渓声山色(けいせいさんしょく)

渓声山色(けいせいさんしょく)

広島・島根・山口へおいで



広島県・島根県の紀行です。

渓の声、山の色は真実そのものである。

【池田光政の寺院政策】

岡山市の国清寺です。

もとは龍峰寺でしたが、池田光政の時代に

鳥取市栗谷の今、興禅寺がある場所にあった国清寺がそのままこの場所に来ています。

来ていますというよりも、岡山と鳥取の龍峰寺と国清寺が同じ場所で名前を入れ替えているわけです。

池田光政は仏教寺院には厳しい政策を行っています。

よく池田光政は仏教嫌いだったと言われますが、そうではありません。

僧侶の堕落を嘆いていたと言われています。

池田光政は岡山では多すぎる僧侶とお寺の数を減らしました。

鳥取から池田光政とともに移ったお寺は国清寺くらいですが、

岡山から鳥取に多くの僧侶とお寺が移りました。

本来、岡山に移るべき姫路の広徳寺も鳥取に移りました。

池田光政は熊沢蕃山を岡山に招いて儒学を広めようとしました。

閑谷学校はその一環で、江戸時代には学問は武士のものでしたが、閑谷学校では民衆の教育も行っています。

東経135度子午線は京丹後市から豊岡市但東町、福知山市、丹波市、西脇市、加東市、小野市、西脇市、神戸市、明石市、淡路市、和歌山市を通っています。

 

【エーデルシリーズ】

《 エーデル丹後 》 

1988年ー1996年 大阪ー天橋立・豊岡 (宮福線・宮津線経由)

《 エーデル鳥取 》 

1989年ー1999年 大阪ー倉吉(のちに大阪ー鳥取に短縮)

《 エーデル北近畿 》

1990年ー1999年 大阪ー福知山・浜坂

 

エーデルシリーズは急行用気動車のキハ65形を種車としています。

当時の急行用気動車はキハ58形が主でしたが、馬力が小さいのが弱点で、例えば急行「砂丘」のように岡山・鳥取県境の物見峠の急勾配はキハ58だけでは登るのが困難でした。

そこでキハ65形を編成に組み込むことによってパワーアップしていたわけです。

キハ65は特急並みの馬力を活かして「ユートピア和倉」「ゆふいんの森」やエーデルシリーズとして改造されました。

エーデルシリーズの先頭車両は展望車に改造されています。

「エーデル丹後」は1996年の福知山線と山陰本線の城崎(現城崎温泉)電化により開業したばかりの非電化の宮福線を経由して天橋立と宮津線経由で豊岡まで丹後地方の各地を結んでいました。

福知山までは特急「北近畿」に併結されていました。

城崎電化によって福知山線経由で大阪と鳥取を結んでいた特急「まつかぜ」急行「だいせん」の昼行便が廃止になり、播但線経由の「はまかぜ」が残りましたが、福知山線経由の復活の要望があったので「エーデル鳥取」が設定されました。

1994年に智頭急行が開業してからは「エーデル鳥取」の倉吉までの需要は減りましたが、香住、浜坂までの便を考慮して倉吉から鳥取まで行き先を短縮して1999まで残りました。

「エーデル北近畿」は香住、浜坂への補強として「エーデル鳥取」のデビューから1年遅れで運行開始しました。

 

福知山線電化まで、浜坂までの特急は 

「はまかぜ」(大阪から播但線経由)2往復、

「まつかぜ」(大阪から福知山線経由)2往復、

「あさしお」(京都から)2往復

の6往復体制でしたが、福知山線電化後

「はまかぜ」3往復

「あさしお」3往復

になり

1996年の山陰本線京都口の電化が完成すると

「あさしお」が廃止になり、

「はまかぜ」2往復と「エーデル北近畿」「エーデル鳥取」になりました。