鳥取市のテレビのはじまり | 渓声山色(けいせいさんしょく)

渓声山色(けいせいさんしょく)

広島・島根・山口へおいで



広島県・島根県の紀行です。

【日本海テレビは島根県進出をうかがっていた】

日本海テレビは今年の3月3日で開局65周年をむかえます。

1957年に鳥取テレビジョン放送として鳥取市に設立してから1959年に日本海テレビジョン放送として開局しています。中国地方では岡山県のラジオ山陽(山陽放送)につぐ2番目の開局です。

初めは基幹局の送信所が鳥取市の久松山に建設されるところでしたが、米原章三さんの尽力で今の湯梨浜町の鉢伏山に建設されることになりました。久松山だと鳥取市内を中心に鳥取県東部しか受信できないからです。鉢伏山なら鳥取県東部と中部がカバーできるからです。

1959年の12月には島根県向けのテレビ局として米子市のラジオ山陰(山陰放送)がテレビ放送を始めています。

当時は関東、近畿、中京の広域圏以外は一県で一つの民間放送局と決まっていました。

日本海テレビの本拠地である鳥取市はテレビ局としては不利な位置にあり、山陰放送や山陰中央テレビは60万人の人口集積地にありますが、鳥取市は離れた場所にあるからです。日本海新聞は兵庫県北部を販売エリアに入れればいいのですが、テレビでは兵庫県はすでに近畿広域圏に入っているので東にエリアを広げるわけにはいかないのです。

日本海テレビは開局当初から島根県に進出することを意識していたようです。念願がかなったのは1972年9月22日の3局乗り入れが実現したときでした。これも、テレビしまね(山陰中央テレビ)が難色を示していたので、説得しての実現でした。

島根県乗り入れで松江と浜田に局ができ、(松江支社は乗り入れ前からありました。)1年のうちに島根県の石見のすみずみまで局ができました。

 

 

【日本海テレビは苦難のスタートだった】(写真は本陣山のNTTドコモ中継局(マイクロウェーブ))

1959年3月3日に開局した日本海テレビですが、苦難のスタートでした。

テレビ局は自局の制作番組以外は東京の系列局のキー局の番組をそのまま放送しています。

日本海テレビなら日本テレビ、山陰放送ならTBS、山陰中央テレビならフジテレビです。

日本海テレビは開局から2ヶ月はそれができずに、今のケーブルテレビのように、自局の番組のみ放送していました。これは関東や近畿のテレビ局以外では珍しいことでした。

東京のテレビ局の放送を地方のネット局で放送するには、電電公社のマイクロウェーブ回線を使っていました。今はマイクロウェーブ回線ではなく、光回線です。東京ー大阪ー鳥取間のマイクロウェーブ回線の開設が日本海テレビの開局に間に合わなかったのです。

開局から2ヶ月後にマイクロウェーブ回線が開通すると、日本海テレビは東京のラジオ東京(TBS)の系列局になりました。実際には、日本海テレビはフジテレビの世話になって開局していて、社員は大阪の関西テレビ(フジテレビ系列)に研修に行っていました。日本海テレビはフジテレビの系列局になりたかったのですが、マイクロウェーブ回線が北陸経由しかなく、北陸にはフジテレビの系列局がなかったため、TBSを選んだのです。

同じ年の12月に米子にラジオテレビ兼局のラジオ山陰(山陰放送)がテレビ放送を開始すると、同じラテ兼局のTBSの系列局になりました。日本海テレビはTBSから日本テレビにキー局を移しました。

 

 

【鳥取県のテレビの黎明期】

1960年のテレビのチャンネルです。

《鳥取市》

日本海テレビ 1チャンネル

NHK総合   3チャンネル

NHK教育が8チャンネルの予定でしたが、4チャンネルで開局しています。

送信局は湯梨浜町の鉢伏山の1キロワットでした。

1972年にUHFの

山陰放送    22チャンネル

山陰中央テレビ 24チャンネルが開局しています。

UHFは鳥取市の毛無山から送信されました。

《倉吉市》

日本海テレビ 1チャンネル

NHK総合   3チャンネル

は鳥取市と同じで鉢伏山から送信されていました。

山陰放送    56チャンネル

山陰中央テレビ 58チャンネル

は湯梨浜町の栗尾山からの送信でした。

《米子市》

NHK総合  6チャンネル

山陰放送(開局時はラジオ山陰)10チャンネル

NHK教育  12チャンネル

は松江市の枕木山からの送信で出雲市から中山町(大山町)まで同じでした。ちなみに鳥取県西部はUHF局ができてからもNHK松江放送局の番組を視ている家が多かったです。

米子市の日本海テレビは日野町の古峠山からの8チャンネルの電波で視聴していました。米子の市街地では枕木山と逆方向だったので、アンテナが2つ必要で、アンテナの切り替え装置が必要でした。

1970年には松江市の澄水山に、テレビしまね(山陰中央テレビ)の34チャンネルが開局し、UHFのアンテナさえあれば米子でも視聴でき、米子では2県乗り入れの前から3つの民間放送が視聴できていました。

1972年に澄水山に日本海テレビの30チャンネルの局ができ、米子では30チャンネルの日本海テレビを視るようになりました。

 

写真の中で

鳥取市の1チャンネルは日本海テレビ

岡山市の11チャンネルは山陽放送

広島市の4チャンネルは中国放送

徳山市の11チャンネルは山口放送

米子市の10チャンネルは山陰放送

高松市の9チャンネルは西日本放送

松山市の10チャンネルは南海放送