お久しぶりです。みなさまお元気ですか?


私はありがたいご縁をいただいて、4月から時間は短いですが週5日のお仕事をやらせていただいています。

そのお仕事を昨年度は週1、2日やらせていただいていて、今年度から週5日で働かせていただくことになりました。

絶対にやれるわけがないと思っていた職場の人と共有の電話に出る、というのも業務に入っています。

これはなかなかしんどいのですが、まだ職場にアルコールがあり、拭くことでなんとかやれています。

拭いても出来ないと思っていたので、自分でもびっくりしています。

出来ないと思っていても、やってみたら出来ることが実はあるのかもしれない、と少し嬉しくなりました。


職場の方達の業務のサポートをするお仕事なので、いろんな方の依頼を毎日受けます。

印刷物を印刷したりすることが多いのですが、毎日どんなことをするかわからないことがプレッシャーになる…かと思いきや、何を頼まれるかわからないことが楽しみに感じることもまた、自分で自分にびっくりな今日この頃です。


相変わらずの不潔恐怖と日々いろんな不安が次から次へと頭に浮かぶことは変わっていません。

ヘルニアも過敏性腸症候群も相変わらずです。

でも「毎日行くべき場所がある」ということが自分にとってとても励みになっています。


職場の方達が良い方ばかりで、本当にありがたいです。

自分で自分を無駄に追い込んでしまわないように、ぼちぼちなペースでやっていけたらいいなと思っています。

ぼちぼち、というのがとても難しいですが、とても大切な心持ちだなぁと思います。


ご縁は不思議ですね。

まさか自分がこんな風にお仕事させていただける日がくるなんて、思ってもいませんでした。

日々感謝の気持ちでいっぱいです。


まずは一年続けられるようがんばります。


暑くなってきましたが、皆様もどうかご自愛くださいませ!

