金戒光明寺・アフロ姿の仏像(2012.6.2) | 京翁の独り言

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今日は久しぶりに「論語読書会」に参加。
  本会は平成18年(2006年)春から始まり、京都西陣小学校跡地にて、毎週土曜日の夜、6時30分から9時まで行ってます。私は昨年5月21日から参加している。最初、論語を中国語で音読、次に日本語訓読を行う。そして内容の吟味、討議をします。メンバーは京都大学文学部OB、大学院生を中心に、論語に興味のある社会人が多数参加しています。6/2の模様は「論語読書会」HPより抜粋。

  午後から泉屋博古館(HP)を見学。川那辺さん、成田君、小田さん、上田さんの5名参加。黒谷より早川君合流。狙いは殷代の青銅器。ボランティアの解説員に熱が入るほど聞き手も質問を発す。殷代の青銅器に込められた思いと技術には圧倒される。酒器であっという間に一時間、書の解説がありますとのことで、中断して、書展に急ぐ。この解説も一時間、解説員がおられ、成田君の解説が聞けないのは残念なことでした。立ち疲れてロビーの習字コーナーで一服。八大山人の、安晩帖を手本に水墨で書く。成田君、川那辺さんは達筆。成田君が篆書で「有顔回者好学不幸短命死矣」を書くを消えないうちにと川那辺さんが撮影。青銅器に戻り、西周時代、春秋戦国時代、漢・唐時代まで観ると、足腰ぐったり。天気予報では雨が懸念されていたが、雨は降らず。
岡崎神社の横道から黒谷の金戒光明寺(HP)山崎闇斎先生の墓所。早川君が東十歩の碑を見つけるが十歩内に該当するものがない。東数十歩の所に成田君が発見。ところが奥さんや娘さんの墓石は分かるが先生の墓石がわからない。一番奥の真ん中の一番小さな墓石が先生の墓石なら、なんと奥ゆかしい先生かと噂するに、早川君が成田君に闇斎先生の名をネットで検索を依頼。名は嘉、 字は敬義、通称嘉右衛門。何と入口の一番立派な墓石が先生のもの。灯篭まであり、やっぱりねと川那辺さん。手を合わせてお参りをせんとすると、垂加神道ですからと早川君、柏手に変えました。朱子学者で神道家。
  黒谷の墓には色々楽しいものがあった。アフロ姿の仏像があり、滅多にみつからない仏像で、法蔵菩薩という。阿弥陀仏になる前に修行中に名乗った名前で、法蔵菩薩は衆生を救うために五劫という時間をかけて四十八の願を完成され、極楽浄土をつくり、阿弥陀仏になられたそうです。衆を救うため、髪が伸びたままで、結局アフロヘヤーのごときことになったというのですが、劫と云う時間は、天女が3年に一度羽衣で岩を撫で、岩がすりきれる時間、一説43億2000万年、五劫なら216億年となります。そんな仏像が安置されているとは、確かに黒谷はただものではありません。パワースポットです。
  衆生を救いたいというのもまた煩悩であり、成仏せず煩悩に留まるのが菩薩ということのようです。京都には地蔵盆があり、地蔵菩薩が安置されます。親より先に死んだ子は地獄に落とされるそうです。その子を救うために地獄へ赴いて守ってくださるという民間信仰によるとのこと、仏教は元来自らを救う、悟ることで、衆生を救うというのは、後付けのようです。衆生を救う菩薩への信仰は後から北インド地方で起こった大乗仏教の新教義で、日本や中国の仏教はこの大乗仏教の教義が伝わったものです。菩薩信仰は他力本願であり、解脱ではなくて救済を求める点で、釈迦本来の教義ではなかったはずです。仏教古来の姿を留めているタイなどの南伝仏教は、今でも個人の解脱が教義の中心にあります。タイの人々が老年期になったら僧院に入って解脱を求めるのは、その教義のためです。南伝仏教では、在家の衆生は出家者を経済的に支えるのが義務とされています。また大乗仏教でも禅宗は、仏教本来の解脱の教義を中国で取り戻そうとした宗派といえるもので、菩薩に救われるよりも自分が悟って自力で救われることを目指しました。