上海三日目だ。市内見物は今日よりない。後でまた上海に帰ってきて連泊で同じ宿の手配はしていたが、いまの宿はなにもないし遠いので、キャンセルして、またトリップという中国の旅行予約サイトから上海市内で中心地から歩いて近いところにホステルを二泊とった。そこも一泊ドミトリーで六人部屋だが、一泊1100円とバックパッカー用だ。

 この日の予定は夕方の飛行機でマカオに飛ぶ。それまでは前に見られなかった魯迅記念館や旧宅、内山書店跡などを見て歩きたい。

 

 天気はずっといい。黄砂もなく雨もなく雨男のわたしにしてはついている。気温は東京と変わらない。みんなまだ長袖。それでもビーチを見てから諦めようと、バスで駅まで行って、そこから歩いて行けるだろうと、南へと歩く。堤防にぶつかる。ところが、さらに1キロくらい先にまた堤防があり、二重になっている。その間は水鳥が遊ぶ広い原野と湿地帯。漁村と書かれているところを歩いたが、海は立入禁止のように車も人も行けないとは。何がビーチだと怒る。海から不法侵入できないように、厳重にしているのか。それは海防もある。漁村も小路を歩いた。小舟は水路を使って海に出て漁をするのだ。漁師の家々の白壁にはいろんな漁の絵が描かれていて、それが芸術的なものもあれば、子供の描いた素朴な絵もある。それだけでも来た甲斐があった。ほほえましい。

 

 駅から電車で南駅まで。昨日はぐっすりと寝たので寝不足は解消したが、休みモードになっているので、眠いし、足の疲れはとれていない。

 南駅からまた地下鉄一日券を買って、一昨日月曜日に行って休みだった魯迅記念館まで行く。そこは絶対に見ておきたいところ。入ったら、入場無料。一階では蔵書票の特別展もしていた。古本屋時代にはそれもだいぶ売った。広い。気持ちがいいくらい展示が綺麗にされていて、上海人は魯迅には特別な思い入れがあるのだろう。日本にも関係深いが、わたしは出てくるときに、魯迅の小説などまた再読してきた。作家の林語堂(リンユータン)とは合わないようで、正統派の林に対して皮肉屋の魯迅は意見も合わないのだろう。

 そこから南に歩くと地図では小さい取り扱いで迷ったが、魯迅故居がある。そこは記念館で長屋の一角。入ろうとしたらまたそこも入場料はスマホ決済なのだ。わたしは札を出したら、係の男性が、日本語を少し話せて、待って、いまお釣りを持ってくると出ようとして、わたしに年齢を訊いた。65歳以上は無料ですと、入れてくれた。そうですかありがたい。隣の家が続きで本当の住んだ家で、家具も寝具もそのまま。そこで暮らしていたのかと、しみじみと見入る。長屋は入口がゲートのようになっていて、閉めたら、住人より入れないセキュリティがしっかりとしているのは昔からのようだ。その入口に赤い提灯がずらりと飾られている。

 その近くに内山完造の内山書店があった。ところが、いくら捜し歩いても見つからない。ガイドブックには写真入りで出ているが、その建物らしきものがない。内山書店はいまも神保町の神田古書街にあるだろうか。戦前の内山は魯迅をかくまったり、文人たちの溜まり場になっていた。いまは跡地に別の書店がやられているようだ。それは諦めて、南のくねくねと曲がりくねった魯迅の散歩道を歩く。至る所に魯迅がいた。銅像なのだが、いろんなポーズの魯迅ばかりうようよといて、石を投げれば魯迅に当たる。画廊や古本屋もあり、女主人が暇そうに本を入口で読んでいた。歩いていると地下鉄駅が見えたので、よし、まだ空港に行くまではもうひとつだけ見られるかと、まるで競技のように貪欲に時間を惜しんで見て歩こうとする。

 今度降りた駅から孫文記念館に寄ってゆこう。そこは復興公園の隣にある。上海はどこでも公園が広く整備されていて、市民の憩いの場所だ。緑が多く、手入れも大変だろう。それでいて街中にはゴミひとつ落ちていないで、掃除をする人と清掃車はよく見た。公園のベンチで休憩。ドリンクを飲み、通り道の食品店で買った焼き饅頭をパクつく。甘いものには目がない。ドリンクもまた変わったものばかり。

