昨日は平塚のショッピングセンターにあるシネコンを覗きに寄った。何か見たい映画がないかと。いまはそう見たい映画はなく、若い人か子供向けで、シニアは安く見られても時間の無駄と思うものばかり。それで、新しく買ったスマホを家のWi-Fiに繋いで、昔の映画をネットでたまに見ていたりする。どうしてか、いまは話題作があっても平塚に来ない。横浜まで出ないといけない。わたしの見たい映画は興行としてはあまり人を呼び込めないものばかりで、娯楽映画ではないから、映画館も限定されるのだ。渋谷の道玄坂の上の東急文化村みたいな建物に入っていた映画館はよかった。古書街の神保町にも小さな芸術的な映画ばかり上映する映画館があったが、いまはやっているのか。各地のそういうマイナーな映画をやっているところはどんどん閉館している。青森でもうちの古本屋の向かいにあったシネマディクトはいい映画ばかりやっていた。ハンナ・アーレントはそこで見た。社主の谷田さんはどうしているか。古本屋にもたまに来ていた。

 

 昔の映画と言っても、60年70年代がわたしの青春時代で、そのころが映画全盛期だった。洋画邦画問わず、話題作ばかりで、伝説のスターも多かった。その黄金期に映画は学生割引もあったが、たくさん見た。学生時代はマンションにテレビはなかった。ネットというものも当然ないし、ビデオもなければそういうレンタル店もあるわけがない。娯楽といえば、まだ映画で、テレビがあればそればかり見ていたろう。学業の邪魔になるとテレビは持たなかった。

 

  池袋には文芸座があった。三本立で料金は150円。昔は過ぎた名画を安く上映していて、それも名作揃いで、学生さんには映画鑑賞になり、昼前に映画館に入って、出たらもう外は真っ暗であった。半日映画ばかり見ていたら、外に出たら何かおかしい。暗い閉じ込められていた空間から俗界に吐き出されたときの違和感。

 映画料金はいまより安い感じがした。いまのように二千円近くかかると、おいそれと学生は入れない。それが、月に何度か見られたから、仕送り13000円の地方から来ている学生でも気楽に入れた料金だ。

 学生街にはそういう昔の映画を再上映する映画館がまだある。早稲田にもあった。それから面白いところでは逗子の住宅街にシネマアミーゴがある。普通の民家が小さなシアターになっていて、前にそこを通ったときに、入りたいと思ったが、その時間は閉めていた。弘前にもあったが、いまはやられているのだろうか。みんないい映画を見せたいと頑張っているが、赤字で大変なのだ。

 

 いい映画が収益が悪いのは、いまの書店が減って、いい本が読まれないのと同じだ。なんでも娯楽で、そう難しく考えなくてもいいものばかりになる。ゴダールの映画をわれわれは学生時代に見た。難解だが、それはそれで芸術で哲学的で考えさせられる。いまの学生たちよりは思想もあり、同じ学生とは思えない。

 思い出したことがある。わたしが高校生のときに気に入っていた雑誌か何かのポスターから切り取って、大事にしていたレターケースに貼っていたのが、クラウディア・カルディナーレのうつむき加減のポートレートだった。それで見たのが『ブーベの恋人』。刑務所に送られた恋人に面会に向かう列車の中の彼女の苦悶もよかった。その音楽は、当時習いたてのクラシックギターで弾きたいと、スクリーンミュージックのギター楽譜集を買ってきてへたくそながら練習していた。思えば、ギターの曲が映画の入口でもあった。まずは、初心者が最初に出会う曲が『禁じられた遊び』のテーマ音楽。ナルシソ・イエペスのギターによる悲しげな曲が、第二次大戦で両親が機銃掃射で亡くなり、戦争孤児になった主人公の女の子が目に浮かぶ。

 それから練習したのが、『マルセリーノの歌』だ。スペインの修道院に拾われた孤児の男の子が最後にはキリスト像のもとで亡くなる奇跡。映画『汚れなき悪戯』も少年のときに見て泣いた映画だ。ギターの名曲に入る『鉄道員』のテーマもよく練習した。子供が出てくるが、それも戦争の背景で、大人の映画なのだが、テーマ曲に惹かれて見た。いま聴いてもいい。少年のときに気に入った曲を老人になって聴いても同じ思いにぐっとくるのはどうしたことか。

 

 ラブロマンスも二十歳前のまだ恋も知らないのに見ていた。あれはどこで見た映画だったか。友達同士で映画館に入った。『いつも2人で』は、フランスの田舎を夫婦でドライブする映画で、場面が綺麗で、それが夫婦の昔とフラッシュバックしながら、二人の恋の行く末をどうなるのかと見る。主演がオードリー・ヘップバーンだった。

 学生時代に有楽町の映画館に当時交際していた女子大生と見に行ったのが、洋画の『帰郷』という、それも戦争が背景にあった話題になった映画だったが、主役の名前は忘れたし、内容もいまは定かではない。感受性の強い彼女は映画館を出たら泣いていたが、わたしはけろりとしていたから、そう感動もしなかったのだろう。

 

 映画はテーマ音楽もよかったので、若いときはサウンドトラックの映画音楽集のレコードはいっぱい買って持っていた。いまもたまに聴く。去年もギター映画名曲集の楽譜を買ってきて、アラン・ドロンの『太陽がいっぱい』のテーマを弾いていた。高校生のときに青森で見た映画か。ドロンの太陽シリーズはみんな見た。青年の野心が犯罪に繋がり、最後はそれで身を滅ぼすのは、ドライサーの『アメリカの悲劇』やスタンダールの『赤と黒』、日本映画の『砂の器』と設定が似ている。どれもいい映画だった。

 

 いまのようなアニメだとかゲームの世界にのめりこむ若者たちよりは、われわれの青春時代はずっと大人であったような気がする。いまも、そういう映画が再放送されたらテレビでも見たいし、ネットで探して出てくると寝転んでスマホで見ている。いやー、映画って本当にいいですね、と最後に言わせて。