私が離婚に至るまで


     夫との離婚の経緯を綴りました。ぜひぜひよろしく。(最新9月21日更新)


      〈壮絶!結婚に至るまで。〉

 

      その① 結婚前からその兆候は見えていた!? 

      その② 身分証明書とその嘘  前編

      その③ 身分証明書とその嘘  後編

      その④ 疑わしき第一の女   

      その⑤ 元夫との両親との初の対面

      その⑥ 夫の両親との密会の約束  

      その⑦ 夫の偽りの全貌

      その⑧ 別れを決めるべき時!?

      その⑨ 妊娠の可能性

      その⑩ 決意 new


    

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翌日の朝、トイレでうっすらと出血に気が付いた。


「な~んだ。やっぱり生理が遅れてただけか…」


少しだるさがあったが普通に空港に向けて電車に乗った。



天王寺から関空快速に乗り換える。


いつものことだが混んでいた。生理痛の日にはこたえる。うっ。。。( ̄x ̄;)


今日会って、彼(「元夫」とずっと書いてきましたが、読む方が勘違いしそうなのでこの時点では結婚していない為、ここからは「彼」とします)とどんな話をしようかと考えながら満員電車に揺られていた。






かばんが重い…┗( ̄□ ̄||)┛


今でも覚えている。


この頃私はグッチのかばんを使っていた、ちょうど肩に掛ける部分が金属(シルバープレート)になっていて

荷物が重たいと金属が肩に食い込んで痛かった。


満員電車の中で、電車の結合部分にあたるドアにもたれて私はかばんの中をガサガサとあさり始めた。


いらない物捨てなきゃ。なんでこんなにかばんがパンパンなんだ(-""-;)ムッ


なんでもかばんにしまう癖がある。


私のかばんはいつもブタになっている。(  ̄(oo) ̄)ノ⌒●~* ぽぃっ!



昨日の妊娠検査薬、かばんに入れっぱなしだった。


いくら蓋をして袋に入れてあるからといって、おしっこをかけて検査したのだから早く捨てなきゃ。


汚いなぁ~もぉ~。


なんて考えながら妊娠検査薬を見ると、










検査結果のところに本当にうっすらとピンク色のラインが見えた。













げっ!!!











なんだこりゃ????


今朝少し出血してたぞ??


しかも昨日検査したときにはこんなのなかったぞ???









なんで?????











「妊娠」の文字が頭の中を駆け巡りながら、私は関空BOX(勤めていたテレビ局の空港内の駐在所の通称)にたどり着いた。


動悸が治まらない。


もし妊娠してたら…


私…どうなるの???


別れるんじゃなかったっけ?


いや、今日会うんだ…


あれ?こないだ両親はなんて言ってたっけ?