読んでくださってありがとうございますニコニコ


人生をあきらめたくない

きっと明日も大丈夫



毎日ずっと頭の中でごめんなさいを繰り返している。

それにとても疲れてしまう。

そりゃそうだよな、ずっとあやまってて良い気分になるわけがない。

わかっているのになんでやめられないんだろう。

わかっているのにやめられないから病気なんだけどね。

仕事しながら不安になる別のことを考えるってある意味器用な脳内だよな、と自分に呆れて笑っている。

私は不安になる天才だな、と思う、全く嬉しくない苦笑


強迫はずっと頭を考えなくていいことに使ってしまうからもったいない。

ただでさえ狭い私の脳内キャパはすぐにキャパオーバーになる。

仕事で新しく覚えなくちゃいけないことがいろいろあるのに、不安にとらわれて頭に入ってこない自分にひたすらイライラしてしまう。


朝目覚めた瞬間から不安なことを考え、日中も考え、夜も考え、なんとか眠れたと思ったら夢の中でパニックになって過呼吸になって苦しい目覚めの朝だったり。

せめて夢の中くらい休ませてほしい。


不安から解放される時間があまりにもなくて、正直しんどい。


こんなに気持ちの良い天気の日に、こんな気持ちになってしまっていることが悲しいし悔しい。


あと何をどう頑張れば苦しまずに過ごせるんだろうなぁ。

解放されたい。


私は人に対して何か嫌なことをしてしまったんじゃないか、言ってしまったんじゃないか、と怖くなる。

それは元々の考え方のクセもあるのかもしれないけれど、強迫からくる加害恐怖の影響が大きいのではないかと思う。


その強迫観念が浮かんだとして、私はそれに対して何か強迫行為をしているつもりがなかった。

ただただ考えが浮かび、ただだたしんどくなって落ち込んでいることが多い…と思っていた。


でも懺悔強迫というものがあると知って、

私はこれを強迫行為としてやってきてしまっていたんじゃないかと感じた。


私がある人と話した後、数日たってから。

じわじわと浮かぶ「もしかしたら相手に何か傷つけるようなことを言ってしまったんじゃないか」という加害恐怖(強迫観念)で頭がいっぱいになり不安でたまらなくなった時。

その不安にたえられず、その相手の人に私は「何か嫌なことをしたり言ったりしてしまっていたとしたらごめんなさい」と連絡することがある。

そんな時、相手の人は「何もないよ、大丈夫だよ」と言ってくれて、それにほっとする。

…それを私は今までいろんな人に対してやってしまっている。

それがもし強迫観念を打ち消すための懺悔(強迫行為)になってしまっているとしたら。

それは相手を強迫に巻き込んでしまっていることになる。

自分で気付かぬうちに巻き込んでしまってきたのかと申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

みんなごめんね。


あまりにも人に対して不安になる現状をどうにかしたくていろんなことを調べていて、

長い付き合いのはずの強迫のまだまだ知らないことがいろいろあることを知って、怖いと思った。

だけどそんな側面もあるのだと知ることができてよかった。


この前のブログで書いたように、私は人からのお返事のこととかで不安にとらわれる時間が今とても多くて。

仕事してれば忘れられると思って仕事に臨んでも全然だめで。

そんな自分を責めたくなって苦しくなる一方だった。

だけど、これも強迫の一つの顔なのかもしれないと知ったら、ほんの少しだけ納得できてすっきりした気がした。

とにかく何がどう不安なのかわからなくてつらくて最悪の結末しか考えられなくて。

敵がわからないと対処のしようがないから、懺悔のことをわかってよかったと思いたい。

強迫だとしたら、しかたない。

嫌だけど、強迫の影響だとしたら、ずっと自分の中にあるものだからうまく付き合う方法がきっとみつかるはず。

不潔恐怖ともなんとかやっているのだから、きっと今回も大丈夫だ、そう信じたい。


先日通院日で、先生に不安でたまらないという話をした。

日常生活に支障をきたすレベルなら、薬を飲んだ方が安心できるというなら、処方はしますよと言ってもらった。

だけど私は自分の今の不安が日常生活をこれ以上蝕んでいくものなのかわからないから、現時点で先生だったらどんな判断をしますかときいた。

そしたら先生としては現時点では様子見の判断をします、と。

それをきいて、とりあえず様子見でお願いをして、今はコンスタンを飲んで過ごしている。

正直かなり厳しい状態で、やっぱり薬を飲んだ方がよかったんだろうかと日々葛藤している。

今の先生はまずこちらの気持ちを尊重してくださるので、とてもありがたい。

もしどうしてもギブアップ、となったらその時は新たな可能性を探りたい。


私はこれを書きながらも今も「あの人のことを私は傷つけてしまったんじゃないか、嫌われてしまったんじゃないか」と不安でいっぱいになっている。

ずっと頭の中で「ごめんなさい」て謝り続けている毎日。

でももしこれで、その人は私に何も言っていないのに、勝手にごめんなさいと謝ったり傷つけていないか確認したりしたら懺悔強迫になっちゃうのかなと思ったら、これを乗り越えられる自分になっていかなきゃだなと思う。

巻き込みたくないから。


不安になるのはつらいけれど、それは私の問題で、周りの人には関係ないことだ。

好きな人たちのことを巻き込みたくない。

自分でうまく対処できるようになりたい。

なれるといいな、きっとなれるよね、なろう。


きっと明日も大丈夫。





多分人からしたら「そんなことでそんなに深刻に悩むの?」というようなことですごく悩んで落ち込んでしまう。


たとえば友達とLINEしていたとして。

読むのも読まないのも、お返事するのもしないのも、相手も私も自由。

もし会話がとまったとして、また用事あったら連絡したらいいしーって思うしだいたいの友達とはそういうスタンスでお互いそうしていると思う。


だけど「また連絡する」というのがみんなに出来るわけではなくて。

それが出来る相手とは信頼関係があるのかな?

