歩いた割には体はふらつかない。まずは、部屋に入りシャワーをしながら洗濯もする。シャンプーとボディソープはついていたので、それで洗顔と髪も洗い昔ながら足踏み洗濯。それをシャワールームに干す。デスクとテレビとエアコンはついている。ラージベッドで二日ぶりでちゃんと寝られる。一応、忘れてはいけないので、記録にブログを書いた。晩飯は買って来た肉まんとクラッカーなどのスナック菓子で。廊下が若者たちでうるさい。それでもいつしか眠っていた。

 

 翌朝は連泊なので、フロントの女性に翻訳機で、カードキーを持っておくと伝えて出てくる。フロントは英語が判らない。あちこちで英語ではダメなことが分かった。バス停を聴いたらすぐ近く。そこで並んでいるじいさんに、翻訳機で、駅に行くにはどのバスかと聴いて、翻訳機の画面の中国語も見せたら、目が悪くて小さい文字は見えないんだとそんなことを話して笑っている。行き先表示のディスプレイを指さして教えた。後二分で駅行が来る。なんだ簡単じゃないか。バスに乗ると2元一律だから40円くらいで行ける。16分も走って終点の金山衛駅に着いたが、昨日はそこから歩いたのだ。

 一度やるとみんな覚えて切符も買える。10元だから200円で上海南駅まで1時間。快適なシートに座って、田園風景を見てゆく。天気はいい。スモッグなんかないくらい空気は澄んでいる。電動バイクやEVのおかげだろうか。市民はほとんどノーマスクだ。コロナは完全に終わったように見受けられた。

 南駅に着いたら、今度は地下鉄の窓口にダイソーで買った付箋紙のメモ紙に筆談で、「地鉄一日票 一枚」と書いて出すとすぐにくれた。ワンデーパスで一日乗り放題が18元だから400円くらいで、買う手間と小銭の心配がない。駅の構内に飲食店が並ぶ。朝飯はクラッカーだったので、この三日米の飯を食べていなかった。ケンタッキーなど並ぶ中に吉野家があり、餃子と味噌汁がついて牛丼が400円。どんな味なのかお試しで。それにしてもラーメンチェーンも日本から随分と出店してきて、どこにでもある。それを食べてから地下鉄は満員ラッシュの通勤時間帯だったが、また人民広場で降りる。そこの博物館前のバス停から、これから行く朱家角という水郷の街まで1時間くらいかかって郊外まで走る。

 一時間に一本だから、出たばかりだった。それまで公園が広くどこにでもあるから、ベンチでもいいが、手にスタバのコーヒーを持って歩くサラリーマンがいたので、そっちにゆくとマックと並んでいる。朝のコーヒーは習慣になっていた。

 

 郊外に走るバスは高速道路をひたすら上海の西へと走る。1時間くらいで、水郷の名所朱家角に到着した。乗るときに運転手に代金を払おうとしたら受け取らない。みんなスマホでやっているのか。降りるときもみんないなくなる。外に後払いでゲートがあるのかと行ってみたら待合室だけのバスターミナルだった。金を手に誰に払えばいいんだと、結局、250円くらいのものだが、無賃乗車になってしまった。いいのか。

 

 一帯はすごい観光客でごった返している。人気のある村ではないか、町なのだ。まずは歩いて川の方へと行くと、放生橋という古い石の橋があり、そこでパチリ。小路という小路は売店がひしめきあって、美味しそうなものばかり売っている。観光客値段だろうが、それでもそこの名物という粽がいろいろとあるので、ほかほかのやつを肉入りひとつ皮も剥いて食べ歩きできるようにしてくれた。それが普通の大きさの倍はあるか。台湾でも食べたが、臭豆腐も売っている。梅餡の焼餅が美味しそうなので、それもいただく。二つでもう昼飯はいらない。他にドリアンの大きなのが460円とか、陶器製の笛はオカリナのような石笛のような、それも買いたかったが、楽器となるとすぐに欲しがる悪い癖。胡弓も売っていたが、荷物になるものは買わない。水路というか川なのか、柳の枝が垂れて、そこに幾多の橋がかり、船頭が漕ぐ小舟が観光客を乗せて下を通るときパチリ。