|||||||||||||凹[◎凸◎;]凹|||||||||||||












「おはようございま……」


関空BOXにの扉を開けようとした瞬間から目の前が真っ暗になった。










気が付くと空港内にある近畿大学付属病院の分室のベットに寝ていた。


倒れたんだ…。


時計を見るとほんの15分程度だったようだ。


若い男の医者が


「血圧低いね~過労じゃない??今日はもうかえって休んだら?」


と言った。




私はBOXに戻って早退する旨を伝え、荷物を持って先ほどの近大病院の分室に戻った。





「あの…」


「ああ、君。どうしたの?まだ帰ってなかったの?車呼んだほうがいいんじゃない?」


「あの…」


「??」


「…妊娠の可能性があります。」


「…そう。」


「ここから一番近い産婦人科、どこですか?」


「え~っと、ちょっとまってね…。りんくう総合医療センターかあとは泉佐野の谷○病院かな。連絡先書いてあげるよ。」


「ありがとうございます。」



すらすらと電話番号を書いたメモをくれた。



「どちらにしても妊娠の可能性があってこの低血圧じゃ、少し仕事を休んだほうがいいかもね。」


「はい。ありがとうございました。」




そう告げて私は関西空港駅に向かった。



さて、どうしよう…


総合病院のほうが近そうだがきっと随分待たされるだろうし、時間もかかる。


個人病院の方が無難だろうか…


結局私は泉佐野にある個人の産婦人科を選んで行った。



駅から徒歩5分。


体調の悪かった私にはちょっとキツかった。


目に入ったのは思ったよりもきれいな産婦人科と言うよりか産院。


病院の中もピンク色でオルゴールで「となりのトトロ」が流れていた。


回りには妊婦さんばかり。


妊娠に確証が持てない私は、妊婦さんばかりの待合室にいる自分が不思議でしょうがない気分だった。


個人病院だが随分人気のある病院のようで、結局診察まで一時間強は待ったように思う。


受付で妊娠の可能性を告げていた私は先に尿検査を済ませていた。


診察室に入ると、中年の男性医師が唐突に言った。



「妊娠していますね。」


「は??」


「尿検査では妊娠の反応が出ています。」


「あの…昨日市販の妊娠検査薬で調べたんですが、検査直後には妊娠反応は出ていたなかったのですが今日になってうっすらと反応が見えたと言うか…」


「妊娠の初期にはありえることです。検査直後は検査薬自体が尿で濡れていますので、うっすらとした反応なら検査薬が乾いた後に見えることは考えられます。」


「そうですか…。」


「とりあえずエコーも見ましょう。」



検査台に上がる。


緊張して足に力が入る。



「あ~まだ写らないですね。ごく初期の妊娠です。一週間すればエコーに写るでしょう。」





診察室に戻ると



「妊娠のごく初期の段階はまだ赤ちゃんが小さすぎてエコーには写りません。ただ尿検査で妊娠の反応が出ていますので、間違いなく妊娠しています。ただ、まだエコーに写らない以上、子宮外妊娠などの可能性を含め通常の出産に至る妊娠であるとは断定できませんので、もしも子宮外妊娠の可能性を考えれば、一週間後にもう一度エコーをとりに来てください。」


「今朝、ほんの少し出血してたのですが…」


「それも妊娠初期にはあることです。エコーの検査の時には出血は見られませんでしたのでおそらく大丈夫でしょう。」



私は軽く会釈をして病院を出た。











妊娠している―。


私のお腹の中に赤ちゃんがいる。










彼とも彼の両親ともさんざん揉めているさなかである。


しかし、何一つ迷いはなかった。






















わたし、ママになるんだ。







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先週のこと。


初期検査にいてきました。病院は大阪市内の某総合病院。


11時に待ち合わせの約束に、10時半ごろ病院に到着。


コーディネーターはまだ見当たらず、売店にいってジュースを買ったり病院内をうろうろしていた。


11時ジャストにコーディネーターらしき人が現れる。


2人の女性。





あれれれ?




そうかそうか、確か電話で「研修生を連れて行ってもいいですか?」と言っていた。




またまたご丁寧に挨拶をし、担当医のところへ向かう。


担当医、私、母、コーディネーター、コーディネーターの研修生がそろって説明と問診を始めた。



数年前に患ったヘルニアについてしつこく聞かれた。


私の腰は、第一子を出産後の腰痛に悩まされ、整形外科に通院していた。


ふとこのとき思い出したのだが、「第五腰椎分離症」と診断されていたように思う。


それが原因となる軽度のヘルニア。



1ヶ月ほどの通院で完治した。


ヘルニアが1ヶ月で完治したのだから、まぁごく軽度であったと思う。



そこまで話すと、担当医が


「今回は見合わせたほうが…」


などと言い出した。



せっかくここまできたのだ。せめてドナーの1人として辞退するようなことだけはしたくないと告げた。


担当医の話では、


骨髄バンクが決めた基準と言うのは本当に厳しくて、本来なら日常生活になんら問題のない程度の値(低血圧や貧血など)そういったものでもドナー候補から外れてしまうのだという。


何人かの候補者がいれば一番状態の良い、拒絶反応のおきにくいドナーにしたいというのは理解できるが、今現在まったく症状のない過去の腰痛にまでさかのぼってドナー候補から外れてしまうのは納得がいかない。


どうしてもこのままコーディネートを続けたいという私に対して担当医は条件をつけた。



「整形外科に受診して医師の診察結果により引き続きコーディネートを続けるかどうか決めましょう」


と言った。ちなみに整形外科に関しても、骨髄移植に理解のある総合病院もしくは大学病院と限定された。


町の開業医では判断が難しいだろうと。




すんなり血液検査に進まなかったことに少し不満だったが、ただでさえ骨盤に下手すれば100箇所以上針を刺すことになるわけだから、もともとまったく腰痛のない人でも腰痛が起こる可能性は十部あるらしい。


