中学生のときの愛読書は地図帳であった。昼休みでもそればかり眺めていた。友達とよくやるのが、開いたページの地名を相手が言って、それを探し当てるというどうでもいいゲームだった。小さな村なら文字も小さく、東北の地図から探すのも大変だ。

 地理が大好きで、私立大学受験では三教科の受験で、国語と英語の次は選択科目で、わたしはそれに地理を選んだ。地図帳一冊丸暗記までは行かないが、自分では得意分野と思っていた。いまでもそれが旅行には役立つ。覚えたデータは古いから、青森市より盛岡は昔は人口が少なかった。青森市は仙台に次いで東北第二の人口を誇っていたと覚えていたのが、何? いまは、盛岡は28万人で、青森市は26万少しと抜かれていた。地方都市は年々人口減少で、学生時代は各都市の人口と産業なども諳んじて言えたのが、いまは全部役に立たない。世界もそうで、人口増加と減少、国名も変わったり分裂したりと昔の知識はころころと変わるので、最新データはいつもチェックしないといけない。それは地名もそうで、市町村合併の平成の大合併で、どんどんと市になり新しい地名が増えた。いま地理で受験しても、笑われる回答をするかもしれない。

 

 地図が頭に入っているというのはいい。旅行するときに、位置関係が頭の中にはあるから、国と国との大きさと方角が分かる。子供のときは、先生に宿題でもないのに、勝手に遊んで。日本地図を写して描いて提出したら、みんなの前で褒められた。それは勉強ではなく、地図をトレーシングペーパーになぞって描くのが好きだったのだ。あれは小学二年生のときであったか。女の先生だったから。県名の漢字も書けたのか。いまでも日本地図と世界地図を描けと言われたら、不正確だが、だいたいの形では描けるだろう。

 

 地図が歩けると、それだけで旅をしている気分にはなれる。そのために、地図の記号を全部覚えないといけない。それはテストにもよく出る。記号の意味が分かると、そこは果樹園で、等高線から標高はいくらでと、頭の中で3Dの地形が描ける。

 小学生のときに、青森県の立体地図をみんなに作らせた。それは切り抜きのボール紙に印刷されたもので、その通りに切り抜いて糊で貼り合わせて、山も重ねてゆくと立体の青森県ができて、地形がよく分かるのだ。そういうキットはいまも学習材料で売られているだろうか。

 わたしは小学生のときの夏休みの工作自由課題では、よくジオラマを作っていた。箱庭セラピーといまは精神療法にも使われ、キットとして通販では枯山水セットとか盆栽、テラリウムとか、様々なミニチュア世界を作るのが世界的にいまは流行っているが、そういう自分だけの空間作りに夢中になっていた。

 材料はその辺のあるもので作る。ベニヤ板を拾ってきて、それに海に行って、貝殻と小石、砂などを持ってきて、糊で貼り付ける。海は青い絵具を塗って、砂浜を作り、灯台も画用紙を丸めて建てた。その中に小さな電球を入れて、沖にもブイを置いて、それにも赤いランプが点灯するようにした。よく、博物館などで、大きなジオラマがあり、スイッチを押すとランプが点灯するやつを自分で作った。それを夏休みが終わると学校に持って行って、みんなの作品と並んで展示する。わたしのはよく賞をもらって金色の札がついた。クラスの仲間は密かに、あれは親に作ってもらったのよと噂していたのを耳にして悔しがった。

 

 大人になって、旅行好きになったのは、地理が好きな子供心がそのまま実践に入ったということか。世界は広くて大きい。いまでも世界一周の夢は捨てないで、死ぬまで、200カ国ぐらいは歩きたいと思っている。そのためには一度行った国には二度と行かないで、その費用があれば、行ったことのない国々を回りたい。いまは円安で駄目だから、何か円高になる予想もある。1ドル100円になると出かけよう。

 子供のときから地図で遊び、そのうち行ってみたいと思う不思議な地形を指でなぞり、大人になったら、自分の足でそこを歩くのだと、冒険探検好きな少年は旅に憧れていた。

 いまも旅行ではグーグルマップが見られるので国内ではそれを見て、いろんな名所旧跡を調べて歩く。海外では地図をコピーして持ち歩く。思えば地図は一日見ない日はないくらい生活になくてはならないものになる。出歩く機会が多いからだ。休みの日はどこに行こうかなと、地図アプリを開いては眺めている。歩いたことのないどこか、ここでないどこかに行きたいと。