羽田空港のベンチなどでは夜明かしする旅人たちがいっぱいいた。夜中に着いたり、もう終電で動けない人たちだ。わたしもそこに仮眠していたが、冷房で寒すぎて2時間も眠ったか。スマホがまた異常になる。ローミングばかりしていて、時差ぼけしたか、通信サービスがないと電話もかけられない。空港のWi-Fiにも繋いだが駄目で、ネットが繋がらない。朝になると解消されていた。よかった。息子に電話したら寝ぼけた声で何もなかったような。

 始発の京急で蒲田駅で降りてJRに乗り換えるが、京急蒲田で横浜行に乗り換えたらよかった。商店街をずっと歩いた。まだ5時半で、店は仕舞っていると思いきや、富士蕎麦が開いていた。なんとなくはばき脱ぎとはいうが、昨日の晩飯は食べていなかったので、和食が食べたいと、かつ丼とザルそばのセットにする。早朝でも驚いたことに、なんと次々に通勤の人たちが寄って朝飯だ。

 平塚に着いて、バスでわが家に向かう。歩いていたら、息子が車で出勤するところに遭遇。お土産を買ってきたぞと声をかける。家には孫娘が一人いて、登校するところ。想像していた通り、部屋ががちゃがちゃになっていた。帰ったらこれだ。疲れて眠いが、そうしてもいられないと、掃除と洗濯と洗い物。台所は山になって、部屋は散らかしぱなし。すごいことになっている。わたしがいないとゴミ屋敷だ。冷蔵庫も空なので、近くのドラッグストアに食料も買い出しに。冷凍庫はいっぱいにしていったが、減っていない代わりに、ゴミはカップ麺の空ばかり。それとパックご飯がある。米も炊けばいいだろうに。息子もコンビニから買ってばかりで、ちゃんとした飯を喰っていないばかりか、後でまた忠告したが、生活費が高くつく。できるだけコーラばかり飲むな、骨が溶ける。ドリンクはお茶を紙パックで作って行けよ。冷蔵庫の中は想像していた通り、漬物は黴の培養で、どうして食べないのだと捨てる。

 

 寝ている間もなく、綺麗にしたら、今度は掃除のバイトに走る。マンションの掃除は休めない。疲れているもくそもなく、また元の生活に戻る。掃除の後に、図書館へ。本をまた15冊借りて、新聞を十日分各紙読む。電話が来ていた。誰だろうと、前庭のベンチに座って電話をかけたら、なんと青森の詩人の渋谷聡だった。以下、難解な津軽弁の会話は翻訳付きで。渋谷は津軽は五所川原だが、太宰治の金木に近いところにいる。久しぶりに純粋の津軽弁を聴いた。

ーどしてらば、中国さ行ってらってな。(どうしてた? 中国に行ってたってな)

ーほだ、夜中に着いたばて、けえったきゃそんどで、孫だちのゴミば片づげでたんだでねくてや。(そうだ、夜中に着いたけど、帰ったら大変で、孫たちのゴミ部屋を片づけるに大変だったよ)

ーおめ、わの送った詩集のごとブログさ書いであったどふとからしかへられで電話したんず。わな、ネットごとかちゃくちゃねはんでやらねんず。(あんたがわたしの送った詩集のことをブログで書いたと人から聴いて電話したんだ。ぼくはネットは面倒だからやらないんだ)

ー宣伝してやったど。まんず津軽弁の詩いいでばな。で、山田尚さん亡くなったんだて手紙さ書いであったけんど。

ーふんだ、尚さんみんなさしかへるなって言い残していだど。(そうだ、尚さん死んでもみんなに知らせるなって言い残していたって)

 山田尚さんは詩誌亜土時代の詩友だった。それを渋谷の手紙で知った。同じ仲間だった泉谷明さんもだいぶ前に死んだと仲間から連絡があり、次々に詩の同人が亡くなる。

 

 次に電話着信ありで、帰国してから掛けなおしたのが土浦の幼馴染。彼からは北の街社の斎藤が亡くなったことをこのブログで知って、わたしに電話をかけてよこした。わたしの所在を斎藤から聴いたので、彼と半世紀ぶりに再会させたのは斎藤だった。

 

 帰ってきてからいろいろとやることはあった。叔父の納骨がこの日で、青森市役所から平塚に送られてきていた再発行の霊園使用許可証を青森の従妹に息子に頼んで送らせていたのが間に合った。無事に納骨できたと、画像も送られてきていた。親戚や従兄たちが集まった写真もいとこ会のLINEに送られてきて、よかった、よかった。

 

 さらにやることは、薬が切れていたので、月に一度の内科診察。レントゲンも撮り、血液検査の結果も出ていた。主治医はいいですね、胸も正常で、ヘモグロビンA1cは6.0でいいし、血糖値も90台で、みんないいですと、当分は死なないようだ。

 薬も処方してもらい、生活は元に戻る。それにしても昨日の今頃は上海の街中を歩いていて、今日はもう平塚にいて、図書館に行ったり掃除をしたり、内科に行ったりと日常に戻っていたなんて。

 四歳児の孫はじじと喜んで、不精髭を撫でて喜ぶ。三つの玩具の土産のうち一番気に入ったのが、60円ショップで買ったブリキのカエルのゼンマイで飛び跳ねるやつ。レトロな玩具は珍しいのか、遊んでいる。

 

 翌日は、足りない日用品を買いにも行く。いつものマックに行って、記録の続きを書いていた。コーヒーが120円と中国の半分。現金が使えるアナログとデジタルが共存する社会のほうが住みやすい。

 旅の疲れを癒すに近くのスーパー銭湯に午前から行って、サウナと露天風呂とジェットバス、炭酸泉と、3時間も久しぶりに風呂に入る。シャワーだけでは何かもの足りない。やはり温泉が一番だ。あれほど歩いたのに、体重は行くときと変わらない。それだけなんだかんだと食べていたから。息子は髭の生えたわたしの顔を見て、いないときは不安でちょっとおかしかったが、父っちゃがいればやはり安心するなと言うから、息子はわたしを頼りにしている。そう言われたら、またここにいないといけないではないか。それでもまた旅はする。次はどこに行こうかと、その紀行本を図書館から借りて読んでいる。