一人老後は寂しいと思っていたら、家族と去年夏から同居することになると、こんな大変なことはない。わたしの仲間たちは、前は気楽な一人様老後でいいですねと羨ましがっていた。孤独死しても判らないし、家族がいたら癒されるじゃないかとそう思い、三世代が同居するのも悪くないなと思っていたのに、いざ、同居するといろんなことがあって、一人がいいとなった。そのことを仲間たちに告白すると、みなさん笑っていて、うちもそうよとか、うちもだと、みんなどこも大変なのだ。まずは、嫁と姑の確執、それはどこにでもあることだ。孫を預けて夫婦で遊んでくるとか、その一日ぐらいはいい。盆正月で四五日も帰省して実家にみんなが泊まると、疲れて大変と、孫の世話から、食事の支度と、普段の何倍も忙しくなって目が回るという。小さな孫を預かっても、四時間が限界。わたしに、よく半日以上も見ているねと言う。四歳児の相手は別に疲れない。ママチャリで前は保育園の送り迎えもしていたが、その合間にマンションの清掃もしたが、自分の時間は確かになくなる。それと、問題の孫娘たちだ。

母親が近くに引っ越してきて、二つの家になってからは、雨が降ると母親が車で保育園に迎えに行くから助かる。土砂降りでは合羽を着ても濡れるが、孫が後ろで可哀想だ。パパは朝は車で出勤前に保育園に送ってゆくことになり、わたしの負担が軽くなった。それで、先日はスーパー銭湯で体重計に乗ったら、リバウンドしていて、孫のお守りをして半年で8キロ痩せたのが、また80キロまで戻る。

 

息子の青森の家も買い手がついて、売れるようなので、そうなればローンも払わなくていいし、離婚してからは、一人で家のローンといまの家賃と三人の子供の生活費となるととても払えない。それでいま母親が近くに応援で来て、養育費の代わりに飯を三人に食べさせているので、わたしの負担はますます軽くなった。息子も朝飯は食べず、そのまま出勤して帰りは晩いので、飯支度も自分の分だけでよくなるので、食費負担もなくなる。家賃だけはいまわたしが払っているから、少し経済的な余裕ができて、あちこちまた旅行に行けるようになる。それまでは年金と掃除のバイトでも足りなかったから、預貯金はすべて払いだした。今度はプラスになるだろう。

 

それはいいが、息子もいま、独立を考えていて、合同会社を設立して、別れたかあちゃんと二人で設立して節税もし、それでいろんな仕事を起業するというが、ベースは二人の収入でもいまやっていることだ。二人の収入を会社で管理し、配送とテレワークで家族五人は十分食べてゆけるだろう。そうなると、わたしの部屋は仕事部屋の事務室にするといい。本はすべて処分して、身軽になったわたしはそれからどこにでも羽ばたける。息子たちが自立するにわたしがいては邪魔だし、いれば甘えも出る。頼りにする親が傍にいないほうが息子のためにはなる。

 

青森の友人や親戚は、家一軒を只で貸してくれるとか、自分の持っているアパートの空き部屋があるから、家賃なしでいいよと言ってくれる。それに甘えて青森に引っ越してもいい。息子にそのことを話したら、帰っても退屈で大変だろうと、わたしがそれで逃げて来たので、また田舎暮らしに戻って耐えられるかだ。友人がいっぱいいるから、そういうつきあいで退屈はしないし、どこに行っても図書館はあるし、ガストやマックでコーヒーというのも変わらない。生活パターンは変わらないが、夏が短いので海は遠くなる。それが難点だ。どこかに生活拠点があれば、そこから旅には出られる。

自由になったら、沖縄で一年くらい暮らそうかとも考えた。小笠原もいいなとか、温暖なところばかり考えて、賃貸物件をネットで見ていた。ワンルームで家具家電がなくてもいい。寝袋ひとつあればいい。雨風をしのげればいいと、バックパッカーの定宿のように考えている。最低必要な身の回りのものと着替えだけあれば、どこでも生活はできる。冷蔵庫も洗濯機もいらない。手洗いでいいし、食品の買いだめもしないで、台所ではその日その日の食べる分だけ作ればいい。それは海外でホステルに泊まった気持ちで食堂で作るのと同じだ。

 

老後は縛られたくないし、どこにいてもいまはLINEで繋がり、メールでやりとり、タブレットPCがあってスマホがあれば、ネットに繋げてなんだってできそうだ。後数か月で、息子たちの生活の基盤ができたら、わたしはどうするか進退を決めないといけない。おふくろが生きているうちは国内旅行はいいが、海外でも長期は無理だ。それは二泊三日くらいで済ませないといけない。いつでも帰れるようにしないと。それまでは自由に羽ばたけないのだ。