仮想リスニングルームの現時点でのデザインがある程度形になったところで、以前に設計した格子と棚を多用したリスニングルームと空間印象の違いを比較してみる。

新仮想ルーム


旧仮想ルーム


格子のリスニングルームの方がそもそも寸法が縦長であるが、それを抜きにしてもだいぶ圧迫感や広さの印象が変わるような気がする。
どちらも現実的には存在しない部屋であるにも関わらず、画像を見るとどんな響きの部屋かなんとなく想像できてしまう。
特に旧仮想ルームの側壁の圧迫感というのが結構感じ易い。実際に狭いというのと膨張色の木の色を使っているのと格子が視覚的主張が強いのでより大きな圧迫感を生み出しているのかもしれない。
そうした先入観が実際の音場の印象にも影響するという研究結果があるのであれば、空間の印象というのも馬鹿にはできない。

無地の空間も作ってみる。

白背景


黒背景


どっちにしろ無地だと空間の大きさ奥行きなどの手がかりが少ないという印象を与えてしまう。
具現化すれば照明の光の当たり方によって奥行きは分かりやすくなるのかもしれないが、ずっと奥行きを感じづらい無地の壁を見続けながら音楽を聴くというのは、奥行きを認識しようとしてもうまく認識できないストレスを無意識に感じ続けるのであまり良い物ではないかもしれない。
以前に仮想リスニングルームにおいて天井の音響を安全に調節しやすくするための解決策として、天井をルーバーにしてルーバーと天井の隙間に音響調整材を置けば良いという考えに至った。
ルーバー自体に拡散性がありつつ、間に置くというのは取り外しがしやすい、ルーバーが下にあるので落下リスクが小さいというメリットがあるというのがその理由だが、本当にそれで機能するのか疑問に思う部分が残っていた。

設置例としてpinterestより引用




・1つは天井用のルーバーは既製品は中空のアルミ製が多い。コストだけでなく重さの問題もあるのだろうが、中空式のものが音が良いとは思えない。それにルーバーの上に重量物を設置することは設計上想定されていないので音響調整材を設置するということは重量的に危険だろう。
・では既製品に頼らず本物の木の板でルーバーを作ればいいということになるが、あまりに大規模に重いルーバーを天井に設置すると駆体の重量バランス的にどうなのかという疑問がある。
・高所作業用通路からルーバーの上に音響調整材を乗せるということを想定しているのだが、通路は必然的に壁際になってしまっている。だが高所の反射面として一番重要な一次反射面は部屋の中央付近に存在しているため壁際の通路から届くのかという疑問が生じている。
・ダウンライトは光が局所的に強いためコントラストが大きく視覚的な刺激が強い傾向にあり、リスニングの支障となりうる。そのためメインの照明は柔らかな間接照明を直接目に入りづらい高所から入れる設計が望ましいと考えているのだが、間接照明はなるべく何もない平坦な壁に照らすからこそスムーズに移行するきれいな光を得られるので、いろいろ設置する壁には望ましくない。ルーバー天井でしかもルーバーの上に音響調整材を設置するというコンセプトと相性が悪い。

この辺りが未解決であり、考え直す必要があるのではないか。

そこで重要性が高い中心部分付近にのみルーバーを付ける案に練り直した。


これで間接照明を照らす部分の平坦性を確保できる。ただこの高所のルーバー上にどうやって音響調整材を設置するのかという疑問が解決していない。見た目的にもあまり気に入らない。

そもそも天井の音響調整の調節性を極限まで高めることに意味があるのかという疑問を考え直してみる。
現実的に天井のルーバーの上にポン置きという手法を用いて音響調節するとして、
溝が10cmを超える木製の本格的なQRDを設置したり、重量のある強固な反射壁を設置するだろうか?という疑問を考えてみると、現実的にはそれを行うことはしないだろう。通常時は落ちてこないにしても地震の時に落下リスクがあり、その場合には死亡事故につながりかねないからだ。
ルーバーの上にポン置きで音響調整材を設置するとしても、それは吸音材以外は現実的ではないと思われる。
天井は吸音材のみを調節性を持たせて設置するということであれば別にルーバーにポン置きスタイルである必要はない。
ダクトレールは耐荷重20kgまであり、ライトを照らすだけでなく、物を吊すことができる。吸音材であれば耐荷重20kgあれば十分である。

引用:TOO GARDEN

また吊すスタイルであれば天井にピッタリくっつける必要もないので、背面空気層を確保できる分吸音効果は大きい。定在波の腹も狙いやすいので定在波の調節効果も高い。


グラスウールなどの多孔質吸音材も音響透過性の高い篭などにくるんで球状にして吊り下げる分にはきれいに作れば高天井の照明のようにそれ自体もインテリアにもなりうる気はする。

