「決断するとき」を観に浜松のシネマイーラまで出かけた。
映画はいささか難しく、観終わった後で少し調べたら、なるほどそうか、こんなことなら予習しておけば良かった、と思ったが、2回も観ることはできないし、そもそも今日が最終上映。BSの放映を待つしかなさそうだ。
アイルランドの史実に基づく映画ということだが、テーマは人権侵害あるいは蹂躙。というと、こういう言葉はかなり抽象的で、わかったようで実はよくわかっていない場合が多々あるのではないだろうか。観念的、さらには観念の遊戯、という語もある。
個々の具体的な事実が積み重なって、それらを一括すると「人権侵害」「人権蹂躙」という抽象的な一語にまとめられる。
「人権侵害」がテーマと言っても、その前に「宗教社会による」を付け加えると具体性が少し増す。時期はクリスマスを迎える冬。キリスト教社会で最も大切な行事で、人々の生活にも宗教色が増す。
映像と音響で、大規模な人権侵害を形成する個々の行為が描かれ展開して行く。映画はそれらを積み重ねていくことで、目指すテーマの抽象性に色彩や重みをつけ、観るものに迫ってくる。
もっとも、小説にもそういう力はある。
ということで、原作も読んでみたくなるのだが、読みたい本も観たい映画も目白押しで、困ったものだ。
こんなことを考えたのは、「宝島」(真藤順丈著)の朗読を聴いたからである。この頃は小説を朗読で聴いている。
この小説は米軍占領下の沖縄の人々の筆舌に尽くしがたい苦難を描いている。時には聴くに耐えないことも書かれている。行政権、ことに警察権、そんなものは形だけ、ないと同じ、荒っぽい米兵は戦場での辛い経験や飲酒の勢いなど事情は様々だろうが、ともかく米軍統治下、やりたい放題、治外法権。異民族支配下の苦難の日々。
さらには、米軍占領前の、旧日本軍による蹂躙もあった。非戦闘員を巻き添えにして夥しい犠牲者を出した。国を守る軍隊が、あろうことか一億総玉砕を叫ぶに至り、国を滅ぼす軍隊に成り果てていた。
権力による暴虐の歴史が続いていたのである。
これらの事実は、いわゆる平和運動以前の、根源的な問題である。この積み重ねの先に、基地撤廃の運動がある。反基地の考えは被占領下の苦難の歴史に根を張っている。いきなり平和希求が生まれたのではない。
平和学習というのも、こうした大変な苦労を抜きにしては、たとえ反対運動の現場に出向いたとしても、観念の遊戯の域を出ることはないだろう。
さて、映画を観終わって駅に戻り、餃子の石松をのぞくと、空席がある。来た時は昼頃で、行列であった。やれやれ、ここで遅い昼ごはんにありつけた。この店はスマートEXのログイン画面提示で一割引になるという。これはありがたかった。
スマートEX、ジパング倶楽部が使えない期間に出かける用事があって使い始めた。交通系ICカードを登録するとそれで出入札できる。豊橋名古屋間は早特割引で片道1400円というサービスもある。駅まで出向いて切符を買わなくてもいい。現役世代には便利だろう。ICカードはケータイより軽薄短小。
その後、遠鉄百貨店で京都祇園の香鳥屋が臨時出店しているというので、のぞいてみた。昭和天皇・皇后陛下の御還暦を慶祝してビーズバッグを献納したという、ハンドバッグや袋物の名店だそうだ。一見、祇園の粋をカバンにするとこうなるのかね、都の華ここにあり、という感じで、バリバリの庶民には、きつい目の保養であった。
地下でパンなどを買ったが、そのそばに、こじんまりとしたカウンターだけのコーヒー紅茶コーナーがあった。なかなか良さそうだったが、電車の時間もあったので、また、次回、として、帰途についた。

