今回はイチワ一条店(1960~?)についてです。


この店舗はイチワ の一号店、創業店舗とも言える店舗で、1913年にこことは別の北1条西4丁目にて○わ渡辺商店として開業してから幾度の移転を重ね、1960年10月に三代目の渡辺充 氏がチェーンストア化を目指して改装したときにあったのがこの場所でした。セミセルフサービスを導入し、フードセンターイチワとして開業しました。


当時の合資会社一ワ渡辺商会を株式会社として法人化し株式会社一ワ渡辺商店を設立した、翌年の出来事でした。


(写真 イチワ一条店跡地)

この場所は北1条西1丁目でかつては丸正デパート、そして近隣には百貨店のまるいいとう丸友金市舘北見支店などがあった北見駅前における商業の中心地でした。現在跡地は金市舘跡に建つホテルルートイングランド北見駅前の駐車場になっているようです。

数年前、銘菓「赤いサイロ」でも有名になった清月本店のすぐ横です。

(写真 向かって右建物が清月本店、左にイチワ一条店跡)

この店舗は1960年に開店した後、1969年に建て替えることになり一度閉店。仮設店舗(後の銀座店 )を北4条西2丁目に置き、建て替えられた一条店は一条ビルと名称がつき、地上四階建ての大型店でした。フロア構成としては下記の通りです。

4階 アスレチックセンター
3階 雑貨
2階 グロッサリー
1階 生鮮食料品

4階にあったというアスレチックセンターは現在でいうフィットネスクラブのようなものだったようですが、イチワに関する書籍である「イチワ創業八十周年記念誌」のなかでは「時代を先駆けすぎた」と回想されており、あまり経営は思わしくなかったようです。

上記の記念誌が発行された1993年当時では既に閉店している様子でした。

この一条店のあった一条ビルに関して、北海道新聞の空撮写真を見てみると2010年現在では清月本店の隣に四階建ての建物が確認できたため、近年まで存在していたようです。

筆者も建物があった当時、周辺を歩いたことはあるはずなのですがほとんど覚えていません😅

(写真 学習塾志学会の看板がある一燈ビル かつての丸正デパート跡地)

現在この北1条西1丁目でイチワがあった当時と変わっていないのは清月くらいなのではないでしょうか。


イチワより清月を挟み隣にあった丸正デパートの跡地は、現在一階に学習塾の入るマンション(一燈ビル)となっています。


ここにあった丸正デパートの前身である会陽館にはイチワ(当時は一ワ渡辺商会)も1940年に鮮魚・塩干物・青果を取り扱う店舗を出していたそうです。


その会陽館も後に大火で焼けたあと1961年に建て替え丸正デパートとして営業再開、1999年に閉店し2012年に解体されています。


(写真 左から北見駅、北見バスターミナル、コミュニティプラザパラボ)

北見市の商業集積地の郊外化が進むにつれ、周辺にあった百貨店のまるいいとうは1986年に、きたみ東急百貨店は2007年に閉店し駅前は往時と比べると人通りは少なくなりましたが、きたみ東急百貨店が北見市役所を併設させたコミュニティプラザパラボとして営業を再開させたことで人の流れは維持されています。2018年にバスターミナルもパラボ一階から駅とパラボの間に移転し、公共交通機関と商業施設への連絡がスムーズとなり利便性が上がりました。


少し話は逸れましたが、今回はイチワの源流について触れました。まだまだわからないことだらけですので、Twitterでも当記事内のコメントでも情報をお待ちしております🙇‍♂️



当ブログもおかげさまで昨年10月で始めてから1年となり、今年で3年目に突入いたしました。今後もゆるやかにやっていくので見守っていただけたらと思います。今年もよろしくお願いいたします🙇‍♂️😊


ではまた✨


参考文献

▪イチワ創業八十周年記念誌 

(1993年 イチワ▪月刊あるふぁ 刊)


▪北海道新聞 続 空撮わがマチ今昔① より

(日付不明 写真は2010年12月5日頃のもの)


参照リンク

まちきた大通ビル Wikipedia 



2022.1.18 投稿