テレビは大きな液晶があるが、いつも消している。たまに見るのは天気予報とニュース。そのほかはドラマにしてもバラエティ番組にしてもつまらない。どうしてか、テレビは面白くなくなったとみんな言っている。それだから、多チャンネルで映画を見たり、アマゾンプライムでなんでもスマホで見られるし、みんなわが家ではそうして、各自がごろごろと寝転んで、ネットばかり見ている。親子三代がベッドと布団の上に転がってタブレットとスマホを見ている光景はいまの普通の家庭なのだ。そのためにアマプラを契約して全員で見ている。わたしはそれは見たことがない。見られるのだが、そういう映画を見てしまえば、何時間もすぐに経って、時間は過ぎてしまい、そういう生活に慣らされるとまた本を読まなくなる。一本の娯楽映画を見る時間で三冊の本が読める。そっちのほうが収穫はある。

 で、テレビは息子と話していて、なければなくてもいいねということにはなるが、なんとなく処分もできないで埃をかぶっている。かつてはお茶の間の主役で、一番いいところにでんと置かれていたテレビ様も、いまは可哀想に、見向きもされない。孫たちはほとんど見ない。

 視聴率も下がり、番組制作費用もなくなると、各局は予算がないので、また低俗な番組に走り、昼間は過去の番組の再放送ばかり。午前は通販ばかり。くだらないので、それで消している。

 先日は台風が来るので、外は大雨と暴風、歩けないし外出できないので、一人、布団に転がり、テレビでも見ようと5チャンネルの朝日を見ていた。前に千葉にいたときや、近くのワンルームで一人老後を楽しんでいたときは、雨なら部屋にいた。それで午後の刑事ものの再放送を見ていたりした。それがまた見られる。何か久しぶりで懐かしい思いで見ていた。相棒とか一課長とか、そうそう、最後に見たのは一年くらい前だったかなと、それまでは出られない日は決まって、刑事ドラマばかりごろごろと見ていた。それぐらい見ていなかったということだ。何か日常であり、そういう老後の退屈な時間もあったなと、それが普通の生活だったのだ。いまは毎日が忙しくて、息子一家と去年の8月下旬から暮らして、10か月ぐらい経つのかと、月日が経つのが早いと思いながら、相棒のドラマを見ていた。なんだ、前に見たものじゃないかと、犯人が分かっているから見てもつまらない。他のチャンネルもどこもつまらないので、NHKにしたら相撲で、それもまた見ない。野球もサッカーも見ない。スポーツは嫌いではないが、自分でやるのがよく、応援したり観戦するのがあまり好きではないのだ。はらはらどきどきするから、見ていてストレスが溜まる。

 

 いまは、テレビ局も赤字で大変だろう。広告収入が減っているのは、ネットにとられているからで、視聴率が各局みんな落ちたら、広告効果がないので、ネットに回る。時間の奪い合いと前にこのブログで書いた。本も読まれなくなり、新聞も読まない、週刊誌も休刊になったりしている。活字媒体が落ちたのはテレビの影響があったが、そのテレビが見られないのはネットのせいだと、時代で次々に敵が入れ替わる。メディアは互いに、見てもらうに必死で、それが客の時間の奪い合いなのだ。限られた生活時間を如何にして見てもらうかと、争奪戦が始まり、結果、書籍は敗北、新聞もいまはネットで見ていて紙は読まない。漫画もそうで、ネットで見ている。雑誌もそうで、映画もそうだから、映画館のない街がいっぱいある。この平塚でもオリンピックのショッピングセンター一か所しかシネコンはない。それもたまに利用するが、がらがらでよくやっている。いい映画もすぐネット配信で見られるから、別に映画館に行かなくてもいい。何か月もしないうちに、動画有料サイトにくる。

 新聞社もリストラ、新聞も薄くなり、週刊誌もかつてに比べたら薄くなる。勢いがなくなる。フォーカス全盛期のときは、みんなスクープを見たいと書店に走った。それがいまはネットの動画配信のほうがリアルタイムで早い。何日かして週刊誌が発売されてもすでに情報は古いのだ。

 書店もどんどん閉店して、20年前の半分以下になる。新刊の本屋が潰れると古本屋も一蓮托生だ。街から書店がなくなり、映画館もなくなり、レコード屋もなくなる。みんなダウンロードして電子書籍も音楽も映画も見られる聴ける。形として残らない、モノではないデータだけだから、地球には優しい世の中にはなるのだろう。紙の使用量が減れば、森林枯渇はなくなる。

 

 ただ、いま、また新しい流れが出てきた。昔のカセットテープが売れてきて、アナログディスクも生産して若い人たちに売れているとか。昭和レトロブームが再燃してきているが、ネットに飽きてきた若者たちから、新しいものと、アナログに飛びついているのはいい。その流れでまた本に帰ってきてくれたらいい。テレビ局も昔のドラマなど昭和を売りに、古い映画も放映したらいい。白黒の番組を流して、何これ?と若者たちに受けたら、高齢者たちも喜んでテレビをまた見るかもしれない。