息子の元妻で孫たちの母親が突然青森に連れ戻されてから、借りていた近くのマンスリーマンションを空けて、賃貸のワンルームは返さないといけなくなる。突然亡くなったり、病気で意識不明であったり、事件事故もあるだろうが、そういう本人の失踪のように、いなくなるときは、どうしたらいいのか。息子は離婚したので、他人なのだが、そのまま放置してはいけないと、片づけることにした。いまわれわれが暮らしているマンションからは歩いて10分くらいのところだ。そこに8か月前に引っ越してきた。孤独死と同じで、本人がどうしようもなく、もう帰れないとしたら、身内か関係者がいないと、家財はゴミになるのか。
引き払うにも、他人なら立ち入り許可は降りないが、孫たちにとっては母親なので、家賃の立て替えも息子がすることになる。この二週間で何回もワゴン車で往復して、室内に乱雑に置かれたゴミ屋敷ではないが、似たような状況の私物をうちに運んだが、それがまた見る気もしないほど大変な有様で、普段からだらしのない性格で、消費欲のすごい人だったので、どうしようもないものばかりが無数にある。ようやく部屋を空にするに、わたしも何回も手伝った。
うちの居間はそれらの荷物でいっぱいになる。食卓テーブルの上も山積みで、テレビは見えないほど埋まる。下の孫娘が戻ってきて、また一緒に暮らすことになった。一年前の、母親がこちらに来る前は、下の中二の女の子はわたしらと一緒に暮らしていた。戻ってきたら、上の子と合わない。上は来春は高校受験で、一緒の部屋にいたが、それでは話しかけられて勉強にならないと、分離させることにした。
そのために、わたしの書斎を空にすることにした。書斎と言っても、倉庫と同じで、息子たちの私物で埋まり、わたしは自分の六畳間の書斎で寝たこともなければ、本を読んだり、パソコンデスクもあるが、そこで座って書き物をしたこともない。なにせ、モノが多すぎる。それに加えて、わたしが図書館からせっせと持ってきた非常食ならぬ非常本が五千冊くらいある。それをなんとかしないといけない。
それで、居間が空いているので、壁面に三重で重ねて置くことにした。隣室からだから、引っ越しと言っても、移動だけだから楽で、半日で終わる。
書斎はわたしには昔からなかった。家を建てたときでも、自室はあっても、古本屋なので、店の本で囲まれていて、家の中まで持ち込まない。本は外で読む癖がついて、わたしの書斎は、青森にいたときから、野外であった。公園のベンチでごろりと上半身の日焼けしたり、海に行ったり、ファミレスの暇な午後に、ドリンクバーで二時間いたりしていた。それはこちらに来てからも変わらない。いまも、公園と海とファーストフード店やカフェであったりと、本を読む場所とスタイルは何十年しても同じだった。外で読むほうが捗るので、いまも家で部屋ではあまり読まない。それだから、書斎というのは名ばかりで、書庫にしかすぎない。
居間は本で狭くはなる。それからいつもわたしが使う薬とは血圧計などは、置くところがない。息子と五歳児とわたしの三人で、三代が川のように寝ている六畳間は玩具がかなりのスペースで占領している。孫に片づけろというと、ちゃんと仕分けして片づけるが、寝ていて、背中が痛いなと、見たらロボットがあったりする。
その寝室の隅を空けることにした。母親のマンションから持ってきたラックがあった。それは五段のプラスチックの安物だが、15センチ×40センチの高さ120センチぐらい。そこに運んだら、みんな収納できた。ノートパソコンからタブレット、工具などのボックス、爪切り、耳かき、大事な書類はケースに入れた。それでもプリンターは置く場所がない。わたしがそれまで置いていたパソコンラックと椅子は息子がここを会社の事務室にもすると、寝室の窓辺にでんと置いて使うようだ。プリンタの複合機は別にあって、それとノートパソコンが二台は息子が仕事で使う。新しい配送会社を一人でやるが、経理もしないといけない。一人会社で忙しいだろう。六畳間が仕事部屋とわたしの書斎と孫の遊び場と寝室になる。狭いながらも楽しいわが家だ。
ギターとサーフボードとサップとシュノーケリングの道具はすべてテレビの後ろに置いた。太極拳関係も後ろに押し込めた。置く場所がない。それで、孫娘二人は悠々と自分たちの部屋で勉強だ。子供第一で、父親は一日仕事でいないし、わたしはこの家に居場所がますますなくなる。
書斎の解体は二日で終わる。捨てるものは捨てた。防災バッグには持って逃げられるように大事なものが詰まっている。してみれば、隅っこに置いたラックの収納物にしても、わたしに本当に必要なものは、衣服は別として、ミニマリストだから、バックパックひとつに収まる量でしかないということだ。本当に、本以外のもので、後生大事に持ち歩くものといったら、すべて小さなマイクロSDカードに入れたので、その何十枚か入っているケースだけで、後は何もいらないのだ。居間の隅にわたしの小さな衣装タンスも小さななのがあるが、それも着古したら捨ててもいい。
息子もあまり私物はない。あるのは娘たちだ。若いからわたしにしてみたらくだらないものばかりだが、大事な趣味のコレクションなのだろう。わたしの書斎はこれからも図書館であり、ファミレスであり、海辺のビーチのテラスであったりする。
死んだ親父はいつも口癖のように言っていた。おれの庭は八甲田山で、池は十和田湖だと。自分の家も部屋もわたしにはいらない。いつでもどこへでも逃げられるように、小さなスペースで暮らしていて、実に快適なのだ。