だからお返事なかったとしても不安にならないし、私で会話を止めることもできるし、また連絡することも出来るし、また連絡もくれている。

それが出来ない相手に対しては、私はとても不安になってしまう。

相手の人はわからないけれど、私の中ではまだそこまでの関係性が出来ていないのかもしれない。

相手が未読のままだったり、既読になって時がたってしまった時、すごく不安になってしまう。

最初は「忙しいのかな、体調大丈夫かな」からはじまり、「何か嫌なことを言ってしまってもう私のこと嫌になっちゃったんだろうな、ごめんなさい」という全部自分のせいという考えになってしまい一人で悲しくなり落ち込んでしまう。

もうこの人とお話できないんだな、楽しかったのにな、私が至らなかったがばっかりにさよならになっちゃうんだな…なんてところまで考えが飛躍していく。

好きとか嫌いとか以前に、人は私に興味なんてそもそもないのに、自分のせいだって思うこと自体が自惚れなんじゃないかとも思うのだけど…

つながりがなくなってしまうかもって怖くてたまらなくなる。


たとえばその相手の人が他のSNSでもつながっていたとして、私との会話は未読のままで他のSNSの更新やリプライをしているのを知った時、元気ならよかった!と安心すると同時にやっぱり私は何か言っちゃったのかな、嫌なのかなとすごく怖くて寂しくて悲しくなってしまう。

一対一のやりとりをするLINEと他のSNSとでは全然違うとわかっているし、最初に書いた通りそもそもメッセージを見る義務も返信の義務もないとちゃんとわかっているはずなのになぁ。

どうして不安になっちゃうんだろう。


結局自分自身に自信がないから不安になっちゃうのかな。

仲良くなりたいと思う気持ちが空回り、かな。

こんなことで不安になっちゃうなんて相手の人には言えないし言わない。

重いですよねすみません…と自分で思う。

もっとカラッと生きていたいな。

こんなことでみんなは悩まないのかな?

寂しくなったり落ち込んだりしないのかな?


考えすぎてしまう自分がいやだなって。

だからいつも心の中で

「あなたはあなた わたしはわたし」

って言い聞かせてる。

だけどなかなか、一度考えだしたらどんどん悪い方に思考がいってしまう。

日に日にひどくなってる気がして。

不安に押しつぶされそうになる。

こんなことで悩むなんて、て思われちゃうかな。

考えすぎだよねって思う。

だけど不安でたまらなくなっちゃう。

情けないのだけど泣。


どんなに不安になったって、どんなに考えたって、相手の気持ちはその人自身のものだから私にはわからない。

どうするかもその人の自由。

それは相手を理解することを放棄するってことではもちろんなくて。

自分と人をちゃんと分けて考えられるようになりたいなってことなのだけど。

自分が自分自身を好きになれないことと人が自分をどう思うかを混同してはいけない。

自分の気持ちを勝手に相手もそう思うだろうって投影してしまったらよくない。

あなたはあなた わたしはわたし

何度も自分に言い聞かせている。


不安になりすぎて疲れてしまって、何してんだろうって自分を責めてばかりになってしまって。

あーまたよくないループに入ってしまってるなって怖くなる。

だけどいろんな方と出会っていろんな経験をしてきた時間がきっと心のお守りになる。

この怒涛の不安の波もいつかうまくのりこなせるようになるんだろうか。

なれるといいな。

というか、不安にならない自分になりたい。


きっと明日も大丈夫。





お久しぶりです。

皆様お元気ですか?