それを聞くと、どちらにせよ腰に爆弾を抱えている私は数年前の腰の疾患が今現在どのようになっているのか知っておくべきだとは思う。



とりあえず整形外科か…


総合病院か大学病院。面倒だなぁ~


待たされるだろうし一日つぶれてしまう。


なるべくはやく何とかしなければいけない。




この日から二日後、特に理由はないが私は急に体調を崩し、いつものかかりつけ医のところに向かった。


一般血液検査と尿検査、血圧が妙に低かったが、まぁ、働きすぎだからそんなこともよくあることである。


絶大な信頼をおいているこのかかりつけ医に、一連の骨髄バンクの話と、私の過去の腰痛の話をした。


かかりつけ医の所見では、第五腰椎の分離症とそれにまつわる軽度のヘルニアであれば、骨髄移植にはまったく問題はないと。


「針を刺す部分がぜんぜん違う場所なのだから、僕ならば問題ないと言うね。」と言われた。


「針を刺す場所が違っても、術後その部分をかばうことによって以前の腰痛が出てくる可能性は?」と聞くと


「可能性はゼロではないけれども、基本的に骨髄移植自体には関係ない」ということ。


終いには、


「骨髄バンクからの指定医なのにちょっと頼りないね~」なんて言われてしまった。


同じ医者でもこんなにも違うものか??




どなたか知識のある方もない方も、ご意見いただければうれしいです。

何しに来たんだ?



元夫は私の姿に気がつくと、走り寄ってきた。




「聞いて欲しいねん」


「もう話すこと…ないよ」


「少しだけでいいから。」




まくし立てるように話した夫の話は、



とても実家が厳しかったこと。


すべて親の決めるとおりで、何一つ自分の希望は通らなかった。


自分が好きなスポーツもやらせてもらえなかった。


大切にしていた競技用の自転車も「あぶない」ということを理由に捨てられた。


その実家から逃げ出すことばかりを考えていたこと。


門限はもちろんのこと、友達まで親に決められていた。


大切な友達はそのせいで失った。


家を出てからは新しい自分として生きたかった。


名前も変えて、実家のことを知らない新しい友達も一からつくりたいと思っていた。




そんなときに出会ったのだ私だった。




初めて本気で人を好きになったし、本気で一緒になりたいと思った。


実家のことを知られたら、きっと嫌われると思っていた。


いつかはばれるとは思ったが、このままずっと同じ生活を続けていくことしか考えられなかった。


愛していると言う気持ちだけは嘘はない。


そして


これからも気持ちは変わらないと。





一気にそこまで話終ると、元夫の目は涙で一杯だった。




確かに同情はする。


昨日私が会った元夫の両親は、元夫の言うとおり尋常ではない雰囲気であった。


でも。


でも、もっと早く説明することが出来たんじゃないか?


半年も一緒に暮らしていたのに。


そう思うと、やはり一概に元夫のことを許すことは出来なかった。





「少し…考えさせて。


今すぐ元通りってわけにはいかない。


時間を下さい。


どうするか、気持ちが固まればこっちから連絡するから。」



暗い表情でうつむいた元夫は



「わかった」



とだけ言い、トボトボ駅のほうへ歩いていった。









そして次の日。



仕事から帰ると、またマンションの前に元夫の姿が。



「考えさせてって言ったでしょ?」


「ここで待ちたいんや」


「勝手にすれば?」



次の日も、その次の日も、仕事帰りの私を元夫は待ち続けていた。


どうやら私が帰ってくる時間を見計らって毎日ここに来ているようだった。




そして、私の休日の日。



朝、食パンを切らしていることに気が付いた私は、コンビニへ向かうため、パジャマにパーカーを羽織ってマンションを出た。







またいる!!!






しかも今日は朝から。


(当時私はテレビ局に勤めていたため、休日は不定期だった。一緒に暮らしていたマンションを引き払う前に壁に貼ってあった私の勤務シフト表をどうやらチェックしていたようだった。)





申し訳なさそうにたたずむ情けない元夫の表情になぜか笑いがこみ上げてきた。






(笑)


「もういいよ。ちゃんと連絡するから、そんな顔しないでよ。毎日毎日こんなところにいられちゃ近所にも迷惑よ。明日、仕事が終ったら会って話そう。とりあえず帰って。明日また連絡するよ。」