引用:amabro
とはいえ見た目上まともになる根拠はないのだが。

とはいえ天井の音響調整は軽量な吸音材をダクトレールで吊り下げるという手法であれば落下リスクも小さく、万が一落下しても大きな事故に繋がらないという意味で現実的なのかもしれない。以前よりも音響調整の幅が狭くなってしまったが、やはり天井を後付けでなんでもやれるようにしつつ、安全性も高いというのは無理があるような気はする。
ただ今回の音響調整の場合、積極的な反射や拡散を追加することはできない。なので最初から固定する内装で決め打ちである程度の音響調整を完成させなければならない。追加で出来ることが多少の吸音しかできないから当然ではある。
となると内装として最初から拡散体を設置することになるのだろうか。天井をあまり拡散させてはいけない理由もない、吸音は後からでもできるシステムとなるとこういう考えにはなる。天井なので拡散体も大規模だと重量による問題が出てくるので、比較的効率の良い一次元QRDが無難になるのだろうか。
天井全面に貼ると間接照明が使いづらい+コストが多大になる+壁際は作業用通路があるので後から調整できるという理由からスピーカーの内側(2.5m幅)部分のみに設置する案とした。


球形の吸音体自体が遠近感や天井高さを強調するので視覚効果自体は良さそうな気がするが、邪魔にならない程度の大きさで十分吸音できるのかは疑問は残る。本格的に吸音をしたい場合は壁際の作業用通路部分での吸音に頼らざるを得ないとは予想される。

当初よりも調整性という理想は後退したが、当初の案がやや非現実的なので仕方ないだろう。天井の広い範囲を格子天井にして格子の裏をロフトにすれば安全に天井の音響を調節することもできるが、格子からの反射が若干の天井を低くする効果があったり、デザインに制限があったりなど調節性と引き換えに犠牲になるものも多くあまりその方向が望ましい感じにはならなかった。
今月から日本音響学会のフリーアクセスになった論文
建築空間における音の広がり感に対する視覚情報の影響
——建築音響分野におけるクロスモダリティ研究——
日本音響学会誌 78 巻 8 号(2022),pp. 437–442
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jasj/78/8/78_437/_pdf/-char/ja

を読んでみた。

気になる部分を抜粋(一部改変)

・聴覚刺激のみで判断した距離感に対して,視覚情報が加わることによって,視覚刺激のみで判断した距離感に近づく傾向が見られ,判断の精度が上がるように補正されたと解釈できる。
・聴覚情報から得られたASW は,視覚情報が伴う場合,視覚によって判断(予想・期待)された ASWに近づくように補正される。一方,同一の音源から視覚と聴覚を通して得られる二つの情報は脳内で統合(視聴覚統合)されるが,両者の乖離が大きい場合は視聴覚統合が成立しないため,視覚印象と聴覚印象は独立し,相互の影響は見られなくなり,ASW は聴覚情報のみで判断される。
・視覚で期待されるASWと聴覚のASW が一致している場合には,補正の必要がないため,視覚情報の影響は現れないと考えられる。
・視覚情報が加わることによる ASW の変化は,聴覚刺激のみによる ASW と,視覚情報から予測・期待される ASW の間に生じたギャップが原因であると考え,視覚情報から期待される ASWに近づくよう補正効果が働いた結果と考えた。

これをステレオに応用することを考える。音の広がる感じや広大な音場は、広大な部屋である場合には目を開けていれば視覚効果がASWを補強して目を閉じて聴いているよりも広々と鳴るように感じる。普通の部屋であれば目を開けている場合には音場よりも小さな空間で鳴っているように補正されてしまう。
個人の楽曲再生用途のスピーカーは小空間で再生することを想定しており、大空間での出力で実力を十分に発揮できないし、そもそも個人で用意できるものではないので、ホール並みの大空間で鳴らせば良いというのは現実的ではない。

視覚情報によりASWをブーストするのは広大な庭と正面壁を全面ガラス張りにでもしない限りは現実的ではないにしろ、大幅にナーフされることは避けたい。リスニングポジションの正面は特に実際に空間をできるだけ確保しつつ、近接感圧迫感の少ない視覚的デザインにすることは必要なのではないかと思われる。

いずれにせよ実際に音を出しているステレオスピーカーの視覚効果はやっぱりあまり望ましいものではない感じはしている。コンシューマー向けのスピーカーの場合、本格的なものであればあるほど大きく派手な外見のものが多いが、視聴覚統合の際の補正効果が大きく、今回のASWに関しても悪化する方向に補正されてしまうし、左右に寄った音像が全てスピーカー部分に吸い寄せられてしまう気はしている。
非マニアに好まれがちなインテリアに馴染むスピーカーの方が視聴覚統合という観点では良いスピーカーと言える部分もあるのかもしれない。
前回設計した仮想リスニングルームで頭の中で想定していた間接照明をDIALuxに入れてみた。
DIALuxである程度の建造物データを入力して照明を入れてみたが、なんというか本当に稚拙な感じの照明効果になってしまっている。
照明効果の理詰めがちゃんとできていないまま考えてしまったのでこうなってしまったのだろう。


