芸術に触れて感動を覚える時、人は非現実にどっぷりつかっている。

映画鑑賞。絵画鑑賞。音楽鑑賞。

対象の持つ世界に巻き込まれて現実世界を忘れられる、一種の”快感”に人ははまるのだろう。


・・・と、以前は全く考えなかったことを感じた今日。


ミスサイゴンを見に行きました。母と一緒に久々のお出かけ上げ上げ


アジアンな気分だったのでトムヤムヌードルで腹ごしらえし(辛いのがよかったので、フォーは却下じゅる・・

開演ぎりぎりに駆け込み入場。

新妻さん、うまい。流石!!!! 相変わらず、芯のしっかりした真っ直ぐな声はキムにぴったんこドキドキ

エンジニアも楽しかった好 私ごときが言えるセリフではないんだけど、彼は本当にうまくなりました合格

円熟、厚みっていう言葉が合うんだろうか。バラエティに富んだ演技で盛り上げてくれてました。


と、終了後の感想はこんな感じでどんどん出てくるけれど、見てる最中はそれどころの余裕がない。

感情移入して怒ったり悲しんだりせつなくなったりしっぱなしだから。

とは言っても、特定の誰かにOverlapするのではない。あくまで第三者的な目。視点は常に自分自身で、友達の話を聞きながら喜怒哀楽しているような状態。だから感情移入というわけではないのだが、今日は数時間前まで考えてた細々した懸案事項から完全に解放されて、目は舞台の中にあった。そして今も。(よくやった、これぞ休日が必要な所以!!)


結局、男は勝手がきくんだ。


全人口の1/2から猛烈な反対を受けるであろう意見だが、これがまず起こった”怒”。だって私は女ですから。どうしたってキムやエレンに同情してしまうよ。


でも、皆が犠牲者なのかもしれない。


ちょっと冷静になって考えてみたら”哀”。使い古されているセリフだが言い当て妙で、戦争という異常な世界で人間らしくあるために、誰もが必死だったんだろう。どんなに辛い境遇に身をおいても、人間らしい感情をただ「感じる」だけで生きる希望になる。先日もそんな文章に出会ったな。



それなのに。


グルジアとロシア軍はまた火花を散らしているらしい。「犠牲者」がまた増えるんだろうか。どうしてそんなに争うんだろう。