私の笑顔に、元夫の表情も和らいだ。



少し納得いった表情で夫は駅の方へ歩いていった。







実はこの日の朝、私はとても不安に思っていることがあった。


いつもちゃんと遅れもせずに来る生理が今月は一週間以上遅れていた。


もしかしたら妊娠しているんじゃないかと感じていた私は、この日の朝、食パンついでに近くの薬局に向かい、妊娠検査薬を買った。


この結果次第では、明日の元夫との話はさらにややこしくなる。




家に帰って早速検査薬を試してみた。


妊娠していたら、検査薬のスティックに赤い線が出るはず。







……。




陰性。




ホッとした。おしっこをかけて検査をするのだが、10分まっても20分まっても赤いラインは出なかった。






とりあえず大きな心配は無くなった。



明日、元夫と話し合わなければいけない。


これからの2人のことを―。





そう思いながら、検査薬に蓋をして、まさか実家のゴミ箱には捨てられないのでとりあえず検査薬はかばんの中にポイッと入れておいた。








この検査薬が、次の日の私を倒れさせる原因となる。







※次に続く。










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最初の連絡があった次の日、また骨髄バンクからの連絡があった。


第一回目の検査の日程を調整したいとのこと。






そうそう、骨髄バンクから、「ドナーの一人に選ばれました。」という通知を受け取ってから、あちこちの骨髄移植関連のサイトを見た。


どうやらもし本当にこのまま私がドナーになったとしたら、相手の患者さんに絶対にわかってはいけないということで、マスコミに出ることや、こうやってブログに書くことにしても、個人を特定できてはならにのだそうだ。


これからはブログに書くないように関しても、ちょっと気をつけなきゃならないなぁと思っている。


病院を特定できてはならないし、移植の日程も公開してはならない。


おおよそ特定できない範囲で書いていこうと思う。






話は戻るが、第一回目の検査の日程について。


私は基本的に自宅付近の病院を希望した。


どのみち会社は休まなければいけないだろうし、両親も少なからず心配はしている。


最初の検査から母親はついてくる様子だ。


しかし、希望の病院と私との日程が合わなかったため、私が住んでいるところからはずっと街中の大きな総合病院に決定した。


検査の日程について、コーディネーターの女性が、



「9月17日までに検査を受けていただく必要があります」



と言っていた。通常の骨髄移植よりも患者さんの都合で日程が随分押し迫っているということ。


前回もそう書いたが、よほど患者さんの容態が良くないのか?と心配になってきた。


とにかく、9月17日までに検査を受けれるように日程の調整をした。



この日も、そのことについて何度となくコーディネーターからの電話がかかってきた。


迅速な対応。


本当に大変な仕事だなぁ~。



週末、家に帰ってくると、骨髄バンクからいくつかの封書が届いていた。



まず、書類にサインが抜けていたという問診表が送りかされてきていた。


それと、検査の日程と検査を受ける病院の地図、担当医師のことがかかれた書類。


最後に、今回のコーディネータの決定通知(コーディネーターの名前やこれからの連絡先など)。



なんだかとんとん拍子に話が進んでゆく。








インターネットでいろいろなドナー登録されている方のサイトを見たが、適合通知を何度か受け取ってもほかのドナーに決まったり、ドナー自体の健康上や仕事の状況でとなかなか移植に至らないケースも多々あるのだと。



