このブログの10年前だから、2014年の6月には64歳になったわたしが東京に出稼ぎで上京してくるところが書かれている。息子と社員二人いる古本屋は任せて、自分では定年退職だと勝手に決めて、そのころはまだ年金満額ではなく、空白の五年間で、65歳までは定額部分だけ少しもらえた。それで果たして生活してゆけるかと実験もあり、年金38000円で月にどうやってやりくりするのかと、18歳で上京してきた青春回帰そのままで、青雲の志があった。青森の地元の新聞からそれは面白そうだと連載を頼まれて、二年間、37回続けた。そのタイトルが東京リサイクル生活で,上京してから、海外放浪の旅に出るまで書き続けた。老後の自分を東京という中でどう人間リサイクルさせるかというテーマだった。同時に地元のミニコミ誌北の街で、連載を書くことになり、それは「年金空白年代を生きる 東京実験室」というテーマで、並行して二年で24回連載した。

 東京に出てきたときは、三回くらいいろんな仲間や親戚が送別会をしてくれた。惜しまれて出てくるのが辛かったが、それからひと月もしないのに戻ってきて笑われた。不動産屋が契約書を処理せずに怠慢な事務員のために、三週間もほったらかしにされた。それで頭にきて青森に一旦戻ったのだ。その三週間は辛かった。すぐに入居できると思っていた。それも、ボロボロの四畳半のアパートで、場所は小石川の後楽園のすぐ近く。東京ドームの声援やジェットコースターの悲鳴まで聴こえる家賃25000円の部屋だった。トイレは共同で風呂なし。台所は小さいがついていて、エアコンも窓設置型があった。入居するまでの三週間は旅行もして北陸と長野も歩いたが、横浜や千葉のカプセルホテルを泊まり歩き、資金が底をついたので、ネットカフェ難民になり、都内のネットカフェを若者のように泊まり歩いていた。

 四畳半は雨漏りもしていたが、ゴキブリと同居する部屋はあっという間に古本の倉庫になり、わたしの役目は東京古書会館という古書組合の牙城に出入りして、青森にセリで落札した本を送り、また青森から送ってきた本を出品したり、神保町の古書街にある三省堂書店さんの四階に全国の古本屋さんが棚で出店するのに参加したので、その管理もしていた。それとその六階の催事場での古本セールにも一週間の期間参加して、売り場に立った。それだけでなく、もう退職したのでゆっくりという人ではないので、古書会館で落札した新書の山や文庫本の山をカートを買って、アパートまで20分かけてせっせと何度かに分けて運んだ。歩いてゆける範囲に部屋を借りていた。その文庫本はアマゾンに登録して、通販をするようになる。絶版文庫猫々堂という名前の店にした。注文が入ると梱包して、毎夕、郵便局が集荷にくる。部屋は五千冊の分類整理された文庫本で埋まる。その隙間で小さくなって寝ていた。さらに青森から送らせた記念切手で、初日カバーというのがあって、それがダンボールひとつあったのをヤフオクで売った。老後はのんびりと東京でというわけではなく、青森にいたときより忙しい。

 それでも都内の博物館と美術館、スーパー銭湯はほとんど行きつくした。暇を見つけては歩いたり自転車で縦横無尽に都内を走り回る。食費は一日200円。それでなんとか生きていた。

 そんなときに知り合いの書家から見合いの話が出て、同棲することになる。息子は笑って、老後の同棲も小説にはなるなと言った。その人と五年半暮らすことになって、都内のマンションを三回変わった。その間に、いろんな仕事もする。海外放浪の旅も二回したが、帰ってきてから部屋と仕事を探した。警備員もやったし掃除夫も新宿の大きなマンションでやる。南青山の億ションのコンシェルもやり、青山学院付属の用務員もした。青森では高齢者になるとなかなかいい仕事はないし、最低賃金も東京より三割以上下がり、企業もあまりないので、働き口はなかった。都会はいくらでもあり、餌もある。若者たちがやらない3Kの仕事も老人に廻ってくる。人手不足を老人が埋めることになる。時給も1200円以上と悪くない。マンションの管理人もいまは不足していて引っ張りだこという。

 相方と別居して四年になるが、それからは千葉の稲毛のワンルームに一人老後、それから湘南平塚に引っ越して、秋葉原の息子たちの会社の経理を手伝ったりしていた。いまは、青森から三男一家が平塚に越してきて、わたしと同居する。すっかりとリタイヤするつもりが、息子の家計を助けるために掃除のバイトもして、年金も注ぎ込み、それでも足りない。自分のためでなく、息子たちのために生かされている。これでは死ねない。なんかしろと言いたい。

 

 思えば、この10年。8か所のマンションで暮らしたので、一年おきに引っ越したようなものだ。仕事も10箇所でした。仕事はなんだってある。シニアはいまは期待されていて、若い人より使える。マックでもファミレスでもコンビニでもスーパーでも高齢者が目立つようになる。運転手もそうだし、選ばなければなんでもある。それで老後の暇つぶしになるし、体も鍛えられ、元気になる。給与で温泉旅行にも毎月行ける。なんといっても、隠居している暇な老人よりはアクティブがいい。あれから10年が経ったとはと振り返る。いまは独居老人ではなく、家族といるが、一人暮らしのほうが自由であったなと、家政爺になった自分は孫と息子の奴隷で、それはそれで鍛えられていいのかなと曖昧模糊とした毎日を送っている。