秦皇島観光(2023.7.13) | 京翁の独り言

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  2012年10月26日から27日と日本語教師赴任先の秦皇島を観光旅行しました。1.「孟姜女廟」は前回紹介したので割愛します。

2.求仙入海処

   「秦皇求仙入海処」は、秦の始皇帝が不老長寿の薬を仙人に求めて滞在した場所です。秦始皇帝は紀元前215年に東へ碣石(秦皇島)まで視察しました。そこで海に礼拝し、占い師を相継ぎ派遣し、神仙に稚児を伴わせて海に入らせ、不老長寿の薬を捜し求めさせました。その占い師の一人が徐福です。明代の憲宗が「秦皇求仙入海処」の石碑を建て、聖地を記念しました。求仙路にある高さ6メートル、重さ80トンの秦始皇の彫像は、現在、世界で最大の彫像で、海辺で高くそびえ立っています。徐福については別の機会に紹介します。

3.山海関

  山海関は明初の時代に、モンゴル民族の侵入を防ぐために建造されました。嘉峪関、居庸関(北京)と併せて三大名関と称し、歴代の軍事要地です。「天下第一関」と称されるが、これは山海関が東から数えて最初の関所であったことを示します。但し、遼寧省虎山の虎山長城が長城の東端にあります。明代の洪武帝の時に,徐達将軍が整備を行い、山と海の間にあることから「山海衛」と命名、後に山海関と称されるようになりました。ここの城壁で鵲を初めて見かけました。

 4.老龍頭

   老龍頭は山海関城の南5キロの所に位置し、万里の長城でも、重要な一部です。清の康熙帝と乾隆帝は封禅(泰山の山頂に土壇を造り天を祭る)の際に、ここに立ち寄り、楼に登って海を眺め、酒宴を催したり、詩を詠んで楽しみました。竜の頭が海に入り、波間に戯れているように見えるのにちなんで「老龍頭」という名を付けられました。万里の長城を巨大な龍に譬え、この龍が大砂漠を通り、賀蘭山をよじ登り、大行山を越え、燕山から下がり、渤海に向けて疾駆し、遼西走廊を結んで山海関を建て、海に入る。この入海の部分が老龍頭です。

 

2012年10月26日至27日,我前往秦皇岛旅游,在这里我教日语。 1. “孟姜庙”我上次介绍过,就省略。

 2. 求仙入海処・・・ ​​“秦皇求仙入海処”是秦始皇让隐士求长生不老药的逗留之地。 公元前215年,秦始皇视察到东边的碣石(秦皇岛)。 于是他到海上祭拜,相继派出算命先生,让仙人带着孩子入海寻找长生不老的良药。 徐福就是其中一位算命先生。 明朝的憲宗建立“秦皇求仙入海処”石碑以示纪念。 求仙路上的秦始皇雕像高6米,重80吨,是目前世界上最大的雕像,耸立在海边。 我下次再介绍一下徐福。

 3. 山海关・・・ 山海关始建于明朝初年,是为了防御蒙古人的入侵。与嘉峪关、居庸关并称为三大关军事重地之一。 它被称为“天下第一关”,意思是山海关是从东边算起的第一个关口。 然而,辽宁省虎山的虎山长城位于万里长城的东端。 明洪武年间,将军徐达修建,因这里在山海之间,名叫“山海卫”,后称山海关。 我第一次在这里的城墙上看到喜鹊。

 4. 老龙头 ・・・老龙头位于山海关城南5公里处,是万里长城的重要组成部分。 清代康熙、乾隆皇帝封禅时曾在此驻足,登塔观海,宴饮赋诗。 因形似龙头入海嬉戏,名叫“老龙头”。 万里长城被比喻为一条巨龙,这条巨龙贯穿大漠,登上贺兰山,跨过大行山,下燕山,直奔渤海而去,连接辽西走廊,修筑山海关,入大海。 这部分入口就是老龙头。