1から考え直してみることにする。
正面壁の間接照明は室内の光量確保目的という意義は薄い。間接照明の柔らかい光であるとは言え、リスニングポジションの真正面から光を照らされても眩しさを感じてしまうだけでマイナスになってしまう。
照明効果により正面壁の視覚効果を補強するのが目的で、部屋の明るさを確保するための十分な光量は必要ないという考えで良いということになる。
正面壁の視覚効果の補強となると、奥行き感を強調させることと凹凸のあるウォールデザインとする場合に凹凸による陰影を強調させることが目的になる。

「奥行きを強調する」という表現が正確に解釈するならば「既にある奥行きを感覚的により深い奥行き感にする」ということになる。と言うことは実際に奥行きのある構造を作らなければならず、照明によりその奥行きを強調する必要がある。
pinterestで例示できるものは下図のようなものになるのだろうか。



モデル図としてはこんな形になるはず。



ただ問題なのは吸音や拡散を行いたくて壁の前に何かを設置したい場合、この照明効果を遮蔽してしまい、調音体が悪目立ちしてしまう可能性が高い。
拡散体自体は光を乱反射することが期待できるので良しとするべきかなかなか難しい。


そもそも照明効果で奥行き感を出させようとする場所を後から自由に調音しようという姿勢に無理があるのかもしれない。決め打ちで対応していく方が良さそうに思える。

そこで間接照明の部分をQRDの溝のように用いて、拡散体と建築化照明を兼ね備えるようなデザインを設計してみた。


溝の深さはランダムではないので実際にはQRDではないのだが、数種類の溝の深さがあるので拡散効果はそれなりに期待できる。一般的なQRDの使用法とは向きが90度違うので、拡散よりも反射の挙動の方が多いかもしれないが、反射をするにしても段差が複数あるため、時間や位相がある程度分散される効果は期待できる。

DIAlux evoで入力してみるが、設定が悪いのか線光源の設定が上手くいかない、一部の光源しか点灯しないなどうまくシミュレーションできない。




なのでカリモクのシミュレーションで引き続きやってみることに。

段差がわかりにくいので一時的に明るい色に変更

間接照明点灯した場合の光を黄色や白の物体で代用的に表現した場合



窓を開けた場合



遠近法の錯覚をさせる意味では段差は等間隔ではなく遠近法に近い段差にした方が良さそうだ。溝が拡散できる周波数的にも整数倍出ない方が良い。奥に行くほど光源が上方向にシフトすると遠近法的にはなお良いか。


のっぺりしたシミュレーション画像にも関わらず、設定値以上の奥行きを感じることができる。少なくとも圧迫感や近接感は感じないような印象はある。
所詮は視覚効果でしかなく聴音への影響は若干あることは言われているが、決して大きなウエイトを占めているというものではない。その程度の効果に対してここまであからさまな施策を行うことが正当化されるのかは結構疑問なところはある。

ただリスニングルームのインテリアは
・出音に見た目なんて関係ないから音が良くなるような物を最大限設置するのが良いに決まってるという考え方
・出音に見た目なんて関係ないから何も考えずに好きな見た目にすればいいという考え方
・視覚情報がうざったいから、黒か青か白一色だけでいいという考え方
・塗装の少ない木の音が良い反射音のはずだから全面木目を出せばいいと言う考え方
この辺りが支配的である中で、好み好みでないという基準でなく、現在ある知見を利用するととどのような内装が聴感の良さに貢献できうるか、という観点からインテリアデザインを考えるきっかけにはなったので意義はあったのかなとは思っている。
前回整理した視覚上の要件を満たすための正面壁のデザインについて考察を進めてみる。

・視覚的ノイズを減らしたい(黒やグレーやネイビー系)
・音波の反射としては複雑な形態をしつつ派手な視覚効果は避ける。
・リビングとして成立する意匠
・奥行きや開放感を感じやすい配色

この辺りを同時に満たしたいということになる。


・視覚的ノイズを減らしたい(黒やグレーやネイビー系)
横の壁や天井は基本的には白系統に色にすることは部屋に無駄な圧迫感を出さないために必要だろう。部屋の内装としては標準的な色ではあるが、ここをあえて標準から外す意味があまり見いだせなかった。
基本的にはリスニング中はスピーカーの内側を見ている感じにはなるので、スピーカーの内側にのみ視覚的刺激の少ない暗い色を付けると良いのではないか。リスニング中の視界は落ち着いた色であった方がリスニングに集中しやすいが、部屋の内装の大部分を黒系統の色にすると圧迫感が強くなってしまう。
pinterestで黒を基調にしたエレガントな内装はいくつも例示されているが、基本的には大きな窓で採光することにより黒による光の吸収のデメリットを緩和させているように見える。
大きなガラス窓を沢山設置しづらいリスニングルームで黒まみれの内装はやりづらいのかなと思ってしまう。窓を付けずに黒の内装でラグジュアリーなイメージを持たせたホームシアターがあるにはあるが、そういったシアタールームでも居住性はどうなのか?映画見ないときでもこの空間にいたいのかと考えると微妙な気もする。