 その辺りの建物は洋風で、並木道がヨーロッパのようなのだ。上海は租界があり、戦前の建物も残されて、新しい家も赤い瓦屋根に白壁で、すっかりとコロニアル風。そこに中国の古来からの建物と現代建築の面白さが入り混じり、なんとも風情のある街を造っている。わたしは来る前の上海のイメージは、ごちゃごちゃとした汚い大都市という想像をしていたが、それは撤回する。実にいい街ではないか。

 またネットの書き込みで反中で誹謗中傷ばかりがわいわいと騒いでいるが、実際にゼロコロナ後の中国上海は不景気も感じられないし、普通の市民の生活が動いている。危ないこともなく、安心安全で、スパイ容疑で捕まったらと心配して出てきたが、そんな不安はなくなるどころか、逆に住んでみたいと思わせるほど自分には合っている。戦前は日本の文学者たちがこぞって訪問した上海だが、芥川龍之介も来ていた映画も見たがよかった。そのまさに舞台を歩いて見た感動がある。

 どうも政治と国民生活は別もので、われわれも政治家の腐敗と無関係なところで仕事をし、買い物をしているのと同じで、不景気も会社や工場が大変といっても、街を見ただけでは寝そべり族もホームレスもいないし、犯罪にも合わない。それより監視カメラはあちこちあるし、警備員と警察がうろうろしているので、それができないのだ。プライバシー云々という前に守られているとは思う。

 

 孫文はこちらでは孫中山と言われていて、誰のことかと思う。その住まいと隣接する孫中山故居記念館に入る。入口で女性から、札を出すとまた何か言われた。ここでも現金支払いができないのかと思いきや、パスポートを見せたら、70歳以上は無料ですと言われた。老人には世界が優しい。記念室は孫文と日本との交流場面もあり、そこでわたしが思い出したのが、都心で暮らしていたときに、近くの文京区の白山神社の境内の石が孫文と宮崎滔天が革命について語ったかどうか、そのときに座った石だと碑文が残っているところ。たまたま近くの東洋文庫にも行ってみたら、辛亥革命百年の催しをやっていて、ジャッキー・チェン主演の辛亥革命の映画も見たときで、偶然が重なる。

 と、ここまで書いてきて、魯迅と孫文がごっちゃになり、デスマスクを見たのはどっちだったか、死後すぐの寝姿とそのときに医師が使った血圧計は、結婚証明書はどっちだったかと、写真も撮ったが、どっちがどっちだ?

 

 帰りに小さな食堂で何人も入れないところがほぼ満席だがひとつだけ空いていたところに入る。メニューが気になり、犬の別字で戌に似た字の定食が260円くらいだから、それをいただく。なんでも珍しいものは食べてみたい。菜飯に薄味のスープもついた何かのベーコンステーキみたいないい味だ。

 

 さてと時間になり、そのまま虹橋国際空港に地下鉄で向かう。来たときは浦東空港だったが、今度は市街にある小さな空港だ。そこでマカオ行が夕方に飛ぶ。問題なくスムーズに行くが、問題は後の楽しみだ。2時間半のフライトで、中国東方航空だが、ジャンボのように大きい。そこで晩飯が出た。選ぶこともなく、鶏肉でなければいいがと願いながら、鶏肉のメーンでデザートにコーヒーで、腹いっぱいになる。隣は中国の若い女性のひとり旅だが、赤ちゃんの泣き声に反応したり、スマホで盛んに自分の子供だろうか、その画像と動画を機内で見ているのだ。訳ありなんだろうか。

 

 そういううちに夜の7時過ぎにマカオの空港に着いた。空港から出るときもスムーズで問題はない。さて、実はこれから行く香港とマカオのガイドブックは読んできて、地図だけをコピーしていろいろと書き込んできた一枚だけしかない。空港からどうやって、ホテルに行くのか。事前に調べてきたらよかった。ともかくマカオの通貨に一万円だけ両替した。スモールマネーを混ぜてと頼む。

