平塚に引っ越してきて四度目の夏を迎える。平塚に引っ越すとそのときの職場の先輩に話したら、七夕祭りかと言っていた。それまで、平塚という街のこともあんまり知らず、七夕で有名だったことも、そのとき初めて知る。知名度はあるのだが、わたしは平塚の七夕が仙台と並んで日本三大七夕祭りとは知らなかった。多い年は三日間で200万人以上の観光客が来るというから、ねぶた祭りよりは少ないが、弘前の観桜会並みなのだ。来た年は確かコロナのパンデミックで中止になり、翌年は自粛して露店はなく、イベントも縮小してやっていた。人は確かに出は悪かった。それで去年はようやく本来の祭りになったように人が出た。今年はどうなのか。

 天気は雨もなく梅雨時でも三日間はよかった。ただ猛暑で危険な暑さでなるべく外出は控えるようにとテレビでは警告していたくらい、関東では祭り最終日の七月七日の日曜日は40度を越えるところがあるとか。

 初日には、孫に見せたいと、保育園から歩いてすぐが商店街なので、自転車を保育園に置いて、孫の手をしっかりと掴んではぐれて迷子にならないようにと歩いた。ところが人出はいまいち、閑散としていた。メーンストリートでは流し踊りもあったようだが、それは見なかった。仙台の一番町などのアーケード商店街の七夕も見たことがない。同じ東北だが、東北は秋田の竿灯も見たことがないのは、ねぶた祭りとほぼ同時期に一斉にやるからだ。こっちが忙しいときに、よそに行けないし、また東北はそれでどっと人が集まるから、車も渋滞、電車は満員と、どこに行っても殺人的ラッシュになるから、八月初旬は出歩かないようにしている。

 

 わたしは祭りは嫌いではないが、人混みは苦手だ。孫は道路いっぱいに提げられた流しに目を丸くする。ピカチューだと子供たち用に作っている飾りに喜ぶ。いつものことだが、その年に流行しているものをテーマにして作るから、NHK大河ドラマの紫式部もあるし、大谷選手もいる。それはそれで人気があるから出し物としてはいいのだろう。

 露店もいっぱい出ているが、それは商店が特別に店頭に広げている仕入れた食品やドリンク、玩具なのだが、孫は煌びやかな流しなどの飾りよりはそっちのほうが気になるとみえ、まずは風船と欲しがるが、きっと手を離して、空に飛んで行くだろう。と別のものにさせた。お面がいいとトランスフォーマーのロボットのお面にする。それだけではすまないくらい、店がある。ビニール製の動物をリードで引いて歩くのも前にひとつ持っていたが、別のもお友達にすると、買わされた。ボール救いもしたいというが、お祭りそっちのけで、お菓子も買って、ドリンクも飲みと、子供らは、そういうものが楽しいのだ。縁日もそうで、わたしらが子供のときも、親戚が集まり、叔母さんたちから小遣いをもらっては、露店に走った。神社よりは夜店なのだ。

 

 何か今年は人出が少ないように感じたが、終わってからの集計待ちだ。あまり暑いと人は逆に出ない。平塚市民としては気になるところだ。

 うちの孫娘たちは、平塚の七夕の存在そのものを知らないのではないのか。友達と行こうということもなさそうで、パパに小遣いと手を伸べることもなく、三日間家に引きこもっていた。無関心すぎるのもすごい。平塚に引っ越してきて、そろそろ一年が来ようとしているのに、まだ海を見ていないのではないのか。パパも連れて行けばいいのに、泳ぐということもなく、山にも興味がなく、湘南平にはパパと四歳児はわたしが案内したが、そこも上ったことがない。街中のショツピングセンターは何度も行くが、お祭りも自然も美術館も歴史にも全然興味がないというのも、いまどきの若者なのかと思うが、青森に暮らしていて、ねぶた祭りを見ないというのと同じだ。生活範囲が狭いし、外を見ようともしないのは、引きこもりと同じだ。

 

 その平塚の七夕もこれから未来はどうなるのかと危惧する。セロハンのカラフルな流しをひらひらとさせて、どうだ、豪華だろうと、見せるのは、子供騙しにしか見えなくなるときがある。そういう飾りはひと昔前のもので、これからの子供たちはそういうのに驚かなくなる。保育園や学校で図工の時間に作らせたり、何かパーティがあると家でもそういう飾りは貼り合わせてやっている。七夕はその昔はどうだったのか。きっと石油製品なんか戦前はなかったから、和紙で作っていた。色紙もキラがはいったりする料紙で、伝統的なお祭りとしては地味だが、全国で細々と続けているものは、無形文化財にもなっている。お祭りは時代と共に派手になり、時代を取り入れて変わっていっていいのだが、青森のねぶた祭りもそうで、衣装が乱れてきていた。伝統の破壊は若者たちからやる。ねぶたの正式衣装をと実行委員会では呼びかけていたが、それでもカラス跳人という真っ黒い不気味な集団が出現したり、白鳥という全身白装束の恰好つけて粋がっているヤンキーたちが祭りに乱入して花火を上げたりして暴れたので、機動隊が出て排除した。それで観光客に怪我人が出たからだ。以来、そういう衣装では祭りに入れないと断固たる処置をしたので、いまはいかれた若者たちはいなくなったが、それからだ、若者が減ったのだ。祭りは何をしてもいい自由ないでたちではない。花笠をしてと呼びかけても、いまだに暑いし邪魔だと花笠はしていないのは大人もで、それで見ていて綺麗ではなくなる。

 

 どこのお祭りも時代と共に変化はしてくる。昔と違って当たり前だが、これはすごいというデジタル社会の演出に慣らされた若者たちの目には、七夕飾りはどう映るのか。次第にみんな見なくなるのではないのかと心配している。ドローンを使ったりプロジェクションマッピングなど、各地のお祭りで採用されていって、いまはセロハンでぴらぴらさせる飾りでは美しいとは思わなくなる。まだ戦前のように地味かもしれないが、和紙で作った伝統的な飾りのほうが長く続けられるのではないのか。外人さんたちにはどう思うのか知りたいところだ。日本のお祭りのよさを他国の視線ではどう映るのか。安っぽいと映るのであれば、あまり広告やアニメやキャラクターものばかりでもいけない。スポンサーがいるから、どうしても広告となるが、ねぶた祭りの山車も、企業ねぶたと言われて、どこも広告ばかり。雰囲気は壊さないようにしたい。祭りが衰退してくるのは、本来の美しさに伝統も壊されてエゲツないものになってゆくからだろう。低俗にならないようにしたいものだ。最後にひとつだけ、平塚の七夕では混雑するので片側通行にさせて一通歩行はいいのだが、そのための仕切りが、工事現場で使うプラの柵なのだ。なんともせっかくのお祭りが情緒を台無しにしてくれている。写真を撮っても、それは邪魔だと観光客も思っていることだろう。もう少し工夫されたらいい。