・音波の反射としては複雑な形態をしつつ派手な視覚効果は避ける。
これは壁の前に設置する音響調整材と背後の壁の色を同じにすれば音響的には複雑な反射をするが、光学的には比較的単純で平面的な効果を示すことが期待できる。
視覚的にのっぺりしたものであると、目障りにはならないのは良いことだが、奥行き感を十分に出すことができない。空間の奥行き感を出せれば、視覚的に広く感じることができ、視覚効果で音場を広くする効果があるので、そちらも両立させないといけない。それに平面的な視覚効果しかない部屋というのはあまり魅力的ではない。その部屋の居住性を良くするという意味でも平面的な見た目の内装というのがベストだとは思わない。
ただ平面的に見せた方が視覚的ノイズは減るし、立体的に見せた方が音場は広くなるということは両者が二律背反になってしまっている。ここは悩んだのだが、間接照明の照明効果で立体的に出せば良いという結論でそれを乗り越えることができそうだ。間接照明での奥行き感を出すと言うのは、邪魔であれば照明を消せば無くすことができるというメリットがある。
調節性を持たせるというコンセプトを大事にしたいと考えている意味でもこの解決策は上策であるように思える。

・リビングとして成立する意匠
これは以前に提示したような、リスニングルーム側からは音響調整材が見えないなど工夫すればそこそこのものになるのではないか。

・奥行きや開放感を感じやすい配色
これも上記のようなスピーカーの外側は白系統、スピーカーの内側は黒系統の色調にすることで、白=光が明るく見える場所=手前、黒=暗く見える場所=奥という錯覚を感じ安くなり、音場を作る部分が奥にあるように感じ易くなり、音場空間としても広さを感じやすくなることが期待できるはず。

といったところを考えた結果こんな感じの正面壁の案になった。

スピーカーの内側は奥行きを持たせるために黒に近いグレーで統一しつつ、スピーカーから外側は白に近い色として、スピーカー自体も白またはシルバーを想定した。
これによりリスニング時に視界に入るスピーカーの内側はリスニングに集中しやすい配色としつつ、外側は開放感を持たせつつ、スピーカー自体を保護色にして視覚的な存在感を軽減させる色になっている。
中心の窓は木製のドアで開閉式を想定している。ダミーのセンタースピーカーなども設置できればとは考えているが、開閉式左右対称のドアだと難しい。


スピーカーは保護色で存在感を軽減させているという意味では、スピーカーの存在を目立たせがちな一般的なオーディオマニアのコンセプトとは真逆のアプローチにはなっているが、リスニングポジション以外の視野では背景を黒い領域にして白またはシルバーのスピーカーの存在を際立たせることもできるので、リスニング時だけ保護色に出来れば良いというコンセプトでもある。


側面壁は一次反射面を二次元QRD風の棚としつつ、一次反射面以外は棚の中身をリスニングポジションから見られないようにした斜めの棚とした。


スピーカー側から見ると棚の中身が見える


ある程度、現時点で自分が望ましいと考えるリスニングルームの要件を満たした設計を入れられたとは考えているが、後は間接照明によって望ましい視覚効果が得られるかどうかという問題が残っている。
これは現時点でのシミュレーションアプリではできないので照明シミュレーションのソフトを利用する必要がある。DIALux evoというソフトで色々できるようなのだが、高性能なだけになかなか使いこなせるまで時間がかかりそうだ。今後このソフトを用いたシミュレーションをやってみたい。



コロナも5類に分類される予定となるなど制限が少なくなる中で、そろそろ高崎芸術劇場の大ホールでのオーケストラコンサートを聴きたいと考えていたが、丁度NHK交響楽団が来るということで鑑賞しに行くことになった。

バルトーク/ヴィオラ協奏曲(シェルイ版)[ヴィオラ:アミハイ・グロス]
チケット買ってから聴くようにしてみたけれども、バルトークはなかなか魅力を理解しきれず、コンサートで実際に聴いてもなかなかピンとはこなかった。楽曲に対する理解が追いついていないのは仕方ないが、ソリストはベルリンフィルの首席ヴィオラ奏者ということもあり、とても華のある迫力のある演奏で演奏自体は素晴らしかった。

