今回は、個人的に強く興味をそそられている、北見の地場スーパー『スーパーわこう』(1961~1987?)についてです。

「スーパーわこう」 とは…? 


(写真中央 和光ビル跡地)

スーパーわこうは株式会社和光により1961(昭和36)年12月に北見市北1条西3丁目にて創業しました。

上の写真の中央には2010年前後頃まで和光ビルという店舗・集合住宅による五階建ての複合ビルが建っていました。そこの一階にわこうはあったようです。一号店であるこの店舗はわこう一条店という店舗名だったようです。

この一条店が開店した昭和30年代というのは、当時北見市一番の商業集積地であった北見駅前の地域においてもスーパーマーケットの開業が相次いだ頃でした。

全国的にセルフサービス方式の現在におけるスーパーマーケットが構築されてきた頃で、この北見においても流行りに乗るように次々とこういったお店が出店を始めていたというわけです。

(写真 サービスストアー本店跡 現在は全日食チェーン直営のシティマーケット北見店)

その始まりは1956(昭和31)年6月開店の株式会社ふくや商事によるサービスストアー本店でした。

その4年後の1960(昭和35)年10月には株式会社一ワ渡辺商店によるフードセンターイチワ が開店。

そしてその翌年1961(昭和36)年12月に開業したのがこの株式会社和光のわこう一条店でした。当初は「セルフサービスの店わこう」と名乗っていたようです

北見におけるスーパーマーケットの黎明期はサービスストアーイチワわこうの三者が市内スーパーのリーダー格であったと言われています。


和光が展開した店舗 


わこうは他のライバルであったイチワやサービスストアーと競うように、店舗網を拡大させました。出店している地域はイチワと被るところが多く見られるというのが筆者の印象です。

調査で判明している店舗は以下の通りです。

▪一条店            1961年6月開店(北見市)
▪幸町店            1965年8月開店(北見市)
▪和光ホームセンター 1965年9月開店(北見市)
▪屯田町店        1965年以降(北見市)
▪中の島店        同上
▪カネハタ店    1967年9月開店
▪暁明比店        1968年12月開店(美幌町)
▪いとう店        詳細不明
▪網走中央店    1969年6月開店(網走市)
▪光西店            1975年8月開店(北見市)
▪清見店            1975年10月開店(北見市)


和光は、創業以来「セルフサービスの店わこう」→「食品センターわこう」→「スーパーわこう」と形態を変化させ、試行錯誤して営業を続けていたようです。

そしてついに、㈱和光は1980(昭和55)年10月22日に㈱北見バス興産に当時の全5店舗の営業権を譲渡、従業員63人を引き継ぐ形で合意することになります。

東急グループ傘下へ 


(写真 かつて北見バス興産が入居していた網走交通本町ビル)

㈱北見バス興産は、当時北見市内でスーパーマーケットのターミナルストアを5店舗運営していた小売業者であり、言わばライバル企業でした。親会社は東京急行電鉄㈱傘下の北見バス㈱で、東急グループ傘下の企業でもありました。

営業権譲渡に関する話し合いは1979(昭和54)年3月から具体化していて、同年12月に北見バス興産が開店させたターミナルストア網走つくしが丘店には鮮魚コーナーのテナントとして和光を迎えていました。

この頃、和光が店舗を展開していた北網地域(北見市・網走市など)に存在した他のスーパーとしてはイチワ(北見)、サービスストアー(北見)、うらべ(美幌)、みこう(網走)などがあり小売業界の競争が激化していたことが窺えます。そんななかで和光の売り上げは伸び悩んでいたそうです。

北見市内でも大きな小売業者の買収劇とあって当時は波紋を呼んだと言います。

この時に和光は、北海タイムスの記事にて

「ローカルスーパーとして地元資本の結束によって営業を継続していきたい」

と語っています。

北見バス興産も

「店舗形態、規模が似通っており運営しやすい」

ということで買収に踏み切る形になったんだそうです。


そして、和光はこの時北見バス興産に譲渡した店舗として

▪一条店
▪幸町店
▪網走中央店
▪光西店
▪清見店

この5店舗がありました。これの運営に北見バス興産は新会社として㈱ほっこうを設立。わこうを運営していた㈱和光は別業態で再スタートさせる計画で会社そのものは残されました。

ほっこうはその後1987(昭和62)年4月1日に全店を北見バス興産へ譲渡、和光も1983(昭和58)年4月1日に会社が北見バス興産に譲渡されました。結局別業態で再スタートさせる計画だった和光は1986(昭和61)年9月13日に北見東急ストア駅前プラザHOW店を開店させ、東急ストアを運営するだけの会社になっていたようです。

スーパーわこう の消滅 


1980年の店舗営業権の譲渡以降、スーパーわこうは北見バス興産のストアブランドのひとつとして機能していましたが、それも一時的なものでした。

(写真 北見東急ストアのサービスチケット)

1985(昭和60)年3月に北見市においてイトーヨーカドーが進出することが明らかになり、北見バス興産はこれに先駆け、前月の2月1日に東急本社名称使用審査委員会の承認のもとでターミナルストア全店を北見東急ストアに店名を改め、仕入れ体制を強化させるという大事業を起こしました。

これ以降なのか、わこう店舗は続々と北見東急ストアに店名を改めてられていきました。初め和光から引き継いだ5店舗のうち、1983(昭和58)年に閉店した幸町店を除いて、全てのわこうが北見東急ストアに転換される結末となりました。

(写真 旧北見東急ストア光西店)

わこうの屋号が最後まで残っていたのは、わこう光西店でした。1987(昭和62)年頃に北見東急ストアに転換、1999(平成11)年頃に閉店しました。この近隣には北見バス興産が恐れたイトーヨーカドー北見店があります。イトーヨーカドーが開店しても14年もの間奮闘していたと思うと、旧わこう店舗としての意地も感じられます。そんな店舗も長年空き家状態で残っていましたが、ついに今年(2021年)に入り解体撤去されました。

さいごに 


(写真 わこうのロゴを当時の写真からイメージしたもの)

わこうの屋号が姿を消し、今年(2021年)で34年ほどが経ちました。北見での居住歴が長い親族に聞いても、覚えていないということでその存在も市民の間では薄れているのかもしれません。(私は二十代なので何も知りません😅)

今回は、以前北見東急ストアついて調べた際に明らかになってきた情報をわこうの視点で集めてみたものです。主な参考文献としては過去の記事と同じく「深める時代へ 創立20周年を迎えて」という北見バス興産により発行された本から抜粋した内容となっています。他、店舗情報は北見市の住宅地図などから考えたものです。

今後も調査を続けるなかで新たなことがわかってくると思うので今後も更新していくかと思います。

長くなってしまいましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました🙇‍♂️

ではまた✨


参考文献
▪「深める時代へ 創立20周年を迎えて」
1987年 北見バス興産・月刊あるふぁ社 刊

▪史稿No.44 「百留次雄とその時代」
2014年 福澤明 北見市史編さん事務室 刊

▪各種住宅地図(要出典)

参照リンク

スペシャルサンクス
ひらじゃ 様 (Twitter)

2021.10.5 投稿
2022.1.19 修正投稿
(フードセンターイチワの開業時期×→1960.12 ○→1960.10)