わたしの青森の友人で、街中で蜂を飼っている女史がいる。どうしてそういう発想になったのか、よく分からないが、変わった人というのは昔からだった。その彼女から、このたび、わたしの出した詩集を贈呈したら、そのお返しと自家製の蜂蜜、純度100%の本物をひと瓶送ってきた。彼女の嫁ぎ先は資産家で、山をいっぱい持っていた。亡くなられた義父とうちの親父は日専連仲間で、つきあいもあり、その息子とも二世の青年会で一緒で、いつも飲み歩いていた。旦那さんはうちの妹と同級生だ。しかも、いまの同居しているうちの三男と、彼女の息子とは幼稚園で一緒で、遠足などの集合写真に一緒に写っている。いろいろと関わりがある。

 彼女は彫刻をするので、田村進先生について習っていた。うちの姉妹とわたしも田村先生に中学のときに美術を習っていたし、よく知っている。姉は個人レッスンも受けていた。

 また、彼女には文学的才能もあり、一度、古本屋の近くに家があったので、うちの倉庫に顔を出して、自分で書いた短歌を見せてもらう。なかなかエロっぽく新しい現代短歌という気がして、青森のペンクラブに彼女を誘った。それから、同じ文学仲間としてやってゆくことになる。夫婦で付き合いがあるから、旦那も入れて一緒に飲み歩くこともたびたびだ。彼女は多趣味で何をやらせても才能がある。料理研究科という一面も持って、器用になんでも挑戦する。うちの古本屋に近所なので、よく差し入れを持ってきた。メロンパンや餅、万頭、郷土料理など、いろいろと味わえたが、本格的な出来なのだ。

 

 嫁さんとして、山の管理も任されて、固定資産税の払い込み用紙の束も見せてもらうが、何も使っていない山林などもったいないなと活用法がないのかと話したこともある。山の木は売れるだろうし、いまはキャンプブームで、キャンプ場にしたらとか、いろいろと提案した。だけど、ここ青森はいくらでもキャンプが無料でできる自然の高原があるから、有料にしたら誰も来ないだろう。

 キノコの栽培も人手がかかるし、農作物は一人では大変だろう。それで、一人でできることと、養蜂を考えたのか。詩人で、蜂飼耳さんという女性が神奈川におられるが、全然関係はないが、なんだか短歌女史さんと蜂を飼うのでちらりと思い出した。

 

 初めは、自分の山で蜂の巣箱を並べて飼っていたのが、熊に食べられてしまったと、青森市内の自宅の屋上に避難させた。いままで山の子であった蜂たちは、いきなり街の子らになる。

 前にも蜂蜜はもらったことがある。それは濃厚でとろりとしいていい味だ。喉の薬になりそうな味わい。それを食べたら、他の安い中国産の蜂蜜などすっかりと偽物、混ぜ物と分かる。分かっていて安いから買って、わたしは砂糖の代わりに使っているが、本物はひと瓶で何千円もして使えない。

 以前、山田養蜂からおふくろが取り寄せていたローヤルゼリーなどのサプリを定期購入していが、たまに本物の蜂の巣をサービスで送ってきた。それを齧ると、どろりとした本物の蜂蜜が出てくる。それと同じのが、ブルガリアに旅したとき、蜂蜜専門店で買い求めた。一個百円と安かった。産地で買えば本物で美味しい。

 

 彼女からこのたび送られてきた蜂蜜も毎日スプンで一杯ずつ舐めっている。息子にも試食はさせたが、孫には勿体ないから上げない。何を食べているの?と聞くから、これはな、毒なんだ、舐めたら死ぬぞと和尚さんのように嘘を言った。

 蜂蜜は手紙によると、ニホンミツバチという日本にいる日本語の通じる蜂なのか。さらし布の上にのせて、タラタラと垂れ蜜を貯めたものを瓶詰にしたと書かれている垂れ蜜というのだそうだ。ビタミン、ミネラルを多く含んで体にいいから、熱は通さずそのまま食して暑い夏を乗り切ってくださいととあった。

 

 ところで、青森市の郊外の山にも熊は出るのだ。いままで山菜狩りにみんな入って、あまり遭遇したとは聴いていないが、八甲田山系にも熊はいて、里山まで降りてくる。熊の掌はそうした蜂蜜などがついて味がしみて美味しいのだとか。肝も貴重らしいから、彼女には熊も飼ったらいいと教える。熊さんと蜂(八)っさんで落語のネタにはなりそうだ。