ラヴェル/「ダフニスとクロエ」組曲 第1番、第2番
この曲は好きだったが、生演奏で聴くのは初めて。演奏会だと巧みなオーケストレーションがより映えて楽しかった。フルートがしっかり吹ききっていたので良い演奏だったとは思える。
席の関係かもしれないし楽譜通りなのかもしれないがウインドマシーンの音の異物感が強かったのと鉄琴が一部で音量過多で少し曲に集中できない部分があった。

ドビュッシー/交響詩「海」
コンサートで聴くのは二度目な気はする。この前のコンサートもオールドビュッシープログラムだったが、今回は交響詩のドビュッシー。
普通に良かったけど、なんか良くも悪くも録音を聴いているのと全然違う!とはならなかった。何度もコンサートの録画映像で体験しているN響の音だし、家の音響も十分とは言えないまでも一定の水準ではあるからこそなのかもしれないが、無難な印象が強かった。

ホールの音は中庸的ではあり悪くはなかったのだけれども、音楽ホール程の感銘は無かった感じだった。やっぱり大きめのホールだと音量がやや控えめになってしまう印象はあった。
今後行くとしたら音楽ホールのコンサートを優先して行きたいという印象ではあった。
ある程度の思考が進んできたので現時点での仮想リスニングルームの正面壁のデザインを作ってみようと思ったがなかなかまとまらず進まない。
なぜまとまらないのかを文章にすることで整理してまとめてみようという試みをするのが今回の記事になる。

まず、視覚的にまばらに刺激の多いデザインだと聴覚への集中が逸れてしまったり、音像の形成に支障が出かねない。プロの仕事場は正面壁は黒い壁や集中しやすい青系の壁にすることが多い。確かに視覚的ノイズ(視覚的な刺激が大きくてそちらに気が向いてしまう現象)が減っている感じがある。
日本音響エンジニアリングの建築作品集より




ただ仮想リスニングルームはスピーカーを壁に埋め込む訳ではないので、正面壁での音響調整を行う必要がある。正確に言えば必要があるかどうかは別として調整性を重視しているので音響調整を行える余地を確保しておく必要がある。
視覚的ノイズを減らすために視覚上のうるさいものを正面に置かないというのでは、音響調整に支障がでてしまう。
下は同じく日本音響エンジニアリングの建築作品集より。音声中継車の作品画像なので仕方ないかもだが見た目的には派手だが気が散ってしまいそう


ただ似た色で統一することにより音波としては複雑な反射をしつつも視覚的には刺激の少ないデザインにできると思われる。


前提に立ち返ると、今考えているのは生活空間の中のオーディオスペースである。コントロールルームの正面壁のような黒いだけの壁だとさすがに味気なく殺風景に思われる。生活空間として満足できるような意匠も組み込みたいと考えている。
下のような内装はいくら視覚的ノイズがないので音楽に集中しやすいとは言っても、生活空間としては正直味気なさ過ぎる感は否めない。


黒を基調しとするにしても、pinterestで寝室など調べると黒を基調とした落ち着きがありつつも、優美でくつろげそうなデザインも出てくる。




じゃあそういうデザインでいいじゃないかという話にもなりかけるが、部屋のインテリアデザインとして色によって圧迫感を感じる色、広々感じる色、奥行きを感じやすい配色があると言われている。視覚情報も響きの感じ方に影響があると言われているので、広さや奥行きを感じる配色にしたいと考えている。黒系の色は後退色と呼ばれ、奥に引っ込む傾向があるが、壁や天井にメインで用いると圧迫感があり実際よりも狭く感じてしまう。

つまるところ正面壁をどうしたいかというと
・視覚的ノイズを減らしたい(黒やグレーやネイビー系)
・音波の反射としては複雑な形態をしつつ派手な視覚効果は避ける。
・リビングとして成立する意匠
・奥行きや開放感を感じやすい配色
これを備えたものにしたいと考えている。

奥行きを強調しつつも、視覚的にうるさくない、そしてデザインとしてアリと思えるものがなかなか分からないというところなのかなあというところではある。
こうやって順序立てて書いてみることで何を達成したいけれども何が足りていないのかが整理できた。
純音楽の人類の最高傑作と挙げるとすれば、まあいろいろな異論はあると思うが何かしらの交響曲、つまりはオーケストラ曲が選ばれる可能性が高い。

ということになれば音楽再生でもやはりオーケストラをいかに忠実に再現できるかというのが最高にして最大の目標であるかのように思わされがちであるし、実際に自分も一時はそう考えていた。

ただ室内音響とステレオ音響の文献を当たっていくうちに疑問に感じていく部分が多くなり、ステレオ再生の場合はオーケストラは限界があるから、原音とは異なる音場だけれども良い感じに鳴っている状態を目標にした方が良いのではないかと考えるようになった。
頭の中でまとまっていないその辺りの考えを、まとめるための作業が今回の記事となる。

