阪神大震災から10年
NIKKEI NET:阪神大震災から10年・兵庫県公館などで追悼式典6400人余の死者を出した阪神大震災から17日で丸10年を迎えた。大都市を直撃した戦後最悪の被害をもたらした巨大災害に、16兆円を超す復興関連の支出をしたものの、兵庫県の掲げた「創造的復興」への道のりは半ば。ただ、新潟県中越地震やスマトラ島沖地震などの災害が相次ぐ中、神戸が蓄積した復興や防災の経験を、海外に呼び掛ける大きな節目の日ともなった。
井戸敏三県知事は式辞の中で「孤立しがちな高齢者の見守り活動など課題も残されており、将来の災害への備えとして、住宅再建共済制度の創設は緊急の課題」と強調。一方、「ボランティア活動などが広がりつつあり、日ごろから減災に取り組む『災害文化』が生まれた」と10年を総括した。
被災地では、地震発生時刻の午前5時46分に合わせた追悼行事が行われた。神戸市中央区の東遊園地では、犠牲者とほぼ同じ数の約6500本のろうそくが「1・17」の形に並べられ、神戸市の矢田立郎市長は「安全で安心な魅力ある街づくりに向け市民と歩んでいく」とあいさつした。
僕自身体験した阪神・淡路大震災から早くも10年が経ちました。10周年という響きは、個人的にはおめでたい時に使われるイメージがあるので、あまり使いたくありません。記事にあるように、未だに完全な復興は達成されていません。しかし、年月が経つにつれてテレビや新聞で取り上げられる機会も減ってきています。
昨日の夜に、大震災の特番が放送されていました。10分ほどしか見ていないのですが、内容は大震災の時に高速道路の倒壊によって息子を亡くした方(おばあちゃん)の訴訟の話でした。見ていてとても腹が立ちました。そして悔しくなりました。僕はこのおばあちゃんを知り合いというわけではありません。しかし、公団の保身に走った非協力的な対応によって、訴訟に負け、控訴するにも年齢的な問題から和解せざるをえなかったおばあちゃんの心中を察すると、とても悲しくなりました。
阪神大震災によって地震は僕にとって恐怖の対象になりました。今でも、少しの揺れがあるだけで心臓がドキドキします。10秒ぐらい揺れが続いた時などは、何をすればいいのかパニックになりそうなぐらいでした。同じようなトラウマをみんな持っています。学校の授業中に地震があると、みんな声も出ません。当時小学5年生だった僕にとってそれほど大きな出来事でした。震災で学校は半壊、住んでいるアパートもボロボロになり数世帯が集まって共同生活を1ヶ月以上していました。その時になぜか、高所恐怖症からトンネルや高架下が恐い性質に変化してしまいました。
話は変わって、ボランティアは確かに阪神大震災をきっかけに日本に芽生えた文化だと思います。アメリカのようにキリスト教が根付いていない無宗教な日本では、なかなかボランティアという考え方は受け入れらないものですが、それでも新潟中越地震や台風の被害でのボランティアの活動は昔では考えられないものだったのではないかと思います。
日本も次は東海地震がいつ起こってもおかしくありません。しかし、政府は地震対策をしっかりとしていません。起こってからでは遅いというのに、いつもいつも場当たり的にしか動けていない印象を受けるのは僕だけでしょうか・・・。
阪神大震災の被災者の方で10年経った今も傷が癒えない人がいます。中越地震、スマトラ沖大地震はまだこれから復興に向かいます。同じ大地震を経験したものとして少しでも出来ることをしていきたい、と思います。
被災者の方への追悼の気持ちを込めて。