海洋系作品【5】映画 『ゴジラ -1.0』 | コワれるまで ALLORA

海洋系作品【5】映画 『ゴジラ -1.0』

やっとこれを書けるところまで来ました。

映画 『ゴジラ -1.0』(2023年)。

もう多くの評論がある中で、私なんぞが書かなくてもいいだろうとも思うのですが、ま、このブログはあくまで自分のための記録なので、書き留めます。

この映画の予告を観たのは YOUTUBE で、でした。

でも時代背景が戦後、というところに ちょっと違和感がありました。

私、時代背景が過去なら過去でいいんだけど、中途半端が好きではないのですね。

例えば、ずっと以前、『シルバー假面』(2006年)という映画があったのです。
懐かしのTV特撮ドラマ『シルバー仮面』(1971年)のリメイク作品で、変身する主人公はイギリス系ハーフの女性でした。

ところが、時代背景が大正時代
なんでそんな時代に

結局『シルバー假面』はDVDを最後まで観ずに返却しました。

SF特撮モノとかですと、その時代を背景にした理由が今一つ分からない、意味薄っ・・・って、そういうのは私、好きではないのです。

同様の嗜好で、話題性の高かった米映画『ワンダーウーマン』(2017年)も、ちょっと観れなかったです。
『ザ・フラッシュ』(2023年)を観てから、『ワンダーウーマン 1984』(2020年)を観たくなったので、ようやく昨年「まずは2017年版を」と、DVD借りましたけどね。

だって時代背景が第一次世界大戦。
なんでそこに持ってきた

当時の光景を再現する予算があるのなら、現代劇にして、もっと他のところにお金をかけてほしいと思うのです。



               



この映画、バックの背景はけっこうCGだそうです。

なら、どんな時代でも描けられたでしょうし、いっそのこと初代ゴジラが現れた1954年(アメリカが核実験をし始めた頃)でもよかったかもしれません。

あるいは、震電でなくても、最先端の(あるいは近未来の)高性能なヘリコプターでもよかったと思います。

なぜ、終戦直後でなければならなかったのか。

以下は全く私の私見です。

本作を監督した山崎貴氏は「もう現代劇としてのゴジラは撮り尽くされた」と言われています。

だとしても、なぜ終戦直後が選ばれたのか。


私、『ゴジラ -1.0』を観て、心が震えた感じがしました。

映画は、平成以降リニューアルされ リアルさを求めて作られてきたゴジラシリーズとは、一線を画すものでした。

今までの人間VSゴジラの戦闘は、言ってしまえばけっこうクールなものでした。

逃げ惑う群衆は別にして、主要な登場人物たちはクールでした。

メカゴジラ用の強化アタッチメント「ガルーダ」を駆る髙嶋政宏は、いわばゲーム感覚。

自衛隊隊員たちは整然と戦うし(もっとも恐怖にかられる映像なんか、防衛庁の広報部やリクルート部門が絶対に許してくれないですよね)、メーサー戦車隊は壊されるのを屁とも思わず前進するし。

戦闘って死がすぐ傍らにあり、誰もが死ぬのは怖いはず。

釈由美子ら機龍隊はかっこいい。
なんなら最後のシリーズには、超人類ミュータントなんてのが戦隊シリーズヒーローのように敵X星人と闘ったりしてる。

『シン・ゴジラ』に至っては、もはや怪獣映画というよりも、政治風刺の社会派ドラマになってます。

もちろんどの作品も、映画と
( エンタメ)
しては凄く面白くて好きですけどね。

山崎監督は「今回はそういうのではなく、ゴジラは大きくて怖い。だから闘いは死に物狂いなはず。そんなリアルな人間の様を描きたい」と考えたのではないでしょうか。

だったら、最も日本人が死や絶望に近かった時代、それは戦争末期から終戦の頃 (さすがに刀を振り回していた時代では、対ゴジラの軍事力が無いですよね)

主人公は特攻から逃げ、ゴジラから逃げ、『自分は生きていてはいけないんだ』という、怒りにも似た極限の精神状態で対ゴジラ戦に臨む。

戦後ですから、主人公も周囲の登場人物も、みんな生きていくのがやっとです。
死がとても近い。

そんな極限下で、なおみんな 死ぬか生きるかを突き付けられるのです。
この精神状態は、これまでのゴジラシリーズでは描かれませんでした。

神木隆之介の迫真の演技は凄まじかったですが、その演技を共感足らしめるため、山崎監督は “戦後” という時代背景を選んだのではないかと思うのです。

なので、本作はモンスター・パニック映画というよりも、状況は 0 から -1 になったけど、再び立ち上がろうとするヒューマンドラマだったと感じます。