オーケストラ曲は生演奏の場合、楽器からの直接音を聴衆に届けるだけでなく、ホールで響かせて届けることによって、音量を確保しつつ、全ての聴衆そ一定水準の均等さに分配しつつ、響きの美しさを与えている。
そしてオーケストラは同じ楽器も複数の演奏者が配置され、音の厚みを与えつつ音量の確保を行っている。

つまりはオーケストラ曲は大編成を組んで音楽用のホールで演奏することによって
・多彩な弦楽器、管楽器、打楽器を出演しているので百花繚乱の音色を出せる
・低音用楽器、高音用の楽器を配置することで可聴周波数を広範囲に利用することができる
・合奏により大きいホールでも聞こえやすくする、音の重なりを楽しめる
・ホールの音響効果により聞き取りやすい音量の増幅を図ることができる
・ホールの豊かな響きによる包まれるような感じを得ることができる
この辺りがオーケストラ曲のホール演奏の醍醐味ということにはなると考えられるし、他の演奏スタイルでは得られないものである。

ではステレオ再生だとどうなるのかということを考えてみる。

・多彩な弦楽器、管楽器、打楽器を出演しているので百花繚乱の音色を出せる
・低音用楽器、高音用の楽器を配置することで可聴周波数を広範囲に利用することができる
この辺りは再生システムが、様々な音域で様々なタイプの楽器も忠実に再現できるような万能な性能を求められる。そういう意味で見る分にはシステムの力量を発揮するためにうってつけの音楽とも考えることができる。

・合奏により大きいホールでも聞こえやすくする、音の重なりを楽しめる
これに関してはステレオ再生の場合、音量は自由に上げ下げできるので合奏である必要性が薄い。
合奏による音の重なりは独奏とは異なる良さがあるのは事実だが、重なった音はそれぞれの楽器音が多少は干渉しているので1つ1つの明瞭性は落ちることは避けられない。しかもそれを2台のスピーカーで再生しているとさらに明瞭性は落ちていく。そもそも合奏は1つを分離させるよりも融和させようとしているので明瞭にならないのは当然ではある。
優れた再生システムは細部の表現の忠実な追従性を備えていることが殆どである中で、細部の忠実性に存在価値をかけたシステムと、多くの楽器の音を高いレベルで融和させて作り上げる大編成オーケストラ曲とで、それぞれが目指す方向が同じとは言いがたい。
それぞれが目指している方向が違うのであれば、素晴らしい一流オーケストラが奏でた名演による、大変に優れた名曲の録音を、素晴らしいステレオ再生システムで再生したとしても、名演を完全再現するという結果には繋がらない可能性が高い。
そういった意味では優れたシステムほど小編成の音楽の方が実力をフルに発揮できるのではないだろうか。

・ホールの音響効果により聞き取りやすい音量の増幅を図ることができる
これも音量の増幅が電気的に可能なステレオ再生では不必要で無関係な要素となる。

・ホールの豊かな響きによる包まれるような感じを得ることができる
この感覚(LEV)を得るには豊富な残響時間と適切な残響の到来方向が必要であるということは多くの研究から明らかになっている。それを小空間のステレオ再生で再現するのはかなりの限界があることも明らかではある。
小空間での残響時間は短すぎるし、音源に入っている残響も前方から鳴っているだけなので包まれるような感覚にはならない。

以上から、オーケストラを究極的に高いレベルで再現することを目指すとしたらマルチチャネル再生の方向に向かうべきと言わざるを得ない。
オーケストラ曲がオーケストラをホールで演奏することによる醍醐味をすべて引き出そうすると、小空間ステレオ再生では限界があるのは明らかであるし、マルチチャネル再生ではそれができる可能性がある。
そういう意味ではマルチチャネル再生を突き詰めていくことは意義のあるものだが、全てのチャンネルが高品質なマルチチャネル音源が世の中にはあまりにも少ないし、本当に高品質なマルチチャネル再生システムを可能とする機材の選択肢も少ない。商業的に市場が小さすぎるし、将来的に大きくなる可能性も無いため今後の期待もできない。
なのでオーケストラ演奏を小空間再生システムで高い忠実性を持って再現するという趣味はかなり苦しいものにならざるを得ない。

ただオーケストラのそれぞれの楽器の音を分離させて鑑賞することが単純に駄目という話でもない。生演奏で聴衆を沢山入れて聴かせようとすると分解能が下がってしまうだけで、別に生演奏で起こる現象の全てを再現することが良いことという考えをする必要は必ずしもあるわけでは無い。包まれるような長い残響も心地良いものではあるが音の明瞭度を下げるものなのでメリットデメリット両方あるものではある。ないならないで良い面もある。
なのでオーケストラ曲を高品位なステレオ再生システムで再生すれば、システムの能力を遺憾なく発揮できるし、素晴らしい音楽が部屋を満たし、素晴らしい経験をする時間となることは確かなのだが、生演奏の楽しみ方、醍醐味とは異なる別の良さにはなってしまっている可能性が高い。

