飢えず、寒さに凍えることのないように政治を行ってほしいものである。人間は、一定の財産(安定した生活)がないときは、正しい心を保つことができない。人は困窮しきって、はじめて盗みをするのだ。世が治まらず、凍え飢える苦しみがあるならば、罪を犯す者は絶えることがない。人々を苦しめ、法を犯さざるを得ない状況に追い込んでおきながら、それを処罰するというのは、あまりに不憫なことである。
では、どうやって人々を恵むべきかといえば、上の者が贅沢や無駄遣いをやめ、民を慈しみ、農業を奨励すれば、庶民に利益が及ぶことは疑いようがない。衣食住がまともであるにもかかわらず悪事をする人こそを、真の盗人と呼ぶべきなのだ。
この段、前半も興味深い。
関心のある向きは、是非全体を味読していただきたいと思う。