しかし、私はなんとなく思う。



なぜだわからないが、今回私はドナーとして移植にいたるような気がするのだ。



ただなんとなくだが。



そうなるような気がする。





トラックバックいただいたmomo さん。しんた さん。


ありがとうございます。骨髄バンクへの登録、すばらしいことだと思います。


これからもよろしくお願いします。





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本日何度か骨髄バンクからの電話がかかってきた。


午前中にかかってきた電話は、東京からだった。


私が出したアンケート用紙(提供の意思はあるかどうかを問うもの)の記入漏れとサインが一つ足りなかったと言うもの。


先週末に記入したときに感じたのは、やはりアンケート用紙一枚一枚さえものすごく繊細に出来ていて、サインの欄もたしかいくつかあったように思う。


あと、今までに骨髄移植のドナーになったことがあるかどうかというところの記入が漏れていたようだ。


とにかくすぐに送り返してもらって、記入しなおし、再送する必要があると言われた。


とりあえず移植の意思があり、前向きに移植に協力するということで、コーディネートはこのまま進めさせていただきます。とおっしゃっていた。





そして、午後になって、今度は携帯電話からの着信があった。


またまた骨髄バンク。


今度はどうやら大阪からのようだ。


電話に出たコーディネーターが「大阪事務局です」と言ったように思った。


「朝から何度もお電話もうしわけございません。」


から始まった電話は、非常にバカ丁寧で、お話しているこちらのほうが恐縮してしまうような雰囲気だった。


コーディネーターもいろいろと気を使うのだなぁと思いながら話は進んだ。


今回は患者さんの容態により、通常よりも半分の期間(約二ヵ月半)で移植まで進めたい。ただ、患者さんのそのときの状態によっては、移植が先送りになる可能性もある。




最短で二ヵ月半―。





今移植を待っている患者とその家族は、どんな気持ちでいるのだろうか。


一刻も早く移植を待っているに違いない。


唯一命が助かる方法。


ここで私が拒否したら、そのまま死んでしまうのかもしれない。



同じようなことが今までにも何度か頭の中をよぎったが、また今日も同じことを考えた。




そして、ドナーである私のほうの、最初の問診と血液検査を9月17日までに済ませて欲しいとのこと。


「いいですよ。」


と軽く返事をしても、また、


「お仕事が忙しい中申し訳ないです。本当に申し訳ないのですが…」


などと非常にご丁寧なコーディネーターさんが少しおもしろくさえ感じました。(^。^)



私の家族も少なからず心配はしているので、なるべくなら自宅近くの病院での検査を希望することと、日時は指定していただければこちらでなんとか調整して検査に向かいますとのことを伝えた。


コーディネーターさんは


「では、来週早々にもご連絡させていただきますので、申し訳ないのですがこの着信番号をメモリーに入れておいてくださいね」


といってまたまたご丁寧にご挨拶をして電話を切った。



1人の患者さんに対して、1人のドナーしか見つからないときもあれば、最大5人までのドナーが候補に選ばれる。


「今回は何人のドナーが候補に上がっているのですか?」


と聞いたが、それは大阪事務局のコーディネーターでは分からないのだそうだ。



まぁ患者さんにしてみれば候補が多いほうがいいに決まっているのだが、私としてはせっかく乗り気なのに他の人に決まったら少し残念だなぁなんて思ったりもする。


患者さんにとってよりベストなドナーでベストな状態での移植が出来ることを祈る。

この日、私は元夫に対し、両親に会ったことと聞いてきた内容の全てを話した。




話し終わることには、私はもう話しているのか泣いているのかさえ分からないほど興奮していた。






「ゴメン」




「なんで?なんで騙したの?」




「騙すつもりはなかったんや。」








。・°°・(>_<)・°°・。









「はじめて会った時に名乗った名前を撤回できひんかったんや…そのまま…ずっと…」




「友達もみんな騙してたわけ?」













もうダメだ—。




どんな理由が有ろうが知ってしまった以上、これ以上この人と一緒には居られない。



この人のためにも別れるべきだ。










「私…、もう無理」




「…」

「ごめんなさい。」




「理由があるんや。オレは…」




「どんな理由があっても無理やわ。もう話も聞きたくない。愛されてると思ってたのに。」




「…ゴメン」




「もう電話もしてこないで下さい。」









ガチャンッ!!!!





この後も私の携帯電話は鳴り続けた。


何度か鳴り続けた後、私は電源を切った。


今度は自宅の電話が鳴ったが、尋常ではない空気を察してか母は電話を取り次がなかった。







無。





そんな感じだった。私の中にはもう何もなかった。


この頃の私は「彼と一緒に生きていく」為に生きていた。


でも…もう何も無い-。


「死にたい」とは思わなかったが「死んでしまうのではないか」という恐怖感に取り憑かれた。






そのまま一睡もしないで朝を迎える。





私が絶望していてもやっぱり朝になる。

「それでも地球は回っている」とはよく言ったものだ。




ゲッソリとした私を見て、母は仕事を休むように進めたが、私はそれでも電車に乗り仕事場へ向かった。


「死んでしまうんじゃないか」という恐怖感。


私の足を動かした。


一人で家になんて居られない。


そんな気分だった。







そつなく一日の仕事をこなした。


昨日のことが嘘のように思えた。


もしかしたら元夫の言うことが本当で、両親は私と元夫のことを引きはがすために嘘を言ったのではないかと、何処までも自分に都合の良い妄想にもたれかかっていた。


これは現実なんだ。




仕事を終え、電車に乗る。電車を終えて自宅に向かって歩く。


明日も明後日も、また何気ない日常が過ぎていくんだ。




その時。実家であるマンションの前に見慣れた後ろ姿。



元夫である。





※次ぎに続く







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とある駅のバスターミナル付近で元夫の両親と待ち合わせをした。