 外にずらりとバスが並んでいる。そこで翻訳機で、マカオに行くにはどのバスかと聴いて、一台のバスに乗った。またスマホでバスは釣銭がない。200円くらい札を入れたが120円でよかったがお釣りなし。不安なのは、そのバスがどこに行くのかだ。満員で座れたが、次々に降りては乗りこむ。カジノの街のタイパというマカオの対岸の島の歓楽街を走る。エッフェル塔もあり、ロンドンの議事堂みたいなのと、そこもネオンきらきらのラスベガスのようなギャンブルの街は嫌いで、そこに華やかなエゲツないリッチなホテルが林立する。そんな街は早く通り過ぎたい。広いが人口は青森市の倍くらいだろう。それでもバスは歓楽街を抜けない。ようやく長い橋を渡り、マカオ市街に入る。マカオタワーが見えたので、ランドマークで位置が判る。地図を手に、バスの進行方向が北に向かっているのを確認し、小さな通りの名前で、いまバスはどこ辺りを走っているかと探す。そうして終点が、バスターミナルだ。ここはどこだろうと、わたしがこれから行く中国の国境の街、珠海市とマカオとの境界にあるボーダーゲートを探す。翻訳機で、バス待ちをしていた女の子に聴いたら、指さして、この上よ。ええ? この上だって? さてと、エスカレーターで上に行くと、若い人たちがぞろぞろ、そこはイミグレのようなのだ。マカオはもう返還されて中国ではないのか。みんな中国の市から徒歩でマカオを行ったり来たりする学生やサラリーマンなのだ。それで身分証と通行許可証を機械に入れて通っていた。わたしもそれに続いてパスポートをかざしたら、みんなからあっちに行けと言われた。そっちの方には、外国人専用のレーンがあり長蛇の列。それに並び、ようやく通れたが、もう9時は過ぎていた。通過するだけで二回も出国入国と終いには空港と同じ出入国カードも書かせられて、2時間近くも並ぶ。疲れた。これから二日中国の国境の街のホテルに泊まり、出たり入ったりするだびに書いて出してと面倒くさい。こんなことならマカオの市街のホテルを予約したらよかったと後悔する。よくよく調べて住所を確認すべきであった。まさか、そのホテルが中国とは思わなかった。安いホテルには理由がある。不便なのだ。前にも東欧で山の上の小さな民泊に泊まって、周りは何もなく、ビーチまで歩いて30分と遠かったところもあった。

 それにしてもすごい人が徒歩で行き来している。マカオが外国であったときのままだろう。それで思い出したが、シンガポールに隣接するマレーシアのジョホールバルの国境の街に二泊して、バスで橋を渡ってすぐに見えているシンガポール島まで37円のバス代で往復したときと似ていた。若者たちはマレーシアから橋をぞろぞろと徒歩でシンガポールに仕事で通勤していた。37円の海外旅行はいままで一番安かった。

ようやくのことで、ゲートを出たら、出口の中国の街もまたでかい。ホテルだらけで、宿に場所はどこかとメールで聴いたら、ヒルトンの裏のようなことが書かれて、近いからすぐ判ると書かれた返事がきていた。ところがゲート前はタクシーの洪水と人で溢れている。それらしいホテルのサインは見えない。仕方なく一台のタクシーの運ちゃんにアゴダの宿泊予約を見せたら、判ったようなことを言う。信じて乗りこむが、タクシーはどんどんと走る。そんなに遠くないと翻訳機で話す。ゲートの近くと言っていたと。悪い運転手で、どこかに連れて行って、身ぐるみ剝がされたらどうしようか。すると、適当な大きなホテルに連れて行って降ろされた。ここだという。本当かと、フロントに行って、翻訳機で聴いたら、みんな親切で、タクシーが間違えたと言う。それで住所から調べてくれて、そこから近い海沿いのホテルの位置をグーグルマップみたいなので見せてくれた。間違えたタクシーも呼び戻してくれた。運転手は悪意はなく、ナビに打ち込んだ番地が違ったのだ。それでまた乗せて、近くのホテルに連れてゆく。明日はどうなのと予定を聞かれ、案内したいと電話番号を書いて渡されるが、タクシーならマカオは往復できるのか。着いたところのホテルの名前が違う。それでも信じて降りたが、安いホテルなので古くて汚い。さっきの大きなホテルとはえらく違う。フロントに予約の紙を見せたら、ここだと言う。漢字の名前と英語表記が全然違う。宿のネット表記はドリーマーズホテルという。実際の看板は大宇宙酒店、宇宙と夢と関係あるのか。適当な名前を付けているからこれでは探せない。しかもカプセルホテルだ。セキュリティはちゃんとしているし、シャワーとトイレはずらりと並び、ランドリーから洗面所も綺麗で、タオルとミネラル水をもらう。カードで開けるロッカーに貴重品入れもある。もう疲れた。この日も26000歩あるいていた。明日はどうするか、考えることもなく寝てしまう。