オーケストラ曲をしっかり再生するためにステレオシステムを頑張るのはやりがいのあることだし、頑張ったリターンもあるとは思うのだが、生演奏という指標に対してやや異なる方向に努力することになるので、客観的かつ普遍的な良さを追求することにはなりづらい。
そういう意味では響きの多くない小さめの空間で演奏される小編成の演奏をステレオ再生システムの再現の目標とする方が、高品位なステレオ再生システムの長所を活かしやすいし、再現性の高い音場を作ることができる可能性が高いし、客観的かつ普遍的な良さを表現できる可能性が高いのではないだろうか。
今回も何度か扱っている視覚情報による聴覚への影響に関しての考察。
ステレオフォニックは前面の視覚的に何もない部分に聴覚的なファントムの音像を作り出す技術ではあるが、そもそも野獣から進化して今に至る人類にとって、何も無いところに音像があるという事象が本質的に気持ち良いものなのかという疑問が浮上している。

人を含む優れた視覚を持つ動物にとって視覚は狩猟や避難に重要なツールである。危険や食料の場所を正確に察知することができる。ただ視覚は可視光線を観察しているものだ。可視光線は波長が短いため簡単に遮蔽されてしまう。
そこで他の感覚器を併用して用いるわけだが、聴覚も当然ながら狩猟や避難に用いられる。聴覚は音波という波長が比較的長く透過性が高い波を感知するので、視覚(可視光線)では検知できない狩猟対象や危険を察知することができる。
聴覚で回避すべき存在を認知できれば危険を回避するための逃亡くらいはできるかもしれない。だが聴覚で存在だけは確認できていても視覚で見えていない対象を狩猟することはほぼ不可能であろう。聴覚である程度の存在の種類、方向、距離、大きさなどは把握できるが、正確な位置を把握する能力は視覚の補助が必要になる。
では聴覚では注意すべき音を察知できているのに、音の鳴る方向に原因となる存在を視認できない時に人はどう思うだろうか?なぜ見えないのだろう?隠れているのだろうか、背景に擬態しているのだろうか、どうすれば見つかるのか、と不穏な気持ちを起こさせるのではないだろうか。見たいのに見えないというフラストレーションを感じるのではないだろうか?

ステレオフォニックの技術はある程度の制限はあるものの、理論上は耳の錯覚を使って何もない部分にあたかも音源があるように感じさせることはできるし、高品位な音場を形成することができれば「スピーカーの存在が消える」というオーディオ批評でよく用いられる表現も理論上可能ではある。
ただ逆説的に言えば「スピーカーが消えた!」と驚くように賞賛することがまかり通っているのは、一般的には再生音楽は「スピーカーから音が鳴っている感じ」が日常的に当然だと皆が考えていることの証左ではある。
ステレオフォニックの原理原則から言うと、正しく再生されていれば全面にファントムの音場を形成しているのだからスピーカーから鳴っていない感じがして当たり前ということなので、いかに原理通りに運用されていないことの証拠ではある。
これを世の中のステレオ再生を全て正しく音場形成させるべきだとか言いたいわけではなく、聴覚上の音像がある部分に視覚上の音源がないということが非日常の異質な感覚であり、異質な感覚を抱かせるためにファントム音源を作り出している訳ではないということを振り返る必要がある。
スピーカーの存在が消えた!すごい!と言って驚くだけでは手品の類にすぎない。ステレオフォニックの音場を形成することにより音楽鑑賞体験を深く充実したものにすることが最終目標であるはずだ。

ではどうすれば良いかと言うと、実際に再生しているスピーカーではなく、ファントムの音像がある位置に本当に音源があるという自己暗示をかければ良い結果につながる可能性がある。ステレオフォニックによって音像が作られた先に実際に何か音が鳴っていそうなものが見える。見えれば不穏にならずに安心して音楽鑑賞に励むことができるという理屈が通る可能性がある。
これに関しては表層的な感情ではなく(ファントムの音像なので目に見えないのは当然だと理性では分かっているので)、深層心理下での違和感とかもやもや感のレベルの問題なのでその真偽の探求が非常に難しい。
ただ音が出ているように見えるものを音像の相当部に設置するという行為を試行錯誤の一環として行う価値はあるのかもしれない。
設置するものは使っていないスピーカーや人像、動物の像や、ただの絵でも良いのかもしれない。