この頃は私もすごく気が動転していて、ブログを書くに当って、当時の記憶を掘り返してみましたが、どこの駅のバスターミナルだったかどうやっても思い出せませんでした。




元夫にはこの日は家族で食事をするので迎えには来ないで欲しいと言っておいた。



そこに到着すると、先日伺った会社に停めてあった高級車で現れた二人。


表情はなんとも読みづらく、不安がよぎりました。


後部座席に乗るようドアを開けられましたが、少しためらうと



「どこかゆっくり話せそうな店に入ろうか。」



と元夫の父親。


私の不安を察したような雰囲気。



いくつかその周辺の高級ホテルのレストランに車内から携帯電話で予約をしようと試みていたが、なにせ時間が遅かったため、(21時ぐらいだっただろうか?)どこもラストオーダーと告げられ、なかなか行き先が決まらなかった。



しかたなく、走行車線から見えたファミリーレストランに入る。


ここからは3者の会話が入り乱れますので、文字の色に注意してくださいね。



駐車場で車を降りるなり元夫の母は



「私たちこんなお店に入ったことが無いから分からないわ。」


「…そうですか」


「いつも大体ホテルのレストランだから…ねぇ。パパ。こんなお店にはねぇ…」


「こんな店こんな店言うな。失礼だろう。」



まったく失礼な人だと感じた。


お金持ちだかなんだか知らないけれど、私は好きになれないと率直にそう思った。


席に着き、かるくオーダーを済ませると、おもむろに父親のほうが話し始めた。


どうやら母親のほうはあまりしゃべらないようにと最初から止められているような雰囲気が伝わってきた。



「それで…うちの息子とはどこでしりあったのかな?」


「共通の友人を介して、去年の8月頃です。音楽をやっていた友人の家で知り合いました。」


「いつから一緒に暮らすようになったの?」


「翌月の9月。」


「君のご両親は?このことを?」


「知っています。〇〇君(元夫)も何度か会ったことがあります。」


「年頃の娘さんをお持ちにしては非常識ね。」


「オマエは黙ってろ。…なぜ私たちには話してくれなかったのかな??」


「それは…」



なんだか針の筵にされているようだった。


なぜ私がこんな風に責められなければいけないのか。


親なら息子に直接聞くべきである。




「それは?」


「先に聞いてもいいですか?」


「何?」


「失礼ですが、ご両親は〇〇君(元夫)の本当のご両親ですか?」


「当たり前でしょ?何言ってるの?」


「スイマセン。本当のご両親では無いと聞いていたもので。家庭環境が複雑であるから自分のほうからちゃんと話すと。もうすでに話して理解してもらっていると聞いていました。」