課植園というのに入る。豪商の屋敷で庭園が素晴らしい。文人でもあったようで、課植とは晴耕雨読みたいなことで、勉強と農耕をしっかりとと党首が残した言葉から取られたとある。

 そこから川沿いの細い道を歩くと、骨董品店もいいし古本屋も風情があってよかった。戦前の本もあるが、戦後のマンガ本なんか、どっさりと買って古本屋をまだしていたら、日本でも売れたろう。清時代の郵便局がそのまま建物を使っている。ポストもまたいい。木造の廓橋、博物館や芸術館は寄って行く時間がないのでパスした。アイスも安いと食べたり、食べ歩きで、そのままバスターミナルまで戻ってくる。今度はどうなっているのかと、帰りのバスに乗ったら、なんと後ろの席に座っていたただのおばさんと思っていたのが車掌さんで、大きなバッヂを腰につけていて見えなかったのだ。今度はちゃんと払う。

 

 上海の市街に混んでいて進まない高速から降りて着いたところが、上海博物館。夕方でもまだ時間があったので、そこに入る。が、入口で警備に止められた。予約をしないといけないのか。入場は無料とガイドブックにはあった。相当巨大な建物で、中国人はソーハータイ人(大風呂敷)ばかりなのだろうか。大きなことが好きなのだ。警備がパスポートを見せるとおお、日本人かと、親切にスマホにナンバーを書き込んで、代わりにやってくれた。やはりいまの中国はスマホが使えるようにしないといけないようだ。それでないと生きてもゆけない。

 建物は上から下までゆっくりなら半日はかかる。驚いたのが、若い人たちが多く来ていて、古文書壺や掛け軸などの写真をスマホで撮っていたことだ。ここは撮影はいいのだろう。うちの息子たちも孫もこういう文物には全然興味はないだろうし、第一入らない。きちんと展示されていて、人が近づけば暗い展示物の上のライトが点くようになっている。ライトの灯でも多少は焼けるだろうから、文化財保護のためにしているのだろう。

 それにしてもよくぞ革命と大戦を乗り越えて、保存されてきたものと感心する。こうした文化財はその国の民度を的確に表すので、国の威信で見せるということは大事なのだ。それで外国は侵略をしなくなる。文化は国の宝だというのは品性をも表していて、ここでよく判る。

 

 まだ時間はあるかと、もう足が痛いのに、まだ歩かせるつもりか。余った時間も無駄にしないで、ネットでチェックしてきた太極拳用品を売っている専門店の住所を調べてメモしてきた。そこは博物館から歩いてゆけそうだ。地図を見て、路とどこの道路にも名前がついていて、それがそのまま住所になっているから判りやすい。すぐ近くと思うのは、また上海を舐めている。地下鉄二つ駅ぐらいならすぐだと思うところが田舎者のわたしなのだ。

 建物に地番のプレートが嵌めているので、数えながら、後80軒くらいと、もうすぐと思ったら、突然番号が飛んで800番だと? 598番を探してどんどんと大通りを歩いて見つからず。くたびれた。どこかに座りたい。もう年だというのがよく判る。いままでのように歩けなくなっている。帰ろう。その近くの地下鉄の駅を見つけて、また南駅まで行くと、もう慣れた列車に乗って、金山衛駅までシートに沈むようにして帰ってきた。ところで、駅の表記では吉衛門とか、名前の衛を昔はカタカナのエに近い書き方をした。それがこの国の簡体字でもヱと同じ書き方をするのだ。金山ヱ駅なのだ。

 今度は歩かないでバスで行ける。路線番号も覚えた。1号と7号がホテルのある通りを走る。着いたら7時半でちょうどいい。晩飯はどこかで外食でもいいが、ファミマが近くにあったので、弁当とヨーグルトみたいなのと、ドリンクとお餅と珍しいものばかりを買ってホテルへ。またシャワーと洗濯と、このブログを書く。テレビはコマーシャルは面白いが、バラエティ番組は言葉が判らないから笑えない。この日の歩数は22000歩で15キロくらいだから、まあまあ。それにしても体力はなくなっている。年々それを感じている。