逆に実際に音を出しているスピーカーは、その存在自体が視覚的には正確な音場形成の阻害因子になっている可能性がある。市販音源で右に音像が寄っていることを表現する時にでも、ほぼ確実に左でもその音は入っている。右だけに入っていて左に全く入っていないという極端な表現をすることは殆ど無い。
なので右に寄った音像を作りたい時でも左にも音のソースは入っているので、左右の音が混ざると右寄りだけれどもスピーカーより少し内側に音像が結ばれるはずである。
ただスピーカーの視覚的な存在が大きすぎてそれに引っ張られ、右寄りの音はスピーカー正面に音像があるように感じてしまう。
つまり聴覚上の音像と視覚上の音像が少しぶれることになる。

また音場をスピーカーの後方に形成したい場合でもスピーカーの視覚的な存在感が大きく、音はスピーカーから出ているという先入観が強すぎるせいで、視覚的効果によりスピーカーの位置まで音場がひきずり出されてしまう可能性がある。
スピーカーをバッフルマウントにして壁に埋め込んでしまえばそうはならないだろうが、しっかり壁から距離を取った場合は視覚的効果の影響を無視できないのではないだろうか?
そういった意味でも、「ここから音が出ている」感が強いスピーカーよりも視覚的に存在感が少ないものの方が視覚的効果のノイズを減らすことができるかもしれない。
視覚は左右の目が見えている場合、左右の視点の交差する位置などにより距離感をつかむことができる。つまりは目で距離感を図る場合、ある程度独立して精度の高い距離感を持っている。
聴覚の場合は間接音の割合や残響時間など、響き方で距離感を把握している。そしてそれでは不十分であるので視覚でそれを補正していると言われている。

今のリスニングルームはホームシアター機能とは別に5.0chマルチチャネルオーディオ再生機能に対応しているのでセンタースピーカーを設置している。
当然ながらステレオ音源の再生ではセンタースピーカーから音が鳴ることはないが、ステレオフォニックにより中央に定位する音はセンタースピーカーが鳴っているような錯覚を受ける。
左右に寄った音はステレオスピーカーのスコーカーから鳴っているように感じる(実際にその通りでもある)。
中央寄りだが左右に若干寄って定位する音はセンタースピーカーとステレオスピーカーの間で鳴っているように感じる。

左右のスピーカーで定位する音がはっきり定位するのは当然だが(実際にスピーカーから音が出ているので)、中央で鳴っている音もセンタースピーカーのグリルを外してしっかりスコーカーを見せた方が中央に定位する感じはする。
そしてセンタースピーカーのステレオスピーカーの間で定位する音は、センタースピーカーあたりで定位する音と比較して不明瞭でもやっとする感じがする。上下の定位も合わせづらい気がする。
どちらもファントムの音像であるのにである。
これは音が鳴っていないダミーのスピーカーであっても定位を合わせる手助けとなる視覚情報であり、存在することによって音の印象が変わるということかもしれない。その証拠にセンターとステレオの間は定位を合わせる補助的な視覚情報がないためセンターと比較して定位が不明瞭になっている。


簡易な実験としてダーツの的をセンターとステレオの間に設置して中間の音を聞いてみる。

今回は左右に複数の音像が存在する音源としてウエストサイドストーリーのTonight(Quintet)を再生する。

これは左右に4人が並んでそれぞれが歌を歌う構図だが、中央付近だがやや左右に寄っている歌手の定位がどうなるかを確認できる。
予想通りダーツの的があるセンターと右スピーカーの間はダーツの的がない左側と比べて定位しやすく、壁に貼ってあるので比較的遠くで定位しているように感じる。
定位の明瞭化も良い事だが、一番良いと思ったのは視覚的には音像のある部分に音源が何もないという違和感が相応に改善したことである。今回は実験でしかないが、普段のリスニングでも付けておきたいと若干感じるほどだったので、音像のある位置に視覚的には音像に相当する音源がないというのは深層心理的にはそこそこストレスであったようである。

結論として考えるのは視覚情報として音像の定位の手助けとなるようなオブジェクトをインテリアとして設置することも有用かもしれない。そしてそのオブジェクトの大きさや距離は音像を作り出したい位置によって調節するといいのかもしれない。
視覚の錯覚を利用して音を改善するというのは邪道かもしれないが、そもそもステレオフォニックの音像自体が耳の錯覚である。そして人間は聴覚で距離感を認識する際には、視覚情報も参考にする性質の生き物なのであれば、音像の感覚を補強する目的で視覚の補助があることはそれなりの正当性があるように感じる。

スピーカーに関してもスピーカーの視覚的な存在感があること自体は定位の手助けになっているが、その存在感圧迫感が強すぎて右側や左側で生み出される音像が前方に引っ張られている気もする。
スピーカー自体は室内インテリアに埋もれるようにして正面壁の奥にガイドとなるオブジェクトを設置することで音に奥行き感を感じやすくなるのかも知れない。