「それなら家族に会わせないのは不自然だとは思わなかったのか?」


「私も何度もあわせて欲しいと言いましたが、ご両親は、本当のご両親では無いので〇〇君(元夫)にあまり興味が無いと聞いていました。」


「………。」





……。






「勝手に人の家に上がり込んできておいて、誰が家賃を払ってたと思ってるの?」









「は???」








……


「〇〇君が払ってたんじゃないんですね…。」


「ず~っと私たちが払っていました。一週間に一度生活費も渡していました。あなた知ってたんでしょ?」




時々持って帰ってくる数枚の一万円札。実家にお金をせびりに行ってたんだ。



「未成年のあの子が1人でマンションを借りれるはずが無いじゃない?」


「それは…前に一緒に暮らしていた彼女が手続をしたと聞いていましたから…。」


「一緒に暮らしてた?(笑)あの子はあのマンションに行く前には私たちと一緒に暮らしていました。」


「妹は??3歳の妹がいるって…?」


「は?そんなものいません。」


「じゃぁ〇〇って名前もやっぱり嘘なんですね。」


「誰の名前?」





……。


嘘をどこかで最初から覚悟していた私は、涙さえも出なかった。


いや、ここで泣くことが負けを認めるようで悔しかったのかもしれない。






「…彼のことを、説明していただけませんか?お恥ずかしい話ですが、私は半年も一緒に暮らしていて彼のことを何ひとつしりません。」




……。


ご両親ももう、どこかあきれた表情で話し始めた。


内容はこう。




あのマンションを借りたのは去年の3月。


大学が決まらなかったので予備校に通うことになったが、その予備校が自宅から通うには遠かったので近くにマンションを借りた。


しかし、たった一ヶ月で予備校も辞めてしまった。


自宅に帰ってくるように家族が説得したが帰る意思は無いとのことで、来年の入試が終るまでという条件付で1人暮らしを認めた。


それでも一週間に一回はお金欲しさに実家に帰ってきた。


自立する意思があるのなら、アルバイトでもするべきだと両親も進めたが、本人にその気はなかった。


家族の意向としては、息子は大学を出て、いったんどこかの企業に勤め、その後実家の会社を継ぐというつもりである。


私のことで話に聞いていたのは、外国語大学に通う女の子と親しくなったので、英語の勉強を見てもらっていると。







ばかばかしくてため息も出なかった。


私の落胆の表情を読み取ってか、元夫の父親は



「君はだまされてたんだよ。ほんとうに君に対する愛情があれば、こんなにも君に嘘をつくだろうか?それでもうちの息子とこれからも一緒に暮らしていくつもりなの?」




―返す言葉がなかった。




近くの駅まで送ってもらった私は、どこかで想像していたこの展開に、落胆の色を隠せないまま自宅へ帰った。



自宅に帰ってまもなく、携帯電話が鳴った。元夫からの着信である。




「もしもし?」


「…」


「どう?家族で食事楽しかった?」


「どうしたの…??おーい!!」








「うそつき。」





※次回に続く。






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昨日書きかけて寝ましたが…。


先週末骨髄バンクから「骨髄ドナーコーディネートのお知らせ」という封書が届きました。


そもそも思い返してみると、私がドナーに登録したのは2001年。


長男が生まれた翌年、なんとなく見たネット公告がきっかけでした。


もしうちの子が白血病になったら―。


そんなことを考えると、白血病患者を支える家族と私は本当に紙一重なのだと。


出産後半年たっていたかいなかったかそんな頃だったように思います。



もう忘れかけていたこの出来事。


ちょくちょく会報のようなものは届いていましたが、案外と登録してもそう簡単にドナーになるというわけでは無いように感じていました。


そして約四年経過した先日。


ついにお伺いをたてる書類が届きました。



率直に思ったのは


「本当に私でドナーになれるのか?」


ということ。


お酒の飲みすぎで肝臓は大丈夫だろうか?


日々の寝不足や不摂生。私の骨髄液って人に渡しても大丈夫なの?


ってな感じ(笑)




すぐに両親に話しましたが、あんまりピンと来ていないらしく、


「たいして世の中の役に立ってないんだからそれぐらい役に立ってもいいんじゃない?」


なんて失礼なことを言っていました。



親しい人の中には反対の人も。


「確かに、ドナーの危険性は交通事故にあうよりもずっと低いけれど、全身麻酔のリスクを考えても、最近の医療ミスの多さを考えても、わざわざ高速道路を歩くようなことをしなくてもいい。」


という意見も。




私の考えとしては…。


もし患者の家族が私なら―。


それしか考えることは出来ませんでした。



もし白血病で骨髄移植を必要としている患者が、私の子供だったら。


間違いなくドナーとして提供するでしょう。



では、患者が自分の両親なら??


従兄弟なら??


友人なら??


もっと遠いただの知り合いなら??



ドナーとして骨髄液を提供するのに患者が誰であろうが、ここからが提供できないラインというのは存在しないと思います。




偶然、この書類が届いてから見つけたブログなのですが、


骨髄バンクは、「希望」と「絶望」のどちらなんだ?!


これを読んで、さらにドナーになることについて前向きな気持ちになりました。




ただ、私がドナーになることについて前向きであったとしても、これから始まる検査やコーディネートが進んでいく段階で、まだ私に決定したと言うわけではありません。


どうなるかは分かりませんが、これからどうなっていくのか、様子を綴っていこうかと思います。





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本日、骨髄バンクから分厚い書類の入った大きな封筒が届きました。


数年前に登録した骨髄バンク。


ドナー登録したことさえ、最近は思い出すことが少なくなっていました。



そして突然届いたコーディネートのお知らせ。







私がドナーに?????






突然のことですが詳しくは明日以降に。





土曜日、日曜日は日ごろ家を空けているため、子供と目いっぱい遊ぶ日となっております。


そのため、更新はちょっとムズカシイ…



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