私は人に対して何か嫌なことをしてしまったんじゃないか、言ってしまったんじゃないか、と怖くなる。
それは元々の考え方のクセもあるのかもしれないけれど、強迫からくる加害恐怖の影響が大きいのではないかと思う。
その強迫観念が浮かんだとして、私はそれに対して何か強迫行為をしているつもりがなかった。
ただただ考えが浮かび、ただだたしんどくなって落ち込んでいることが多い…と思っていた。
でも懺悔強迫というものがあると知って、
私はこれを強迫行為としてやってきてしまっていたんじゃないかと感じた。
私がある人と話した後、数日たってから。
じわじわと浮かぶ「もしかしたら相手に何か傷つけるようなことを言ってしまったんじゃないか」という加害恐怖(強迫観念)で頭がいっぱいになり不安でたまらなくなった時。
その不安にたえられず、その相手の人に私は「何か嫌なことをしたり言ったりしてしまっていたとしたらごめんなさい」と連絡することがある。
そんな時、相手の人は「何もないよ、大丈夫だよ」と言ってくれて、それにほっとする。
…それを私は今までいろんな人に対してやってしまっている。
それがもし強迫観念を打ち消すための懺悔(強迫行為)になってしまっているとしたら。
それは相手を強迫に巻き込んでしまっていることになる。
自分で気付かぬうちに巻き込んでしまってきたのかと申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
みんなごめんね。
あまりにも人に対して不安になる現状をどうにかしたくていろんなことを調べていて、
長い付き合いのはずの強迫のまだまだ知らないことがいろいろあることを知って、怖いと思った。
だけどそんな側面もあるのだと知ることができてよかった。
この前のブログで書いたように、私は人からのお返事のこととかで不安にとらわれる時間が今とても多くて。
仕事してれば忘れられると思って仕事に臨んでも全然だめで。
そんな自分を責めたくなって苦しくなる一方だった。
だけど、これも強迫の一つの顔なのかもしれないと知ったら、ほんの少しだけ納得できてすっきりした気がした。
とにかく何がどう不安なのかわからなくてつらくて最悪の結末しか考えられなくて。
敵がわからないと対処のしようがないから、懺悔のことをわかってよかったと思いたい。
強迫だとしたら、しかたない。
嫌だけど、強迫の影響だとしたら、ずっと自分の中にあるものだからうまく付き合う方法がきっとみつかるはず。
不潔恐怖ともなんとかやっているのだから、きっと今回も大丈夫だ、そう信じたい。
先日通院日で、先生に不安でたまらないという話をした。
日常生活に支障をきたすレベルなら、薬を飲んだ方が安心できるというなら、処方はしますよと言ってもらった。
だけど私は自分の今の不安が日常生活をこれ以上蝕んでいくものなのかわからないから、現時点で先生だったらどんな判断をしますかときいた。
そしたら先生としては現時点では様子見の判断をします、と。
それをきいて、とりあえず様子見でお願いをして、今はコンスタンを飲んで過ごしている。
正直かなり厳しい状態で、やっぱり薬を飲んだ方がよかったんだろうかと日々葛藤している。
今の先生はまずこちらの気持ちを尊重してくださるので、とてもありがたい。
もしどうしてもギブアップ、となったらその時は新たな可能性を探りたい。
私はこれを書きながらも今も「あの人のことを私は傷つけてしまったんじゃないか、嫌われてしまったんじゃないか」と不安でいっぱいになっている。
ずっと頭の中で「ごめんなさい」て謝り続けている毎日。
でももしこれで、その人は私に何も言っていないのに、勝手にごめんなさいと謝ったり傷つけていないか確認したりしたら懺悔強迫になっちゃうのかなと思ったら、これを乗り越えられる自分になっていかなきゃだなと思う。
巻き込みたくないから。
不安になるのはつらいけれど、それは私の問題で、周りの人には関係ないことだ。
好きな人たちのことを巻き込みたくない。
自分でうまく対処できるようになりたい。
なれるといいな、きっとなれるよね、なろう。
きっと明日も大丈夫。