私はおかげさまでぼちぼち日々過ごしています。

年を重ねると時が経つのが早く感じるようになるとはきいていたけれど、こんなにも早いなんて。


私は福祉系の専門学校在学中に強迫になり、不潔恐怖が酷く、介護福祉士の資格はなんとか取得したものの、介護のお仕事を諦めました。

きっと一生その世界で働くことはないのだろうと思っていました。

ですが、資格を取得して15年近くたった今、ガイドヘルパーとして働き始めています。

自分でも驚いています。人生何が起こるかわかりません。

昨年の夏頃に、たまたま行ったスーパーに貼られていた求人をみて、突然チャレンジしてみたくなりました。

面接のために、人生で初めて、介護福祉士の資格証を外に持ち出しました。

この資格証を外に出してあげられる日がくるなんて思ってもいなかったので、なんだかとても心にじんわり嬉しさがしみました。

ガイドヘルパーは障害のある方の外出をサポートするお仕事、という感じです。

自分自身が病気を抱えながらやらせていただいても良いのだろうか、と迷いました。

でも、自分自身に病気があるからこそ気づけることもたくさんあるんじゃないかとも考えました。

ありがたいことに採用していただけました。

お仕事を始めた、といっても月にほんの少し。

それでもこのお仕事を始めることが出来たということが、自分にとってはとても大きなことです。

事業所の方達も、利用者さん達も良い方ばかりで、素敵な出会いがたくさんで、始めることが出来てよかったと心から思います。

大変なことはたくさんあるし、自分には出来るのだろうかと不安になることも多々あります。 

不潔恐怖は相変わらずあるけれど、不思議と利用者さんといる時はあまり気にならなかったりします。

今のこのコロナ禍で、どこでも手が洗えてアルコールがたくさんいろんなところに置かれている安心感もあるのかもしれません。

皮肉なことに、コロナ禍になって私はできるようになったことが増えたのかもしれません。

もちろんコロナ禍は早く終わってほしいですが。

この先どうなったとしても、チャレンジできたということ自体が自分にとっては宝物な経験だと思います。

できればこのまま続けていけるように、ぼちぼちで頑張りたいと思っています。


今年の春からはさらに新しいことを始めました。

今はまだ週一日、この先少しずつ増やしていただくことになるかもしれないのですが、事務的なお仕事も始めました。

私がずっと避けてきて、これは無理だろうと思っていた「電話に出る」こともしなければならないお仕事です。

その部屋にいるいろんな人が同じ電話を使います。

手ならすぐに洗えるけれど、耳はそうはいかないので、私にとっては電話はかなりハードルが高いです。

どんな人から電話がかかってくるのかわからないというのも私にとってはとてもこわくて、

突然音が鳴るというのも苦手で。

強迫的にも自分の性格的にもとにかく電話は避けないとと思って生きてきました。

だけどそのお仕事をするためには電話はマストで、すごく迷ったのですが、一度チャレンジさせていただくことになりました。

私の病気のことを知った上で、知り合いの方がこのお仕事をやってみないかと声をかけてくださいました。

そのお気持ちがとてもありがたくて、もしかしたらだめかもしれないけど、やってみたいと思うことが出来ました。

2か月くらい経って、失敗もたくさんしてしまっていますが、なんとか通っています。

電話はやっぱりちょっとまだまだ辛いですが、他の業務は初めてのことだらけでそれがとてもワクワクして、とてもありがたいなと思います。


自分にやらせていただけることはこの世にあるんだろうか。

病気になってからずっとそう考えながら生きています。

今までもうまくいかずにお別れしたお仕事もあります。

諦めたくなくて、ずっと何かできることを探して、それでも時にはひたすら休むしかなくなって。

自分は相変わらず波があるので、この先もどうなるかわかりません。

それでも今、いろんな方のおかげで新たな出会いやワクワクすることがあります。

それがとても嬉しいと今は思います。

通う場所がある、いろんな方とお話できる、とてもしあわせなことだなぁって思います。

ひたすらにありがたいです。


楽しみが勝っている時はいいけれど、辛さが上回るようだったら無理はしないように、と病院の先生から言っていただきました。

私自身もそこを気をつけないとなと強く思います。

いかに自分の心に波をたてないか。

すごく難しいけれど、少しでも自分自身と折り合いをつけて頑張りたいなと思っています。


私にはもったいない良い方ばかりに囲まれていて、本当にありがたい日々です。

寄り添ってくれる方達がいてくださることで、私は少しずついろんなことにチャレンジすることができています。

私も誰かに寄り添える人になりたいです。

本当にありがとうございます。


まだまだ大変な時が続いていますが、皆様が元気でいられますように!と願っています。

無理せずぼちぼちでお互いいきましょうね!

読んでくださって本当にありがとうございます。


きっと明日も大丈夫。