「儲かればいい」

 

水木作品のメディアミックスを批判すると必ずと言っていい程出てくる言葉です。

たいてい「猫娘が美少女になったのに何を今更」という言葉もおまけについてきます。

 

 

〇「儲かればいい」という言葉の一人歩き

 


たしかに事実、水木先生は「儲かればいい」とおっしゃいました。
しかし、だからといって主人公のルーツ、原作の根底の設定を赤の他人のオリキャラで踏みにじるなんてそんな魔改造、普通しますか?

 

 


なんでもいいよと言われて、じゃあ遠慮なく♪と原作をブルドーザーで踏みにじる人がいますか?


私は「ゲゲゲの謎」の下下郎が裏鬼道にリンチされるシーンを思い出す度に

【ゲゲ郎=原作、裏鬼道=ゲゲゲの謎スタッフ】に見えます。
50年経って作品の著作権が切れたとかそんな遠い未来の話ならばまだしも、水木先生があの世にご旅行に行かれたのはまだつい数年前の話です。


〇松本先生と京極先生の対談


6期放送中にコロコロコミックで連載されていた松本しげのぶ先生版「ゲゲゲの鬼太郎」(全2巻)
原作リスペクトな世界観と絵柄なのにワイルドな鬼太郎がかっこいい大傑作です。
さすがデュエルマスターズの松本先生です。
懐かしいのに新機軸な新しい鬼太郎世界が繰り広げられています。
特に2話で雷様の電撃をくらって立ち上がる鬼太郎と、2巻で塵塚怪王と対峙する鬼太郎の背中と台詞の迫力がすさまじいです。

なかでも1巻の巻末に収録されている松本先生と京極先生の対談はファン必読です。
「水木先生は自分以外の人が鬼太郎を描くことほとんど許さなかった。特に晩年はその傾向が強かった」
「原作通りの話でアニメ化すると“同じ話やっても原作者である自分に勝てる訳ないだろう、違う話にしろ”という理由で水木先生は怒る」

などなど驚きのエピソードがどんどん出てきます。

水木先生は原作アレンジに寛容なイメージですが実際は

「原作者の俺にかなう訳ないんだから別の話でやれ」という意味だったようです。


たしかに水木先生は改悪が多いシリーズに関しては「改悪だ」とはっきりおっしゃっています。
この対談を読むとどうも世間で言われている「儲け主義で作品に対するこだわりは無い人だった」というイメージとはかなり違うと感じました。
水木先生の次女の悦子さんのエッセイ「ゲゲゲの娘日記」でも
「父は鬼太郎に対しては儲けさせてもらったからいい、みたいに語るが、鬼太郎茶屋に行けばグッズを買いあさっていた」
などなど微笑ましいエピソードが書かれています。

 

京極先生の

「水木先生の周りにはいっぱい人が集まり、仕事がたくさん持ち込まれる。でも、水木しげる『で』儲けようと言う人はわかる。そういう人の仕事はあまり感心しない」

「一方で水木先生のことが本当に好きな人は、水木しげる『を』儲けさせようと考える。どうすれば水木先生が喜ぶか、それを読者にどう伝えるかを考える。そういう人は仲間だと思う。」(文章は略しています)

というお言葉が、今になって重く感じます。

 

果たしてこの映画のスタッフはどちらでしょうかね。



〇「作品に殴られますよッ!!」

 


水木先生の遺作エッセイ「わたしの日々」も名著です。

この本にて「怪」でも記事を多く書いていらっしゃる妖怪探訪家の村上健司さんに

「先生がご自分の作品で一番好きな作品は?」と聞かれた水木先生は

「そんな事言ったら今まで描いてきた作品に殴られますよッ!!」

「水木サンの漫画は全部面白いんです」

と答えていらっしゃいます。


水木先生は、そこまでご自身の作品に誇りを持っておられる方だったのです。

果たして「ゲゲゲの謎」スタッフさん達に、そこまでの覚悟はあったのでしょうか。

 

 

〇封印された「最新版ゲゲゲの鬼太郎」

 


鬼太郎の原作シリーズの中に「最新版ゲゲゲの鬼太郎」というシリーズがあります。

最新版と言っても描かれたのは昭和61年ですが…


この作品は水木先生ではなく、水木プロのアシスタントのみなさんが描かれたの水木プロのほぼオリジナル作品です。

「悪魔くん ノストラダムス大予言」と同じです。
絵柄こそ原作チックですが内容は思いっきり当時の流行の熱血少年漫画です。
水木先生のアシスタントとして有名な森野達弥先生のタッチが生きまくってます。

真偽のほどはわかりませんが、水木先生はどうもこの「最新版」がお気に召さなかったようです。

この「最新版」の原稿を赤い大きな×マークがついた茶封筒に入れてしまい込んでいたそうです。
たしかに「最新版」はあまりにも内容がぶっ飛んでいますが、具体的にどの部分が水木先生のお気に召さなかったかはわかりません。


今になって私が気になるのが「最新版ゲゲゲ」の中に幽霊族が人間と戦争した歴史が語られる回があったことです。
水木先生はアニメ3期のオリジナルキャラである地獄童子にも良い顔をしなかったそうです。
なぜなら地獄童子も幽霊族だからです。
鬼太郎が唯一の生き残りという設定が壊れてしまいます。


それを受けてか、アニメ5期でも鬼太郎の親戚の姉弟が出てきましたが彼らは幽霊族ではなく幽霊族の親戚一族という設定でした。
水木先生はアニメ5期の方はをわりと気に入っていらっしゃったみたいです。
なにせエッセイ「私はゲゲゲ」には5期タッチの絵を描いたコマがあるぐらいですし、5期の打ち切りも大変残念がっていらっしゃったと聞きました。

この辺りのエピソードから勝手に推察するに、水木先生は幽霊族の設定をいじられたくなかったような気がしますが、いかがでしょうか。

 

全ては私の妄想に過ぎません。
ただ自分の死後に赤の他人が考えたオリキャラ(しかも他作品のパクリ)が自分の作品の主人公一族を滅ぼした後付けされて喜ぶ原作者って、いますかね?

