かつては金満日本人と呼ばれて、海外旅行に行っても、物価が安いと喜んで大枚を使って土産を買ったものが、いまは、どんと落ちて、貧困日本人になった。円安だけでなく、東南アジアも軒並み物価が上がり、円の実力は落ちたと実感する。

 韓国に最後に行ったのが10年近く前だが、そのときでもソウルのロッテのスーパーを姉と値段の比較と見て歩いたが、日本のほうが本場のロッテより安かった。ガーナの板チョコは三倍もしていた。チョコパイも日本のほうが安い。なんでも高くなって驚いた。その前に行ったときは三分の一という感じで何を食べても買っても安かったのが、随分と物価は上がったと感じた。シンガポールは物価の高いことでは東京よりずっと上になり、何年か前に行ったときは、ダイソーが160円ショップであった。6割増しの値段と分かる。吉野家の並盛の牛丼がそのころは500円で一番安く食べられたが、日本で350円前後であったから、比較してみるとだいたいがそんなものだった。

 先日の中国でも、前に行ったときは半値以下で食べて飲んで買えたのに、いまは日本と同じか高めで、コンビニであれこれと探しても、同じくらいと思った。スーパーでもそうで、デパ地下では三割高め。倍のものも多く総じて高くて何も買えなかった。外食も安いところもあるが、やや高いかという感じで、それだから、中国人たちはこぞって日本に来て爆買いするわけだ。円安でさらにお得感があり、われわれが逆に中国に行っても、とても高くて買えないと、小さくなっているのはどうしたことだろうか。

 

 ずっと物価も上がらず、賃金も上がらない日本は失われた何十年というより、低値安定してずっと来ていた。その間に、世界から追い抜かれて、気が付いたら貧乏国家に落ちていた。姉と韓国に行ったときは、わたしら二人だけしかいないで、二人の運転とガイドの女性がワゴン車で免税店に連れて行ったが、何も買えるものはなく、割引チケットも渡されたが、大きなショッピングタウンの店内のブランドものなど全然興味がなく、外に出たら、安い食堂を見つけて、そこで韓国の海苔巻きのキンパや揚げ物などを食べていた。ガイドさんには謝って、今度からは貧乏な日本人ではなく、金持ちの中国人の観光客の相手をしてねと言っていた。

 

 わたしの若いときはどうだったかと、思い返して現代と比較してみる。昭和50年くらいは1975年だから、いまから半世紀近く前だ。あのときは第一次石油ショックの後で、なんでも値上げしていた。トイレットペーパーが倍になって買占めも起こり、デパートのトイレから紙が消えた。みんな持ち帰るので、デパートとしてはトイレットペーパーを置かないことにしたときだ。紙が上がったのが本もで、それまでは単行本の値段が480円くらいであった。わたしも学生時代に古本屋の棚にずらりと並んだ純文学シリーズの箱入りの新潮社の小説は欲しいものがいっぱいあったが、買えなかった。それが突然倍の980円になったときだ。学生の小遣いでは新刊は買えなかった。仕送りが13000円のときで、そこから定期代と食費、衣服など買っていたから、とても本までは買えないで、神保町の古本街の店頭ばかり漁っていた。

 食パンは一斤で90円くらいであった。それはいまも同じ。卵は物価の優等生と言われているが、それも当時といまはほぼ同じ。カップ麺も百円前後で、いまもそれぐらいでは買える。ファーストフードがチェーン展開したのもそのころで、わたしの学生時代に銀座にマックの一号店が出て、みんなして食べに行った。ミスタードーナツもダスキンで、大阪に一号店が出たときに、社長の鈴木さんとうちの親父が友人で、開店祝いに呼ばれて行ったが、帰りに東京のわたしらのマンションに寄って、土産にドーナツを買ってきた。値段はいまとそんなに変わらない。

 思えば、物価もずっと低値安定で、まるで日本は鎖国していたのではないのかと思うほど、世界からガラパゴスで孤立していたのではないのか。

 わたしの25歳のときの旅行会社で主任をしていた若いときの収入は、月に25万くらいはあった。添乗員で出ると手当ももらえた。いまのうちの四十過ぎた息子の月収はそれぐらいなのだ。半世紀しても賃金も変わらないどころか、逆に25歳の若造と40過ぎた息子と同じでは、それは怒る。

 ただ、考え方だが、それで何か困ったことはあるのか。貧乏も慣れてしまえば感じない。餓死する人もなく、生活困窮の人も生活保護で守られて、いろいろと補助もあり、乞食も少なく、ホームレスはいるが、それとて廃品回収の仕事はしていて、福祉行政を拒否したりしている生き方の問題なのか。

 なんだかんだと言われても、お隣の中国でも道端で死んでいる人もいなければ、6都市を見て回ったが、シャッター通りも見かけないし、荒廃している街はなかった。地方はどうか分からないが、大都市はみんな経済を回しているように見受けられた。

 暴動が起こったり、一揆打ちこわしやデモやストが起こっていない日本は貧困の低所得でも安定していて、格差と不満はあっても、まだいいほうではないのか。わたしなんか、年金11万くらいに掃除のバイト代でなんら不満も不足もない。一人なら余るくらいで、それで旅行にも行って、好きな趣味に興じている。足りない人はきっといくらあっても足りないのだ。ない人はないなりにどうにか暮らしている。幸福は金でもモノでもない。なにもなくても幸福な人はいっぱいいる。いつも童話の王様と乞食の話を思い出す。贅沢三昧の暮らしに辟易した王様が、乞食と入れ替わる。ようやく自由が得られたと喜ぶ王様は最低の生活にも満足げで、逆に乞食は美食はできるが、縛られた不自由な生活に悲鳴を上げる。

 日本が長く低迷していたのは、別に悪いことではなかった。清貧をよしとする人たちもいて、質素倹約の生活のほうが打たれ強い。わたしも八百屋巡りで、今日もレタス三個で百円,みず菜三束で百円を買った。それでサラダにして馬のように食べる。食べられるだけ幸せだと、戦争のニュースを見てそう思うのだ。