当ブログは「ゲゲゲの謎」の矛盾点・疑問点まとめブログです。

 

詳しくは「ゲゲゲの謎」は矛盾だらけにまとめています。

 

「ゲゲゲの謎」矛盾・疑問点まとめ


「ゲゲゲの謎」パクリまとめ

 

「ゲゲゲの謎」を原作史実だと思っておられる方へ。

 

 

 

※このブログに書いた情報に関してはできるだけ出典を調べる努力をしていますがやむなく伝聞に頼っているものもあります。

 

このブログを読んで「ここに書いてあることって本当かなぁ?」と思われた方。

「オカチイナ?」と思われた際はぜひご自身でも調べてみてください。

 

大切なのは自分の目で確認することです。

情報を鵜呑みにするのはいちばん危険なことです。

 

 

 

もし当ブログで明らかな間違いがありましたらお手数ですがご報告頂けると助かります。

 


私自身「ゲゲゲの謎」について様々な批判を展開している以上、当ブログおよび私自身への批判は甘んじて受け入れるつもりです。

 

 

 

テレビでは伝えない「遠野物語」河童の真実

 

最近、遠野物語の語り部をしておられる方の動画を拝見しました。ただただ圧倒される、素晴らしい内容でした。

 

 

 

 

 

しかしこの動画を見たからと言って

「本当は怖い遠野物語!昔話!」

「昔の日本はこんなに残酷だった!きゃーえぐーいエモーい」

とショッキングに大げさにバズるように伝えられるのは語り部さんの本意ではないと思います。

 

 

ところで「ゲゲゲの謎」のバイラルヒットの要因は主にXのユーザーに好まれる過剰にショッキングな“記号”の配置が偶然にもドンピシャであった事ではないかと推測しています。

 

 

「ゲゲゲの謎」が妖怪も鬼太郎もそっちのけにして、真正版を新たに発表してまで心底重要視した閉鎖的な村、醜い権力争い、救いの無い惨劇といった“陰惨さ”

 

 

しかしそれらは水木しげる先生が生涯で一度も描かなかった、むしろ鬼太郎を描くことになった時からずっと避けてきたものです。

 

「ゲゲゲの鬼太郎解体新書: 水木しげるVS.京極夏彦 The KITARO」30ページ

 

 

紙芝居のジャンルには因果物があるでしょう。「親の因果が子に報い」というので、陰惨な話なんですよ。それを加太こうじ(※)さんはやれと言うわけです。それでキタローの話をするんです。

陰惨でいやなんですね、因果ものというのは

 

 

「ゲゲゲの鬼太郎解体新書: 水木しげるVS.京極夏彦 The KITARO」31頁

 


で、私は「墓場鬼太郎」にしましょうと。鬼にしましょうと。
しかし因果ものは苦手だからやらないと。

 

 

水木しげる先生が嫌がって描かれなかったのなら「ゲゲゲの謎」の“陰惨な記号”はいったいどこから来たのでしょう?

 

 

あくまで推測ですがそれらは90年代に流行ったアダルトゲーム「痕」や小説の「屍鬼」、また2000年代に流行ったドラマ「TRICK」やゲーム「ひぐらしのなく頃に」「Fate/stay night」等の伝奇物エンタメ発祥ではないかと考えています。そういったエンタメに親しんだ世代に「ゲゲゲの謎」は“懐かしいエンタメ、ノスタルジー”に見えたのではないでしょうか?

「ゲゲゲの謎」ブームは2002年頃に起きた韓流ドラマ「冬のソナタ」ブームを連想させます。冬ソナも筋書きが70年代の王道少女漫画に似ていたため、その時代に少女時代を過ごした主婦層がノスタルジーを感じて飛びついたのです。

 

 

しかし言うまでもなく“懐かしいエンタメ因習村”は90~2000年代のアダルトゲーム(エロゲーや美少女ゲーム)やドラマ等のフィクション発祥のネットミームです。

 

 

「同じホラーなんだし別に良いんじゃないの?」と言われそうですが水木しげる先生は口裂け女や花子さんのような一時の流行りの妖怪を物語で扱う事はありませんでした。(絵では描いています)

 

水木しげる先生が生涯追及してきたのは長年語り継がれてきた“妖怪”や“霊的文化”でありフィクション発祥のホラーミームとはまったく別物です。

 

 

 

京極夏彦先生が最新刊「猿」で幾度も書かれているように因習村など“無知ゆえの偏見”に基づく創作、ありもしない幻想に過ぎません。因習村もの作品を楽しむ時もこの事は絶対に忘れてはいけないと思います。

 

 

 

この記事にも書きましたが…

 

 

2007年3月28日の朝日新聞より

 

子供の頃、近所の「のんのんばあ」が私に妖怪の話をしてくれた。昔のおばあさんの話には、神代から日本に伝わる雰囲気が残っていた。その雰囲気を形にしたのが「鬼太郎」。もともとが日本の土壌にあるものだから、今も愛される。だから滅びもしないと思います。

 

怪Vol.0017 96ページ(書き込みばかりで汚くて申し訳ありません)の対談より


民俗学という学問の文学性のようなもの、ノスタルジーとの親和力が、ミズキ以外の妖怪には希薄なんです。
言い換えればオカルト・ホラー色が強かったとも言える。妖怪のとらえ方に、それまでの日本文化が培ってきた旨味をうまく応用することを放棄しているんですね。
そうしたものを好む性質を民族的な特色だと僕はあんまり言いたくないんですけれども、そこに訴えかけるために水木さんは計り知れない努力をした。
そうでない人はそこに思い至らなかったわけです。ただ単にエログロナンセンスだったり。

 

 

 

妖怪や民話といったものは「ただの子供だましな古臭い昔話」「子供が見るものなど意味が無い」と笑い飛ばされ、不倫やケチャップや性虐待といった平成のアダルトゲームや美少女ゲーム発祥のわかりやすい“記号”が「これぞ大人の表現だ、奥が深い」ともてはやされています。

そうした“記号”を楽しむのも良しですが“子供向けの妖怪民話”にどれだけ深い思いや歴史がこもっているのか、なぜその「ダサい子供向」が何百年も話し継がれてきたのか、ほんの少しでも立ち止まって、頭の片隅でほんのちょっとでもお考えいただければ、この記事を書いた甲斐もあるというものです。