私はクリエイターではありませんが、私だったらやっぱり嫌です。

私は昨今の原作改悪問題のニュースを見る度に「ゲゲゲの謎」を思い出します。

そして水木先生の「人生をいじくりまわしてはいけない」という言葉を思い出します。


〇原作という器を壊す

 



京極先生は「THE KITARO」という本で生前の水木先生ご本人と対談されています。
そこで京極先生は「どんな話を作っても原作と言う器に収まるように計算されつくしている」と水木作品を評価なさっています。

「ゲゲゲの謎」がしたことはいわば、これの逆ではないでしょうか。
単に絵柄やキャラの見た目を変えた程度ではありません。
原作と言う器そのものをぐしゃぐしゃに壊し、
原作の破片を1枚2枚拾って別の器にボンドで無理やりくっつけたものを

「墓場鬼太郎と6期の前日譚でござい」と売ったのです。
いまさらですがそもそもこの映画、ひどいタイトル詐欺です。


このたとえは
「ゲゲゲの謎を見たが、まったく別の作品の話に無理やり鬼太郎要素を取ってつけたとしか思えなかった」
「鬼太郎でやる必要があるとは思えなかった。もとはまったく別の話だったのでは?」
という、他の方の感想を見て思いつきました。
そう感じた人は多いようです。
私も、もとは犬神家の一族50周年の企画か、あるいは鬼太郎とは何の関係も無いオリジナルストーリーだったんじゃないかと思っています。

ネーミングにもデザインにも、ぜんぜん水木イズムがありませんし。

 

長女がぺらぺらと親切に真相を明かしてくれた時の

「地下で這いつくばっていたお前達を利用してやるんだからありがたく思え」という台詞。


私にはこの台詞がどうしても
「作者も亡くなった作品を優れた我々スタッフが作り直してあげるんだからありがたく思え」
と言ってるように聞こえてなりませんでした。


〇ミステリとして穴だらけ

 

 

イベントで京極先生は「ゲゲゲの謎」を「ミステリとして穴だらけ」とおっしゃったそうです。
それ以降は賞賛の言葉を述べられましたが、相当お言葉を選んで発言されていたようにお見受けしました。


素人目に見ても「ゲゲゲの謎」はミステリとすら呼べないと思いました。
矛盾点は散々書いたので省略しますが、推理も一切しませんしミステリ最大の見せ場であるはずの真相も敵が勝手にべらべら明かすのは雑以前の問題です。


〇安心して作品を楽しめる日々が戻ってほしい


もうずっと前に、私が水木ロードの土産屋をおとずれた時、そこのご主人が
「毎年北海道から来ているファンもいる。有名人もよく来ているんだよ」
と笑顔で教えてくれたことはいまでも覚えています。
「あんたがいま座ってるそこの椅子、こないだ福山雅治が来て座ってたんだよ」
と言われたときはびっくりしました。

私はコロナ禍が落ち着いたらまた水木ロードに行こうと思っていました。
今度こそ妖怪検定を受けよう、
泊まりはどこにしようかな、
以前行った時に呑んだ子泣き爺のお酒ってまだ売ってるかな、
ワクワクしながら計画をたてていました。

境港ってとってもいいところなんですよ。
魚もおいしいし、とくに皆生の温泉宿の気持ちよかった事。
そこに住む人々もとてもあたたかかった。
家族でも恋人や友達同士の旅行でも、妖怪が好きな人ならとても楽しめます。


しかし町おこしのかなめである大事な作品が粗雑な犬神家パロディAVになってしまっては、もう大事な家族は連れて行けません。


むろん本音では行きたいです。
安心して水木ロードに行ける日を返して欲しい。
老若男女問わず楽しめた妖怪世界を返して欲しい。




「矛盾だらけ」の日も書きましたが、重ねて同じ文章を書きます。

少子化の時代、子供向けは難しいのはわかります。
それでも家族や、かつて子供だった妖怪ファン達で楽しく見られて
そんな人たちで水木ロードや境港、調布を楽しめる作品に戻ってくれることを願ってやみません。

 

私の願いは、ただそれだけです。

 

 

〇いいね、ありがとうございました!

 

言いたいことはおおよそ書きました。

まだまだこの映画にはツッコミどころ、矛盾やおかしな点、公式のきな臭い点があります。

ここまで短所しか感じない作品も珍しいです。

 

しかし愚痴はきりがないのでいまはひとまずこれで結びとさせていただきます。

 

いいねしてくださった方々、本当にありがとうございます。

賛同してくださる方がいるというのはたいへん励みになりました。