最後の叔父が亡くなったのは昨年末だったが、青森は冬の間は納骨ができない。積雪があるからで、特にわが家の墓のある三内丸山遺跡が近い三内霊園は少し山になっていて、雪が多いし、除排雪はしないので、積もったらそのままなので、冬に亡くなると、春の雪解けまで待たないといけない。

うちの死んだ親父もそうで、2月に亡くなり、桜の花が満開の5月の連休過ぎに納骨した。それまでは仏壇に置いていて、わたしの寝る部屋だったが、わたしの枕元にいつもあって、親父と寝ていた。

叔父の場合もそうで、残雪がなくなった5月にする。ところが、そのことで従妹が市役所に行ったら、霊園は市営で、市役所管轄なので、霊園使用許可証はありますかと言われて、ないと言うとできませんと断られた。わたしに連絡が入り、わたしもそれは持っていない。それはいつのことだろうか。若いときのことで、まだ三十代のときだったか、わが一族の長男が亡くなり、その伯父の名義であったと思う。伯父の家が改宗して創価学会に入信したので、別に墓は持つことになり、それはどうするかと、親族会議で東京と明石の伯母たちも集まって、親父はもう年だから、息子のわたしに名義変更をしたらいいと言うことになった。平成の最初のころの話で、そのために、わたしが伯父とどういう関係で、直接の親族かどうかと、市役所に申請に行ったら、除籍謄本というのをとって調べるという。それは江戸時代からの人が書かれたわが家の過去帳みたいなルーツで、そういうのがまだ戦災で焼けた市役所に残っているというのが不思議だった。それで伯父とわたしの関係が明確になると、市役所では墓の名義をわたしにした。そのとき、霊園使用許可証はどうなったのか。わたしはもらった記憶がないから、親父が持っていたか、伯父が持っていたか。そういう大事なものは捨てるはずがない。どちらも亡くなったので、もはや、その所在は確認できない。

 

それからの電話のやりとりで、青森市役所の担当職員さんと話して、許可証は持っていないというと、困りましたと、どうするか考えて、納骨の日に三内霊園の管理事務所に寄ったとき、そこからわたしに事務員から電話をかけさせますので、そのとき了解すれば、納骨できるようにしますと、わたしの電話番号を管理事務所に伝えておくと、納骨の日にちと時間まで聴いていた。それで完了というわけではなかった。後でまた市役所からわたしに電話がきて、これからも許可証は必要なので、再発行をしますからと、郵便で、その再発行の書類を郵送してきた。離れているといろいろとやりとりが不便だ。故郷にいない人も多いだろう。外国にいる人はどうしているのだろうか。

送ってきた書類に書いたが、うちは二口あるので、二区画分として二枚書かないといけない。それとわたしの住民票がいるので、マイナカードでコンビニの総合コピー機から住民票を出して、返信用の切手と小為替も一口150円分だから二枚で300円分同封というので郵便局から送るが、その手数料が高い。150円の小為替に手数料が200円とは。そういう小為替などまだあるのか、やめたらいいのにと思うのだが、まだ使い道はあるのだろう。

ようやく、それを青森市役所に送ったが、五月の連休前に送ったので、連休にさしかかり、市役所からまだ送られてこない。そのうちわたしは海外旅行に出てしまうので、息子に頼んだ。郵便物が来たらちゃんと見て、封筒に切手貼って、従妹に送れるようにして行くから、必ず郵送してなと言って出てくる。それがあればいいだろう。従妹からはまた送り返してもらう。これから身内で誰が死ぬか判らない。墓ひとつで、役所仕事もあり、いろいろと面倒くさいが、先祖代々の墓も市営なら潰れることはないから安心だ。母方の墓は前は新城という市内の西の寺にあったが、そこがなんと寺の墓を分譲して売ったので、立ち退きとなり、三内に引っ越してきた。寺もひどいことをする。事業なのだ。それと廃寺にもなるから、いまは永大供養なんかない。納骨堂も事業主体が倒産すればビルごと売却、骨は持って出てくれと次に買った人が言う。札幌では路頭に迷う骨が行き場がなくなる。この世でも成仏できない。彷徨う骨だ。樹木葬もそうなれば怪しい。みんなビジネスだから、会社経営で永久ではない。必ず倒産する。その土地も売られ、団地になったりする。

墓も跡継ぎがなくなり、無縁墓が多くなるというから、わたしは墓はいらないと思う。海に撒いてくれたらいい。自然に還るのが一番エコだ。墓について考えさせられたこのひと月だった。